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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第7回「この先生に聞きたい!」女性リハ専門医キャリアパス

日時 2013年1月19日(土) 11:00~13:00
場所 横浜市総合リハビリテーションセンター
ゲスト 小池純子 先生(横浜市総合リハビリテーションセンター センター長)
インタビュアー 野本規絵 先生(総合リハビリテーションセンターみどり病院)
外薗昭彦 先生(鹿児島大学病院霧島リハビリテーションセンター)
司会 藤谷順子(国立国際医療研究センター病院)
オブザーバー 大串幹 先生(熊本大学 RJN担当幹事)

藤谷:本日はまだ雪も残る新横浜に、新潟と九州からわざわざおいでいただきありがとうございます。それではまず、自己紹介をお願いします。

外薗:鹿児島大学霧島リハビリテーションセンターの外薗と申します。2013年の4月で医師になって5年目です。3年目からリハ科に入局しました。もともとは宮崎大学の出身なので、リハ科がありませんでしたが、自分の人生を賭けてやっていきたい領域かな、と研修時代に感じたところがありましたので、今やらせていただいています。よろしくお願いします。

野本:新潟市の総合リハビリテーションセンターみどり病院に勤務しております野本規絵です。今は回復期病棟を担当しています。卒後13年になりますが、産休、育休を経て、 専門医に向けて勉強しています。新潟県内のリハビリについて考えるところもありますので、いろいろとお話を伺えたらと思います。よろしくお願いします。

藤谷:ありがとうございます。それでは小池先生のご経歴も含めて、質問させていただきたいと思います。

世界平和から医師に、そしてリハ医に
ひとりリハ医としての病院勤務
リハ医としての夢
リハセンターでの医師の仕事とリーダーシップ
地域で長期間生活していくことへのリハ医の関わり
女医の子育ては仕事に有利か?
大事なのは経験と統合
病院だけにとどまらないリハ医の仕事


世界平和から医師に、そしてリハ医に

外薗:自分は研修時代、地域医療とか、とにかくその方の人生にふれていけるような医療をやりたいという思いがありました。それが一番しっかり学べるのがリハ科かなと思い、選んだ経緯があります。そもそも先生方の世代となると、パイオニア世代と思われるんですが、どういったお考えでいつごろからリハ科を選ばれたのですか。

小池:そうですね。当時は(34年前)、リハビリテーションという言葉自体あまり一般的でなく、まして小児や地域といった分野を選択できる時代ではありません。リハビリテーション科というものがあるらしい・・・私の認識はそんなレベルでした。RJNのインタビュー記事を拝見させていただくと、学生時代のボランティア活動などから障害児者に関心をもたれた方などいらして、すごいなと思いました。

私は、ベトナム戦争の世代です。自宅の近くに米軍の基地(病院)がありました。ベトナムからの負傷兵やご遺体(との噂でした)を運ぶヘリコプターが自宅の真上で旋回し基地に着陸するので、中学生時代は米軍のヘリコプターの爆音を聞きながら過ごしました。「戦争で負傷した人が頭の上を通っていく」日々、世界を平和にしなくちゃいけないというようなことを強く考えました。それに貢献する仕事が何かできればいいなというのがまず医師を選んだ理由です。

実は、飢餓の地域でこどもたちにミルクを配りたかったんです。(根がずぼらですから、調べることもせず)国連・ユニセフの職員になるにはどうしたらよいか分からないが、取りあえず医学部に行けばなんとかなるんじゃないかくらいな気持ちでした。

学年が上がっていくと、卒後の進路を考えますよね。実習で内科系、外科系を回るなか、どちらも人でなく「病」しかみていないなと、モヤモヤしているときに、リハ科に出会いました。当時、横浜市大には病院の診療科としてリハビリテーション科が独立してあり、ベッドサイドも行われていました。そこで「これだ」と閃いたんですね。人間をトータルでみること、多様性を重んじることに共感し、「これは世界平和でしょ」と思いました。つまり、様々な人々が地域で仲よく過ごすのには役立つ考え方ということですかね。

藤谷:当時は大川先生ですね。専有ベッドをお持ちだったのですか?

小池:はい。建て替え前の古い病院のときですが、リハ科は10床専用病床を持っていました。そのほかにPT室、OT室があり、リハ科に医師もPT、OTも属していたので、大川先生がPT、OTの科長でもありました。

野本:リハ医として診療をされていた大川先生のお考えに、強く共感する部分や尊敬する部分があったということでしょうか。

小池:そうですね。先ほども言いましたが、リハ科の選択はほとんど衝動的でしたので、実際はどんなことをやる科なのかあまりよく分かっていなかったのです。義足の山とかを見て、「うわあ、私、これ嫌いかも」と思った(笑)。

しかし、大川先生に接するほど、「これでいいんだ」と、どんどん深みにはまっていきました。彼は常に、「人をみるように」と教えました。

野本:今やっていらっしゃるお仕事も本当に範囲が広く、小児からお年寄りまで診られているのですが、卒後はどのように研修されたのですか。

小池:リハ科入局後は、大学の人材育成のプランに従ってローテーションしました。大川先生は、大学病院の医師であるにもかかわらず、と言ったら変ですが、病院だけではなく、横浜市の養護教育や福祉行政などにリハ医が関わる重要性を早くから指摘され、更生相談所の医学判定・巡回相談や、教育委員会の障害児の健診も、積極的にやっておられました。院内での文献抄読やカンファレンス、症例報告会などの研修はもちろんですが、私は院外で障害児者に出会う養護学校、更生相談所、療護施設、訓練会など様々な場に同行させてもらいました。常に現場の生々しい場面で行われるショートレクチャーと言ったところでしょうか?先輩リハ医も少なく彼らも忙しいですから、とにかく金魚のフンのように先輩の後ろをついて歩いて覚えたというか勉強したというか・・・。

野本:医学的なことだけでなく、倫理的なことや、様々なものの考え方まで教わったのですね。

小池:一日の終わり、研修医(横市大は当時から卒後2年間の研修医制度あり)も含め医局に戻ると、井戸端会議的な雰囲気でお互いに意見交換する。その中で「あの科でこういう治療しているけれど、これってちょっと患者さんの人生を考えたらどうだろう?」という倫理的な話、生活を考えたときに本当に利益になる治療法だろうかというようなことはよく話し合いました。

医局に戻って皆でわいわいやるのがすごく大事、医局には必ず寄るようにと言われていました。定例の勉強会以外に、狭い医局で、ビールとか出てくるんですよ(笑)、今は駄目ですけどね。おやつを食べながら、やり残した仕事を片付けながら、耳学問というのでしょうか、先輩たちのやりとりをよく聞いていました。教科書も読みますが、現実とのリンクがどう出来るかというのはそういう場面で一番養われたかなと思います。

外薗:当時、医局は何人ぐらいおられたんですか?

小池:3、4人、ほとんど家族みたいな感じです。


ひとりリハ医としての病院勤務

野本:大学にいらした時は先輩方に相談することができたということですが、それ以降はすぐにお一人で医長のような立場になったのですね。

小池:研修終了後3年間は大学病院。それから横浜市立病院のリハ科に1人勤務となりました。診療だけでなく、病院の経営会議にもリハ科代表として出ました。

外薗:全部お一人で行かれて。総合病院だと整形も小児も、全部相談がくるんですね?

小池:そう、全科から来ましたね。PT、OTが数人、マッサージ師さんが2人いるリハ訓練室があって、リハ科の外来と19床のベッドを担当していました。

野本:おひとりではなかなか大変だったのではと思うのですが。

小池:どう人の助けを借りるかがポイントですね。今でいえば病院内にある19床の回復期ベッドみたいなもので、脳卒中で内科に入院された方がちょっと経てばリハ科に移ってくる、という流れでしたから、内科の先生とでも整形の先生とでも、皆とうまくやるようにしました。だから、私がいないときでも病棟を助けてくれるというか。

藤谷:そうですよね。お一人だと、お留守のこともありますものね。

小池:はい。その代わり、向こうの病棟に往診に行くとか、リハ科に転科させるとか、そういうギブ・アンド・テークを心得ました。またMSWともしっかり連携しました。リハ科は小児科と同じフロアだったのですが、「子守り」もしました。ナースが巡視に行くときにギャアギャア泣いている赤ちゃんを置いていけないじゃないですか。それで当直の私の背中に赤ちゃんをくくりつけて「先生、よろしく!」(笑)。だからその反対に、私がいなくても「Aさんのこと、内科の先生に相談して点滴してもらったから大丈夫」とかね。

相談したいのに誰もいないところでどうするか、悪知恵がつきました。カンファレンスの場では「明日もうちょっと話し合ってみない?調べておくから」と言って結論を先延ばしし、夕方大学に電話をかける。そうしたら、伊藤利之先生も若いときはカンファレンスの途中でトイレに立って、大川先生に電話をかけて、どうしたらいいか聞いていたと(笑)

藤谷:病院で研修された後は、いろいろ廻られて。更生相談所長でいらしたこともあるんですよね。

小池:はい。大学病院と、市立病院、行政機関である更生相談所と、あとはリハセンター、療育センター。今でいう介護保険制度の施設は経験したことがないですが、それ以外はほとんど経験したと思います。


リハ医としての夢

外薗:もともとの思いが、世界的というか、おそらく先生の中でも、とにかくいろんな人を、全体を見てみたいということなのかなという印象を受けました。実際、いろんなお仕事をされて今、夢がかたちになっておられるんでしょうか。

小池:厳しい質問ですね。統計学的に有意な成果はありません。横浜市の障害者のQOLを向上させたなんて結果がでたら最高なんですが、まあ、無理。

リハ事業団(リハセンターの所属する法人)が設立20周年を迎えた時、記念に「経営理念」を新たにしたのですが、その理念が、私がリハ科を選択した理由とほぼ一致していたのには、戦慄を覚えました。

別の見方ですが、まさにこの経営理念が私の目標なので、そういう理念を掲げる職場で働けていることで夢はまあかたちになったかなと思います。

藤谷:経営理念、読んでおきます。「私たちは豊かな人間性と高い専門性を培い、地域で自分らしく生きることのできるリハビリテーションを推進し、すべての人が分け隔てなく暮らすことのできる社会の実現を目指します」

小池:目標というのは、ここまで来たら次はと考えませんか?だから、決して達成しない・・・多分、このことを継いでくれる次の世代の人がいれば私は満足かなと。

また脱線しますが、20世紀は、戦争の世紀だった。21世紀に入って、これで人間も多少賢くなって平和になるかなと思ったら、最初に起こったのがニューヨークの9.11でしょう?

平和は常に意識していないと壊れやすく、人権もいつも意識を新たにしていかないと簡単に侵害されるものなので、やめないで淡々と続けていくというのも仕事の目標・・・成果なのかなと思うんです。またこのことを考え行動してくれる人が次の世代にいてくれればいいかなと。こういう経営理念に賛同して、就職して働いてくれる人がいればそれで目標達成かなという風に思っています。

外薗:先生の夢は、「目標に向かって常に進んでいる」ということですね。


リハセンターでの医師の仕事とリーダーシップ

外薗:先ほど見学させていただきましたが、この横浜市総合リハビリテーションセンターのお仕事は実に多岐にわたっておられますね。

小池:リハセンターは横浜市が設置し、社会福祉法人横浜市リハビリテーション事業団が指定管理者として運営しています。市における地域リハシステムの拠点施設であり、市民ニーズに応じたリハプログラムやシステムの開発、情報の収集・発信、最新技術の導入、研究、研修活動を行っています。また、こういった活動を通じた、関係機関への支援や人材育成、市の福祉施策への提言などの役割もあります。

組織的には、地域リハビリテーション部、医療部、自立支援部、発達支援部、総務部の5つの部署から成っています。

この中には法定の事業として、有床診療所、障害者支援施設、就労支援施設、児童発達支援(旧知的障害児、肢体不自由児、難聴幼児通園施設、児童デイサービス)、補装具製作施設などが含まれています。障害者更生相談所を併設しているところもポイントでしょうか。

また、市独自でやっている事業として、地域・在宅巡回事業、障害者・高齢者住環境整備事業、企画開発研究事業、高次脳機能障害支援センター、職能評価開発事業などがあります。

野本:自分が今やっている仕事は、回復期の病院の中の患者さんが中心で、外来リハにも関わりますが、地域全体のことを考えるまでには至らないことが多いです。先生のお仕事では、リハシステムの開発や行政との関わりなど範囲が広いですが、どうすればそのような視点で考えられるのでしょうか。

小池:病院からリハセンターのようなところに来ると、まず、医師は縁の下の力持ちであるべきということに気づかされます。医師は病院だと主役ですから、この立ち位置に納得できないドクターもいます。

でも、医療の重要性を否定している訳ではありません。医療が障害者の生活のベースになるところをきっちり押さえていかないと、地域生活を支える福祉サービスも不安定なものになります。地域や制度を踏まえ、評価し、ゴール設定をして医学的な問題を整理したうえで、サービスが始まるのです。

野本:現在の業務の割合としては診療よりも、行政に関わる仕事が多いですか。

小池:診療業務は時間的には多いです。でも、リハセンターの仕事として他職種との兼ね合いを考えると、医師は、チームを組んだときに、そのチームでどう役割分担してすすめるか決めるところは率先してやらないと駄目ですかね。

野本:リーダーシップをとるというか・・・。

小池:そうですね。チームメンバーにゴーサインを出すことを求められるのも医師。「これで進めていいですよ」と、医師が言うのは、やはりすごく大きな力があります。その役割は必ずしも医師でなくてもいいと思います。でも医師はそれを求められることが多く、求められた時は、是非、受けて立って下さい。それを繰り返していくうちに経験し学び、できるようなっていきます。

スタッフは新たなことに乗り出すとき不安に思うものです。そこで、先生が「大丈夫」と言ってくれると、拠り所ができる。スタッフをバックアップするというのは大事な役割です。それを、目立たずやるというのが心構えみたいなものですね。

藤谷:お仕事を拝見していると、既存のサービスにないものをリハセンターは仕事としてなさっていますね。常にニーズに合わせて新しいことに踏み込んでいっておられますね。

小池:それはリハセンターに背負わされた使命の一つです。市民のニーズを把握して、必要な新しいサービスを開発して、提供していくこと。

藤谷:そういうチャレンジ精神が25年間の歴史でしょうか。

小池:技術開発と中間ユーザー(関係機関)への支援、即ち、中間ユーザーの技術力をアップすることが私たちの仕事のひとつです。結果、中間ユーザーも力をつけてくるのでボヤボヤしていられません。

外薗:せっかくそうやって作られたものは、我々も知らないといけないですよね。

小池:そうですね。地域によって特性があるので同じやり方では必ずしもうまくいかないと思いますが、我々の仕事をヒントにしていただいて、それぞれのご勤務地でアレンジしてやっていただければ。そしてまた、アレンジしたものを見せていただくと、我々にもよい刺激になります。

野本:日頃はどんなチームで動いておられるのですか?

小池:リハセンターは全員がリハスタッフですから全員がチームメンバーですが、医療部は医療部の中で動く単位のようなチームがあります。でも、そのチームだけでは最終的に利用者さんを在宅にもっていく上では不十分。他のチーム、生活支援チームや就労、在宅、相談などのチームとその患者さんのニーズに応じて・・・。

野本:コラボなさるんですね。

小池:そうです。チームは組織上の固定的なものではありません。各部署から必要な職種が集まって、利用者さんのニーズに即したチームをタイムリーに作ります。また、そうでないといけない。

藤谷:風通しのよさを維持するのは?

小池:部署を越えたコミュニケ―ションです。部内ではチームアプローチができても、部署間の連携は意外に難しい。

野本:部署によって問題点が違うからでしょうか。

小池:そう。Aさんが入院している間は入院のリハのチーム、医療の中だけでよいわけです。それで、退院で在宅に向けてアプローチするとなったら、別のチームを作らなくちゃならない。それがAさんやBさんやCさんで、ニーズが全然違ってくるじゃないですか。それを柔軟に対応するというのが難しくて、いつも私たちの研究会のテーマだったりします。

藤谷:大変というのは、もちろん時間を合わせるとか、やはりちょっと敷居が高い、そういうことに慣れていないメンバーがどうしても居てしまうということでしょうか。

小池:他部署のやっていることを知らないのです。仕事が固定化していますね。

藤谷:知らないという問題に関しては、どうやって解消しておられるんですか?

小池:研究発表会を年に一回はやります。また、職場のネットに掲示板があり、各部署が情報発信をしています。広報委員会が情報交換のイベントを仕掛けたりしていますが。

藤谷:そうやってそれぞれの職員がたくさん引き出しを持たないと、患者さんのために思いつくことが出来ないですものね。

小池:思いついてくれればですね。相談・報告は必要ですが、隣の課とコラボするのに必ずしも文書は必要ありませんから、廊下で会って「ねえねえ」と言えばそれで話が始められます。

藤谷:そういう職場の雰囲気はすごく重要ですね。

小池:重要です。どんどん職員が増え、もうお互い顔と名前が一致しませんから。

外薗:情報交換してそういうのをちゃんと把握するのも医師の役目でしょうか。

小池:把握するのは管理職の役割です。医師は情報に接しやすい立場にあるので、その役割は積極的に取るようにと、若い医師には伝えています。


地域で長期間生活していくことへのリハ医の関わり

野本:例えば苦労されたような症例はありますか。障害が重たくて、家の状況がこうで、というような。

小池:一番苦労する症例は、やはり家族機能が弱い症例ですね。

野本:そういう場合、どうしたら。

小池:地域で支援する態勢を組みます。また、当該患者さんのリハゴールを少し変えます。単純な例で言えば、手すりがあれば歩いてトイレに行ける、でも、不注意で、見守りがないと転倒の危険があるケース。この家族で見守りは無理だよねとなれば、歩かないでトイレに行く方法を考える。安全に暮らせるようにとゴールを変えていきます。あと家族の方への支援も合わせて、トータルに検討します。

最終的には、1人への支援ではなくて家族総体、そしてその人が所属する地域への支援になるかなと思います。例えば、その人の暮らしは、隣の八百屋さんやコンビニの人が見守ったり、受け入れてくれることで成り立つわけだから、最終的にコミュニティ作りにつながるのでしょうか。

困難なケースは誰が担当してもすぐに正解は出ません。で、どうするかというと、取りあえずのプランで行ってみようと、そこで解決するのは諦めます。ちょっとこれで様子見ようかと。で、時が経つと変化があり、また新たな手がかりも出てきますので、プランの再検討です。少しずつ、解決へと近づきます。

結局、地域で一緒に過ごすということはその人と縁が切れないということです。よいこともあるし、悪いこともある。それに並走していくということですかね。

野本:それを受け入れるというところもありますよね。

小池:人口は多いし、リハセンターだけでは目配りできません。1次相談機関、2次相談機関と連携し、何かあったらリハセンターに繋いでくださいと、そういう仕組みをつくって間接的フォローをしています。

外薗:切れてしまわないのがいいですね。

小池:脳性まひは小児のリハに入れられていますが、高齢の脳性まひの方がいるわけです。早期療育をやって、特別支援教育を受けて、社会参加、それがリハゴールじゃないんですよね。

藤谷:親御さんが歳をとるとか、亡くなるとか、いろいろありますね。

小池:ライフイベントごとに生活の再構築を目的としたリハ介入が必要です。特に加齢に伴う機能低下は深刻です。

加齢は避けられないことではありますが、機能低下イコール寝たきりってありえないじゃないですか。例えば、歩行できなくなっても、車いすで活躍できるようにとか、自走が難しくなったら電動でとか。それも難しくなったら、人的援助をとか、そういう組み立ては、やはりその時期、時期にリハ介入しないと無理です。ということが分かり、最近では短期入院で集中的にリハを行い生活の見なおしをしています。

藤谷:そのときは医療でなさっているのですか?

小池:医療です。さらに、入院リハの結果を持って在宅チームは自宅の環境を整備し、リハエンジニアは車いすやIT機器を、SWは地域のマンパワーを再編し、その結果、住み慣れた地域での生活が継続できれば・・・うれしいですよね。

在宅生活の維持こそ、リハの技術が役立つと思います。


女医の子育ては仕事に有利か?

外薗:自分も女医さんと一緒に働いていますけど、あまり女医さんだからこそだな、というのは感じたことがないんです。ただ、小児を診る病院に行ったとき、やはり男では無理なのかなと感じる部分もあったりしました。先生が子育てを実際に経験された中で、仕事に影響や何か変化があったのか、やはり女医さんらしさが出るところがありますでしょうか。

小池:うーん、PT、OTでも子どもの分野は女性が、と言われることがあります。お子さんをPTやOTに連れてくるのはお母さんが圧倒的に多いので、同じ性別の、女性のセラピストのほうがお母さんは話しやすかったり。でも、子どもを育てたから小児リハがよく出来るかどうかということについては、私は違うと思います。

そもそも、男性でも女性でもリハに向いているか、医師に向いているかとかいうのがまずありますよね。性別より、本人の向き不向きのほうが大きいと思います。

妊娠、出産は女性しかできないという点、これはプラスでありマイナスです。お産のときの感じは男性がどんなに頑張っても、それは分からない。でも、私は私の子しか育てたことがないわけで、それだけの経験で、人に何か押し付けないように、むしろ戒めています。

経験できることは限られています。自身の経験したことも踏まえ、他者の生活をイメージできるか、という力が大事です。

私は一度RJNに言いたかった。子育てができるから女性はリハ医に向いているというのは誤解を招くよって(笑)。

藤谷:たしかに、母ならリハ医ができるわけではないです(笑)。ただ、育児イコールキャリアに不利、ではなく、そのことも医師として活かし得る、ということで(笑)。自分の経験だけでわかった気になってもいけないし、経験していなくてもイメージしないといけないんですね。

外薗:男だから、というのを言い訳にしちゃいけないんですね。


大事なのは経験と統合

野本:小池先生のように広い視野を持ちイマジネーションを働かせるためには、一つのことに凝り固まらないで、いろんな仕事の経験を増やすことが大事なんでしょうか。

小池:単純に経験するだけでなく、そこから何を抽出して生かすかということが大事ですかね。経験から共通項を導き出してこれる、経験から普遍的なものへと統合できないと難しい・・・。

藤谷:さっきの先生のお話だと、抽出するっていう作業の中では、やはりディスカッションが重要でしょうか。信頼できる人としゃべってみることが。

小池:私には医局の先輩がいましたが、そういったことを学ぶ上で、やはり仲間がいるというのは一つ大きいですね。セラピストさんとも結構そういう話が出来ると思います。

仲間と言語化してやり取りするというのは勉強する上で大事なことです。物事を見る「視点」は一つではありませんから、仲間のお陰で多様な視点に気づくことができます。


病院だけにとどまらないリハ医の仕事

大串:今まで行ったところは大学の施設で、人材をいかに育てるかというところがポイントだったんです。今日のお話は、実際リハはどういうところで、どういう活躍をしているのかということが非常に明確に出された気がします。

今、リハの専門医のあり方というのは検討されています。やはり教育病院にリハ科という診療科があって、直接入っていくというのは流れとして分かりやすいんですけども、ほかの科出身の方もいます。リハをやりたいという医師たちがその能力を最大に生かして働ける環境を作る為には、こういう複合的な施設や、連携を取る行政機関も大事で、そこにやはりリハ医がいることの必要性のアピール、特に先ほどの、表に出なくてもその人がいなければ成り立たないんだというリハ医もいるんだということをきっちりアピールするのもリハの専門医として大事な仕事なのかなと感じました。

それと、先生も今、子育てのことについては明言されましたけど、仕事も一生懸命されて家族の中でも役目を果たされてきたというところがあるので、それは子育てにかかわらず、家族のお世話とか介護とか、そういうのは社会生活、社会に目を向けることなんですね。

だから、病院の中で患者さんに向き合うだけじゃなくて、社会に直接向き合う場、いろんなものを買い物に行ったりとか、いろいろな医療制度の中でいろんな仕事したりとか、そういうのってやはりリハ医としては、患者さんに向き合う場面で、そういうノウハウを持っていることが、女性としては一つのメリットにはなるのかなと思うんです。障害があるとか、子育てがあるだけじゃなくて。だから、いろんなところに先生の知識、経験が生かされているのが本当によかったと思います。

小池:人と気持ちを共有するときには男性か女性かではなく、生活者である、というのは大事かもしれないですね。

大串:だから、どうしてもそういう部分では病院から離れたところ、患者さんのニーズはありますから、介護とか福祉とかいうだけではなくて、生きていくということに関して少し何かアドバイスできたり、患者さんの障害や気持ちに応じたアドバイスができるということもリハ医の一つの素質になるのかなと。

小池:こうやって働いてきてわかったことですが、結局人の人生って、時間を他人とシェアすることなんだと思いました。医師は、求められれば当直するのも当たり前、急患といえばもう何もはばかることなく急患の治療に専念できるじゃないですか。私は家庭を持って、それができない自分にイライラしましたが、でも、医師が時間に対する免罪符を与えられているわけではないですよね。医師が時間をすべて仕事に費やせるのはそのしわ寄せがどこかにいっているだけ。考えが足りなかった自分にやっと気づきました。

自分の時間がないとよく言いますけど、自分の時間って人とシェアするためにあるんですよね。

大串:すごくそれは大事ですよね。子育て中の若い先生におくりたいですね。

小池:もちろん、非常に狭い意味では、「ちょっと放っておいて。1人になりたいわ」みたいなときはあるだろうけど、それはそれとして、時間は人とシェアするためにある。嬉しいときは嬉しいし、悲しいのも、人といると軽減するし。

藤谷:最後にひとこと、インタビュアーの方、お願いします。

野本:先生の「障害がある方とずっと寄り添っていく」という姿勢が印象的でした。自分の診療では一時期しか関わらないことも多いので、患者さんの人生をもう少し長く見届けたい思いが湧いてきました。

外薗:先生がこれまで取り組まれてきたことやご経験されてきたことは、いずれ私も向き合っていかなければならない問題だと感じておりますので、お話を聞くことができ本当に勉強になりました。そしてその根底にある理念や愛を知り、大変貴重な気づきを頂きました。

野本:世界平和を目指す方はみなさん、こういう深い思いをお持ちなのではないでしょうか。

小池:そうですか?どうでしょう(笑)

外薗:そういう志を忘れずこれからもやっていきたいなと思いました。

藤谷:みなさん、ありがとうございました。