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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第16回「この先生に聞きたい!女性リハビリテーション専門医キャリアパス」

日時 2016年9月16日(金)
15時30分~16時10分 施設見学/打ち合わせ
16時30分~18時30分 インタビュー
場所 金沢大学医学部付属病院 リハビリテーション部(金沢市宝町)
ゲスト 染矢富士子 先生 (金沢大学医薬保健研究域保健学系 教授)
インタビュアー 尾木佑子 先生 (滋賀医科大学 リハビリテーション科)
小田桃世 先生 (札幌医科大学 リハビリテーション科)
司会 山口朋子 先生 (福井県立病院 リハビリテーション科)
オブザーバー 大串幹 先生 (兵庫県立兵庫県立リハビリテーション中央病院 リハビリテーション科)
中波暁 先生 (市立砺波総合病院 リハビリテーション科)
三苫純子 先生 (やわたメディカルセンター リハビリテーション科)

 

司会:今回は金沢大学の染矢富士子先生へのインタビュー企画です。皆様よろしくお願い致します。まず、インタビュアーの先生から自己紹介をお願いできますか。

尾木:私は滋賀医科大学リハビリテーション科に所属しています尾木祐子と申します。よろしくお願いします。平成11年卒で、出身も滋賀県です。ずっと整形外科医としてやってきまして、途中から小児整形外科に進んで、このまま自分は小児の世界でずっと行くんだろうなと思っていたときに、医局の方針で一般の病院にと言われて。転勤して1年過ぎてやっぱりもう少し自分のペースで、今までやっていたことを生かして患者さんと接しながらやりたいなと思って、いろいろな方に相談させてもらった時に「今はリハビリという世界もあるから」ということを言われ、目指そうかなと思いました。医局に辞めさせてくださいと言いに行ったんですけど、「そういうことなら、これから大学もリハビリ専門医の(研修)施設にするので帰ってきますか」というような感じで言っていただいて、この平成28年6月にリハビリテーション科所属で帰って、これからリハビリの勉強を始めるところです。まだまだ初心者なのでスタッフやセラピストとの接し方もお聞きしたいです。染矢先生も、はじめは整形外科におられたということをお聞きしていたので、何をきっかけにリハビリテーションの世界に入ってこられたのかという話をお聞きしたいです。よろしくお願いします。

染矢:こちらこそ、よろしくお願いします。

小田:札幌医科大学リハビリテーション科の小田桃世と申します。よろしくお願いします。私は19年卒で、卒後栃木県の独協医科大学に一回出ましたが、岩手県育ちでしたので岩手県立中央病院で初期研修を行いました。もともと脳卒中家系だったこともありまして、脳梗塞を見たいと思っていましたので、そこで神経内科の後期研修をしまして、そのまま6年間、岩手県立中央病院で神経内科に所属していました。神経内科の専門医を取って、ご縁がありまして、昨年の4月から札幌医大のリハビリテーション科に勉強に来ています。リハ科としては今2年目の状態です。脳卒中になった伯母がきっかけですけれど、おばあちゃん代わりのすごく大好きな方で、おそらく右の中大脳動脈の脳梗塞で、リハをまったくやらなかったらほぼ寝たきりになってしまった状況を学生時代に見て、やはりリハはすごく大事な分野だなと思っていたのもあって。もともと神経内科に所属しているときも、ゆくゆくはリハ科を目指そうと思っていたので、今勉強し始めたばかりですけれど、今日もすごく貴重な機会をいただいて、いろんな大学の良いところも勉強できたらと思いますので楽しみにしています。よろしくお願いします。

染矢:よろしくお願いします。私の職業上の本籍というのは、この隣に保健学類というところがあるんです。そこは、いわゆる看護師とか放射線技師、理学療法士、作業療法士、他にも検査技師とかの教育をやっている4年制のところです。そこの作業療法の主任をやっています。これが本職です。その内容としては、理学療法士、作業療法士の教育ですね。授業科目として運動学と整形外科、それから発達障害をやっています。その前には脳解剖を教えていたんですよね。だから本当にいろんな範囲を勉強しないといられない場所といえばそうですけれども、おかげでそれが患者さんの臨床にも生きています。講義だけをやっているわけじゃなくて、こちらの大学病院のリハビリテーション部の診療医を兼任しています。こちらでは、もうずいぶん昔から働いていますが、勤め始めた当初は、理学療法士、作業療法士よりも柔道整復師みたいな人たちがメインで活躍していた時代ですね。だからそのころからリハビリテーションをやっているんだと思ってください。くしくも今日は私の誕生日で。

司会:あら、おめでとうございます。

染矢:60歳。今日で還暦です。

大串:おめでとうございます。

(一同拍手)

染矢:まあ、どれだけ長い間やっていたかというのを感じていただければと思います。

 

リハビリテーション科の選択、研修時代、研究こと始め

司会:では、先生がリハを始められたときのことをもうちょっと教えていただいてもいいですか。

染矢:昔は初期研修がなくて、大学を卒業したら、いきなり自分の入りたい診療科に所属するようなかたちを取っていたんですよね。まずどこの診療科に所属しようかと考えていた時に、BST、ベッド・サイド・ティーチングというのがあって、リハビリテーションの話を聞いて、何となく面白そうだなと。そんなに医者もいないところだし、それなりに自分で好きなこともできそうだと。人のたくさんいるところだといろいろと制約が多いような気がしたので、そうじゃなくて、どちらかというと、のんびりやりたいというかたちでリハビリテーションを選ぼうかなと思って。その当時、リハビリテーションの仕事をしていた立野(勝彦)先生に、どうしましょうかと相談をしたんです。そうしたら、リハビリテーションのシステムがまだ十分に整っていないので、取りあえず整形外科に所属して、そこでしばらく勉強してからリハビリに移ったらいいよという話だったんです。だから、最初に整形外科に所属したのは、リハビリをやるための勉強期間の一つと考えていただければいいかなと思います。当時の整形外科の教授はそれを十分理解した上で、分け隔てなく整形外科の勉強をさせてくれたんですね。だから、手術室にも入ったし、麻酔科のローテーションもあったし、当直もさせられたしと、まったく他の若い整形外科(医)と同じようなかたちでしばらく働きました。おかげで整形外科の基本的なことが、そのときに十分、分かるようになったので、その後の仕事をするにあたって、とても楽だったなと思います。2、3年そんなことをしていて、今度はリハビリの勉強を外国でしてきなさいと言われて、ニューヨーク大学に1年間行きました。そこでレジデントの講義を受けさせてもらって、病院の計らいで、病院のどこをのぞいてもいいよと言われて、手術室であったりとか、大学の中にある義肢装具の製作室に行って、いろいろとつくっているところで触らせてもらったりとか、そんな1年間でした。もちろんレジデントと一緒にいた時間もあるんですけど、それは半分で、それ以外に自分で好きなことをやっていた時間が半分です。そこでは動物実験もやっていて、ネズミの骨格筋の研究をしてたんですね。私も興味があったので勉強をさせてもらって、データを出して、論文もそのときに書いたんです。日本に帰ってきて、こっちの金沢の教授に見せたら、大学院の2~3年目で「まだ大学院の年限があるから、これからまた学位論文を別に書け」と言われて、えっ、これ、学位論文じゃないのと。それで仕方なく、帰ってきてからも学位論文をつくるためにネズミの研究をさせられていたという状況でした。それを書き上げたところで、ようやく学位審査が通って大学院を卒業しました。ですから、私の学位論文はネズミの骨格筋の研究です。廃用性筋萎縮に関わるような研究をやらせていただきました。それとちょっと重なる期間があるんですが、当時、石川整肢学園というところがあって、ともかく勉強をさせてもらいに行きなさいということで、小児整形の勉強をしに行きました。手術室に入ったりもして、一通り小児整形の勉強をさせてもらったんです。なので、ここでもそれなりに子どもを診ることに自信が付いたかなと思います。その後、ようやく、大学のリハビリテーション部に呼び戻されて、その当時の助手(助教)になって、その後、今の保健学類といわれているところの准教授、で、教授というかたちで、今に至っています。

小田:じゃあ、一番始めにリハビリありきの整形外科所属というかたち。

染矢:うん、そう。

小田:ありがとうございます。リハの範囲は、小児から高齢者まで、疾患も多岐にわたると思うんですけれども、なかなか勉強の仕方が難しくて、どうしたら効率的にできるのかなというのを本当に悩んでいるところなんです。やっぱり症例を見ながら勉強していく感じ…。

染矢:そうですね。整形関連は自分の守備範囲だから、べつに人に聞かなくてもいいんだけれど、それ以外の範囲になると、やっぱりあまり分からない。自分で勉強するという方法もあるけど、今ここに勤めているリハ科医でもともと脳神経外科をやっていた先生とかに分からないことはどんどん聞くの。どんどん聞くと本に書いていないことも教えてくれるので、それで勉強していくという方法を採っています。あとはもうやっぱり本当に自分で勉強していくしかないけどね。現在メインの論文の内容は何かというと、膠原病の患者さんの心肺機能についてなんです。整形から全然離れてしまっている。これはいろいろと患者さんを診ていくうちに、そっちにだんだん興味が移ってきたので、誰にやれと言われたわけじゃなくて、自分でやりたいと思ったことをやっています。これは大きな組織の中に埋もれていないので、自分でやりたいことを自由にやれるから、実現できている状態だと思います。

尾木:先生は整形外科で整肢学園に行かれて、そこからリハビリに入られたのかなと思っていたんですけど、もともとがリハありきだったと。

染矢:うん、そう。

尾木:先生の仕事は多岐にわたっているので、どこで、どういうふうに、シフトチェンジされているのかなと思っていたんですけれど、じゃなくて、大きな道があって、その時々の興味のあることに突き進んでいっておられるというかたちなんですか。

染矢:そうそう、好奇心の赴くままに(笑)。それこそ私を指導していた立野先生は、ずっと私のスーパーバイザーでいらっしゃったんですけど、私がどこに興味を示そうが、もう全然オーケーなんですよ。軌道修正もしてくれなければ(笑)。(一同笑)

尾木:すごい大きな心で、ということですか。

染矢:そうそう。勝手にしろよ、お金は取ってくるから好きに使えと。それで、本当に自由に好きな勉強をさせてもらえたというところですね。

尾木:私、自分自身は研究とかが、どちらかといったら、あまり興味がないんですけど、さっきも強皮症の方の6分間歩行とかをやってデータを集めているっていうのを、麦井さん(注:金沢大学病院作業療法士)からお話を聞かせていただいたときに、そういうのって臨床だけど研究になるのかなと思って。私はたぶんネズミとかの研究はできないなと思ってるんですけど、そうやって臨床の中から研究のことを探していくという方法もあるのかなと、おふたりの話を聞かせてもらっていました。リハ医になろうと決めたんだけど、どういう方向に進んでいっていいかも、大海の中を今もがいているようなかたちでまったく分からないです。リハを専門にやられている先生が近くにいらっしゃらないので、機会があったら、そういう先生方にいろんな話を聞かせていただいて、自分の方向が少しでも見えてくればいいなと思って。

染矢:いきなり世界のトップレベルのテーマにたどり着くのはなかなか難しいので、まず身近な興味のあるところで、いったいどんな状態なんだろうというところから始めていけば、だんだん本道に入っていけるようになると思うのね。今はこういった英語の論文をたくさん出すようになったんですが、ここに至るまでには、日本語でいろいろと試行錯誤をして、周りからいっぱいアドバイスを受けて、それで、ああ、そうか、こういう考え方もあるんだなというところにたどり着いての結果なので…本当にこつこつとやっていけば、いつかは大きな花が。

尾木:まず興味があるところからですね。世界が広いので。

染矢:そうです。

司会:研究デザインなんかも長い年月で変わりましたか。

染矢:変わった。最初はどちらかというと…ここは大学病院なので、理学療法士とか作業療法士とかが結構自主的に自分たちでデータをいっぱい取るんですよ。取るだけ取って、まとめない(笑)。それはもったいないと思ったので、最初はその膨大なデータをその療法士から「どうぞ、どうぞ」と言ってもらえるよう許可を取って、まとめてみたら意外と面白かった。じゃあ、この次、こうなったらどうなるんだろうと、どんどん変わっていったというところかな。だから、いきなり自分でこれをやろうとデータを取り始めたわけではない。

尾木:もともとあったものを、まずは使った。

染矢:そうそう。最初は他人のふんどしね。ふふふ。

司会:今はもうちょっと計画的に、これを前向きに取っていこうみたいな。

染矢:そうそう、今はもう自分のやりたいことがあるので、さっきの麦井さんに、これとこれとデータを取ってと言ってやってもらっている。すごく協力してくれるので助かっています。

 

日常診療では苦手なことを人に聞きながら育ててもらう

小田:私は神経内科で育ててもらいましたし、岩手県にはリハ科医が足りてないので、岩手でリハ医の目線を持った神経内科にまた戻るかもしれない。リハ科がどれぐらい需要があるかによって帰った後に働き方が変わるかもしれない。私は逆で整形のこととか、他の小児の発達のこととかが分からないのが、どんどん焦ってきている時期でもあって、なかなかどう勉強したらいいのかなというのが、今すごく悩みの段階です。

司会:苦手なところはどうしたらいいんでしょう。

染矢:人に聞く(笑)。

司会:小田先生も聞いていますか。

小田:整形外科出身のリハの先生を捕まえて、写真から全部今は聞いていますね。自主勉強じゃなくて、やっぱり人から聞いたほうが私は入るタイプなので。

染矢:私もそう(笑)。

小田:本当にそうです。

染矢:私にとっては脳神経外科ですね。そこら辺は苦手で、一緒に働いている脳外出身のリハ医の先生にしょっちゅう聞いている。向こうも全然嫌がらずに教えてくれるので、そういった意味では仲間がいると、とても楽ちんかなと思います。自分で調べていっても、お門違いのところを調べていることがあるから合理的ではないし、聞いた上で、さらに自分で勉強したいと思えば、そこからの方が早道だと思うのでね。答えになっているのか、なっていないのか。

小田:ちょっと話が飛ぶんですけど、私も大学(札幌医大)に戻って、療法士のレベルにびっくりした状況で、なかなかもう追いつくことはないんじゃないかなと思うぐらい、かなり優秀な方たちばかりで。向こうも、リハ医ってどんなものだろうと思っている方もいると思いますし、働き始めてからどう認知されていくのかなというのが難しいなと思っているところです。やはり先生がお話しされていたように、同じような研究をしていくとか、臨床上での関わりが一番、お互いが歩み寄っていくきっかけになるのかなと思いました。

染矢:日常診療でも、療法士は療法士ですごく勉強しているから、そのレベルは大学の場合はすごく高いと思う。けれども、どうしても医者でないと分からないところもあるので、どうしたらいいのかなと悩んでいるようなところは療法士は聞いてくる。先生が持っている医学的知識は高いところにあるんです。特に、もともと神経内科でやっていた場合には、神経内科の分野の患者さんがいた場合に、どんな療法士にも負けないぞという自負はあるでしょう。

小田:何か自信が薄れてくる(一同笑)。実は大学は変性疾患が多いので、自分は脳卒中は診ていたんですけど、変性疾患はあまり診ていない、たぶん療法士の先生たちは診ているんだなと思っちゃうんです。

染矢:でも療法士さんは時々、この患者さんは、ステロイドはいつ入るんだろうとか、いつ切ってくれるんだろうとか。今は大学にいるけれども、そのうちに転院して、そこでいろいろと生活設計を立てなきゃいけないという場合に、その先でどんなことが行われそうだということは、その病気の一連の流れを知っている医者であれば、おそらくこういった治療がこれから行われるから、それに備えてこんなことを考えたらいいよというアドバイスはできる。

小田:そうですね。流れはわかります。

染矢:そう。療法士はそういう知識を欲しているので、お互い協力できる。

司会:中波先生(オブザーバー)、市中病院にいらっしゃって、整形外科からリハに軸足を移されたわけですけど、こんなのだったよとか、こんなのがいいんじゃないとかはありますか。

中波:私は整形(外科)がもとで、リハに変わりますと言ってリハになったので、本当にベースとしては整形しかなかったんです。私の場合は、もともとこの先生は整形だというのが、療法士のみんなには分かっていて、診察も整形の患者さんがメインで、まず簡単な人から、みたいに育ててもらった感じ。常勤でいると、入院の患者さんとか新患の患者さんとか、あとトラブルがあったときに、すぐに相談できるのは私になるので、「こんな人をどうしよう」とか、「今こういうふうに困っているんですけど、どうですか」みたいな話が来るようになって、ひとりひとり目の前の患者さんを診ることで、だんだん知識が増えてきたから、今は脳血管疾患の患者さんとか神経内科の患者さんとかも診たりはしています。始めたときは全然分からないことがやっぱりありますね。療法士もよく医者を見ていて、これくらいは診られそうかなとか、うまく症例を配慮されていたり(一同笑)。

尾木:私も、質問があるのは整形疾患の患者さんのことばかりだったり。

中波:そう、最初、この先生は、これは絶対分かるからみたいなところから聞いてこられていました。上手に育てられた。

尾木:それ、今すごく実感しています。

中波:医師的な視点は、重要です。MRIの情報や症状や障害との関連や予後の情報はリハに生かすことができます。

司会:三苫先生(オブザーバー)、何かありますか。

三苫:私もリハに転向してから長くないので、そんなに言えないんですけれども。今は回復期の専従医をやっていて、脳卒中の患者さんが結構多いんです。もともと私も整形外科医なので療法士には、聞けるところは何でも聞いて知識を得る。ただ、予後予測や画像とかの検査の解釈は難しいと思いますし、そこをメインにやっていく。あとは、患者さんは理学療法のスタッフの言うこともよく聞かれるんですけれども、やっぱり最終的には私の話をしっかりと聞いてくださるということなので。リハ科医は、出血したときは消化器外科に頼むこともありますし、それではリハ科のアイデンティティーって何だろうと思うときもあるんですけれども、オーケストラのコンダクターとみたてれば、専門の科はいろいろな科に頼んで、それを取りまとめて、一番患者さんの近くにいて、一番患者さんが分かりやすいように説明をする。それを目標にやっています。まだ道途中ですけど。

 

話題はワーク・ライフ・バランスからダイビング、スノーボードへと…

司会:ワーク・ライフ・バランスについては、いかがでしょう。

尾木:私、これまで何回かお昼の会(RJN懇親会)にも行かせてもらっていますけど、自分は独身で子どももいなくて、でも会に行くと、どうしても仕事と家庭の両立ということをたくさん言われて。「この会に参加させてもらっていいのかな」というのは、ずっと引っ掛かってはいたんです。この会(インタビュー企画)に呼んでいただいたときに、そんなことは気にしなくていいですと言っていただいたので、今回、来させてもらったのですが、皆さん、やっぱりご家庭を持ってやっておられる先生のほうが多いですよね。

大串:いろいろです。女性リハ科医には独身もいらっしゃるし、女性としてリハに関われるということで、その利点を生かしていけばいいので、いろんな立場で働きやすい、独身でも、子どもがいても働きやすいようにしないといけないし、やっぱりガラスの天井にならないように能力を最大限に使ってもらえればいいなと思っていますので関係ないですよね。もちろん子どもがいて旦那さんがいてもいいけど、そうじゃなくても人生はいろいろあるし、その人がその人なりの働き方が、女性であるが故に制限があるとまずいので、そこをサポートしようということです。だから、どんどん来ていただいていいと思います。

三苫:確かに独身だったりとか、あと男性にはハードルが高いですね。RJNって(一同笑)。

大串:ぜひぜひ、それは大丈夫ですから。

司会:そうしたら、先生は教授になられたわけですけど、ガラスの天井という言葉も出ましたが、女性で大変だったことっておありになりますか。

染矢:大変なことしかなかったけど。でも、それを言うと、もう本当に武勇伝になるから、そんなのばかり聞きたくないという人も結構いるし。

大串:もし先生がこういうつらいことがあったとか、こういうのを乗り越えたということがあれば、彼女たちに伝えていただければいいと思います。ここは彼女たちにとって、インタビューで一番大事なところかもしれません。何か役に立つようなこととか、経験で伝えたいこととか、先生が自慢に思うことでも何でもいいです。

染矢:そういう話なら山のようにある。環境が整わないと、いろんなことはできないのに、その環境を整えるのにすごくみんな苦労していると思うので。私は子供が4人いるのね。

尾木:お子さんを産んで、育てていくのは大変だったけど、4人行こう!と思われるのは、それだけ子育てもすごくいいし、家族と一緒にいることもすごくいいからだと思うので。

染矢:若気の至りで(笑)。何も考えずに産んだみたいな感じ(笑)。

中波:途中で仕事を辞めようと思ったことはないですか。

染矢:ない。一回もない。大変だったけど、自分自身が健康だったから乗り越えられたというのがあるかな。だから、普通だったら本当に、周りの人が大変だねと言われるようなことも、あまりその当時はそれほど大変だと思わずに来られたので、だから辞めようという気にもならなかったんだと思う。

中波:すごいですね。

大串:先生は、お仕事以外で何か趣味とか。

染矢:たくさんある。学生時代はスキー部に入っていて、主人も実はスキー部だったので、部活つながりで結婚したの。もちろん結婚してからも、子どもも無理やり連れていって(笑)、楽しむだけ楽しんだんですけれども、もうだいぶ年になったので、私もしなくなったし、子どもは自分の好きなときに勝手に行っているし、みたいな感じ。スキーの代わりに始めた趣味がダイビング。もう隙さえあれば行っている感じですね。

中波:北陸とか、この辺でも潜られるんですか。

染矢:この辺の海は寒いので(笑)。最北端が沖縄。沖縄よりも南。何年か前にメキシコでリハ学会(ISPRM)があったんですけど。メキシコに行って。

中波:すごい。メキシコ。ダイビングポイントがあるんですね。

三苫:カンクンでしたっけ。バディはご主人なんですか(一同爆笑)。

染矢:そのときのバディは私の娘でした。

中波:ああ、いいですね。

染矢:メキシコの海は、いわゆるカリブ海の海なので、海の色も違うし、棲んでいる生物も違う。だから、ぜひそこに行きたかった。メキシコにあるダイビングポイントで、独特なのが洞窟ダイビングというのがあって。

大串:すごい、何でしたっけ、湖で深く落ち込んでいるところがあるんでしょう。メキシコって石灰岩だから。

染矢:そうそう。淡水の泉なんです。もともと鍾乳洞だったところ。塩水と混ざっている。

尾木:そこに入っていかれたんですか。

染矢:そうそう。そこに後から水が入ってきて、洞窟の中が水浸しになっている。そこを潜るダイビングがメキシコでは盛んなんです。そこは鍾乳洞で石灰岩なので、ものすごく水が浄化されてきれいなんです。だから、透明度100メートルって想像がつかない。

三苫:北陸は5メートルぐらいですか。

中波:北陸、5メートル。砂とかで。

大串:そうなの。琵琶湖は10センチぐらいで、足が見えない。

中波:じゃあ、潜っているけど。

染矢:水がない感じになる。錯覚しちゃうの。

中波:へえ、じゃあ、空を飛んでいるみたいな感じで。

染矢:そうそう。話を聞くと行ってみたいでしょう。

三苫:行ってみたいんですよ。ずっと行ってみたい。先生の話を聞いたんですよ。滋賀県で海というと琵琶湖なんですよね。海に行くよと親に言われて琵琶湖に行っていた。

尾木:(琵琶湖は)視界が全然ないので、水の中で目を開ける習慣もなくて、学校でプールが始まったときに、みんなは何で真っすぐ泳げるんだろうと思ったら、みんなは目を開いていると言われて。

一同:ははは。

三苫:ダイビングを始められたのは、ちょっと遅かったとお聞きしたような気がしたんですけれど。

染矢:スキーをやめてからだったので、もうだいぶ年が行ってから始めている。今日60歳になったけど、10年ほど前。

三苫:何本、潜っておられるんですか。

染矢:500本。

一同:ええっ。

染矢:やめられない。

尾木:だって最北端が沖縄って言ったら、1回にかかる日数はかなりですよね。

染矢:まあ、行くところにもよるんですけど、時差のあるところだと長くなるんですが、時差のないところだと、そんなに。休みはそれ以外に使わない(笑)。

中波:大学の先生って、やっぱり講義をしたり、臨床をして、外勤も行って、それから学会の発表とか研究をして、学会の仕事もありますよね。「どこにそんな暇があったのか」みたいな感じで今思っていたんですけど。

小田:それで500本ってすごいですよね。

大串:バイタリティーがあります。いろんなことを乗り越えてこられているから、スキューバにのめり込むのこともできるんだろうと思いますよね。人生としてすごく充実していると思います。

染矢:スキーも、やっていたときは、やっぱりものすごくのめり込んでいて、国体強化選手になっていた。

中波:おお、すごい。そうだったんですか。

染矢:だから、やるとなったらやります。恥ずかしいけど。

大串:体力づくりがまず大事ですよね。そう思います。

尾木:パワーがあるから、仕事も子育ても趣味もできはるんやなと思った。

染矢:私のちょっと上の先輩なんですけど、金沢大学出身のお医者さんで、「仕事をするときは一生懸命仕事をする、遊ぶときは死にものぐるいで遊ぶ」と言われて、それを実行しているわけじゃないけど、かなりそれに近いことをやっているから。

尾木:納得しました。

司会:その言葉が残っているということは、素晴らしい先生ですね。

染矢:なかなかそういうことを言う先生はいないなと。ユニークな先生だなという感じで見ているんだけど、私が遊ぶときの言い訳にしている。ふふふ。

尾木:自分も、仕事が乗っているときは、そんな忙しい中よく遊びに行けるねと言われたけど、仕事をわっとして、夜通し車を走らせて。私はスノーボードが好きで、土曜日は普通に診療して、土曜日と日曜日の日付が変わるときにみんなで集合して、車で新潟まで雪を求めて走る。日曜日は1日滑って、月曜日に日付が変わるぐらいに帰ってきて、次の日に仕事をするというのを結構やってました。そういうパワーがあるときって、たぶん仕事にも100%、遊びにも100%って行けるんだろうなと思うんだけど。ここ数年の今の自分は、仕事もどうしようという感じだし、それだからプライベートもエンジンがかからないという感じなので、また仕事にエンジンがかかり出したら、自分もそうなりたいなと思います。

大串:1回できたから、またできますよ。

染矢:この年でもはまっているものがあるので。

尾木:体力もなくなってきたし、そうやって遊ぶことに興味もちょっと薄れてきているのもあるし、仕事もやっぱり乗らないとあかんのかなと思って。染矢先生のお話を聞いて、仕事をがっとやって、仕事に乗ったら、また遊びの楽しみもできるのかなと、今ちょっと思ってきてですね。どうしよう、次お会いしたらダイビングにはまってたり。

一同:あははは。

小田:やっぱりプライベートも仕事も充実、先生のおっしゃるとおりだなと思って聞いていたんだけど。結構たぶん1年目、2年目で、もしかしたら悩む時期が、先生にもそういう時期はありましたか。大学院の辺りとか、すごくお忙しかったのかなと思って聞いたんですけど。家庭も仕事も忙しかったんですか。

染矢:まったくしんどくなかったわけではないけれども、乗り越えられるだろうと思った。不確かな自信(笑)。

尾木:私もそれは大事だと思う。それが持てないから、私はたぶん今ね・・・。

染矢:本当にね。例えば食事の準備をして子どもに食べさせて、その後にお皿を洗わなきゃいけないというときに、この山のようなお皿は本当に片付くんだろうかと思ったことは何回もある。何回もあるんだけど、1枚1枚洗えば、無限じゃないんだから、いつかはなくなると言い聞かせながら洗った。流しの中のお皿は、洗ったら洗った分だけ、ちゃんと確実に少なくなっていくの。

司会:それはやっぱりお仕事にも役立ちましたか。

中波:どんなにたくさんあるように見える仕事でも、一つずつやっていけば、ちゃんと片付いていくという話。

染矢:あんまり思わない。お皿はそう思ったけど(笑)。

司会:先生、私は今論文を書いていて、リジェクトされて、また書かないといけないんですけど。

染矢:うん、書けばいい。リジェクトなんて、そのうち慣れてくるから。若いうちって本当に前が見えないんで、私も、それこそ一生懸命小さい子どもを育てている間なんて、どうなるんだろうというのは分からないまま、ただただ闇の中を歩いていたという、そんな状態だったので、それをどれだけ我慢して乗り越えられるかというのは、将来的に振り返ってみて、ああ、あのときはああだったんだなという感じになると思う。だから、今やっていることについて自信がなくても、それでもいいから、ともかく少しでも前へ進んでいけば、何かしらいいことがあると思うんです。

小田・尾木:ありがとうございます。

染矢:本当に、あのお皿を洗っていたころのことを思うと、そう思います。

中波:旦那さんが忙しくて、ほとんどいないときに4人の子どもを。だって、ご飯を食べて寝かすだけでも本当に大変ですよね。自分は服を着たまま、シャワーだけ、みんなをじゃぶじゃぶってやって、ぽいみたいな。

染矢:だから、みんな同じ経験しているので、そういう意味では、そんな特別なことをしているわけではない。

三苫:4人は結構、特別な気がするんですけど。

一同:あははは。

司会:さて、最後に感想をいただくんですが、先生方からお願いします。

尾木:本当にいろんな先生のお話とかを聞いて、興味のあることから1個ずつこつこつとやって、困ったら、ここにおられる先生方に聞こうと思います。ありがとうございました。

小田:たぶん悩みが先に出ちゃって、あまりこつこつではなくて、そこで止まっている状況だったと思うので、あまり頭で考えすぎず、手足を動かすようにして一つずつ進んでいけるように、できて、先生方ともまた学会等でお会いできるように頑張りたいと思います。ぜひよろしくお願いします。

染矢:楽しみにしています。

中波:私は大学で研修していない関係もあって、染矢先生とあまりお話しする機会がなかったし、本当にこういう機会を持てて、とても楽しくお話を聞けて良かったです。小さなことからこつこつと。肝に銘じます。

三苫:染矢先生、たくさんやることをされていて、立派な道を進まれていると思うんです。でも、それを自慢することもなく、私みたいな人のこともよく聞いてくださって、アドバイスをくださっているという、そういう余裕はどこから来るのか。すごいと思うんですよ。論文も書かれているし、大学の教授にもなられて。すごいんですけれど、雰囲気が優しい。

染矢:オーラがない(笑)。

三苫:じゃなくて、下の人が下から見ると、すごく相談しやすいんですよね。

染矢:いや、何ていうの、いくつになっても自分は初心者だと思っているので、たぶんその影響かなと思います。自分より年下の人に(自分の知らないことを)質問することは全然苦じゃない。だから、そこがそういうふうに感じさせるところなのかなと思います。

三苫:いろんな立場の方に本当に分け隔てなく接されているし、ここのスタッフも先生に習った生徒ですよね。だから学校ではすごく怖いと思っていると思うんですけど、現場ではコミュニケーションもすごくしっかりされていて、すごく慕われていますよね。

染矢:どうなんだろう。本当に慕われているのかな。

三苫:たぶん、慕われていると。大学教授と生徒なんていったら、本当に差が、間があると思うんですけど。私から見ると、全然そういう感じには見えず、気さくに話されているのはすごいなと思っていました。また染矢先生の1割でもできるように頑張りたいと思います。

司会:大串先生、最後に、ここでお願いいたします。

大串:ありがとうございます。染矢先生、本当にありがとうございます。女性のリハ科医って、そんなに多くなくて、学会の中でも、実は9割ぐらいが男性で、女性は少ないんですよね。でも、専門医になると女性が2割を超えるようになってきて、やっぱり女性のリハ医はすごく頑張っているんだと思うんです。リハは女性が有利なところも多くて、医師が生活視点とか病気の経過とかをちゃんと示せることでリハの質も上がってきますので、そういう点では男性医師に生活視点が足りないというわけじゃないですけれども、女性医師が、子育ての経験とか、お皿を洗うときにどういうところが問題なのかとか、そういう男性でない視点がもっとリハに入ってくると、さらに患者さんが良くなっていくことができるんじゃないかなと思うんですね。今日は、実は感動しました。先生がパワフルで前向きなんですよね。最初からリハをしたいと思ってくださったのも、もちろんそうだし、整形から行きなさいと言われて行った先生が悪いというわけではないけれども、やっぱりリハを最初から最後までやっていて、そしてパワフルで、いろんなものに興味があって、仕事の内容も多岐にわたる。実際のプライベートも、子育ての家庭の主婦のお母さんの立場から、スキューバとか、スキーとか、先生のいろんな面を大変楽しく聞かせていただけたなと思っています。先生ほどなかなかパワフルにはなれないけれども、そうして良いライフワークをつくっていらっしゃる先生は力強いロールモデルだと思うので、これからも皆さんの相談に乗ってあげていただければうれしいと思います。よろしくお願いします。

染矢:よろしくお願いします。

司会:ありがとうございます。

染矢:じゃあ、私は大串先生のプライベートを聞きたいな。

一同:あはは。

中波:じゃあ、これは・・・食事会で詳しく。

司会:本当にありがとうございました。

尾木・小田:大変貴重な時間をありがとうございました。