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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第9回「この先生に聞きたい!」女性リハ科医キャリアパス

日時 2014年2月28日(金) 16:00~18:30
訪問先 昭和大学医学部リハビリテーション医学講座
ゲスト 水間正澄 先生(昭和大学医学部教授 日本リハビリテーション医学会理事長)
インタビュアー 白井幹子 先生(札幌西円山病院)
溝口惠 先生(佐賀大学医学部附属病院)
司会 藤谷順子(国立国際医療研究センター病院)
オブザーバー 大串幹 先生(熊本大学 専門医会幹事)

藤谷:本日はお忙しいところ、水間理事長におかれましてはお時間をつくっていただきありがとうございます。まずは、インタビュアーの方に自己紹介をしていただきます。

白井:白井幹子と申します。札幌医大の卒業です。学生時代の授業のポリクリでリハ科医になろうと思いました。初期臨床研修は札幌医大で2年間、そちらでお世話になった横串先生に紹介していただき、3年目からは慶應大学に入局し、専門医を取るところまで勉強させていただきました。専門医を取り、「地元に戻りたい」という気持ちがもともとありましたので、恩師の横串先生が働いておられる西円山病院に戻って現在に至ります。よろしくお願いします。

溝口:佐賀大学の溝口惠といいます。私は医師になって6年目で、はじめは産婦人科を目指すつもりだったのですが、初期研修の頃に、内科のローテーションをして神経内科にひかれました。それからジェネラルなことに興味が移り、初期研修2年プラス3年間、内科のローテーションをしていました。ローテーションの中で、聖マリア病院という福岡県の久留米市にある病院に行き、そこの回復期の病棟でトータル8カ月、井手睦先生の下で勉強をさせていただきました。そういうご縁もあって、今年は佐賀に戻ったのですが、大学のリハビリテーション科のほうで1年間さらに、急性期リハの研修をさせていただいています。よろしくお願いします。

水間:よろしくお願いします。

リハビリの世界に入るきっかけ
リハマインドとは
卒後教育
卒後研修と地域の問題
サブスペシャリティとは
病院完結の時代のリハ科医
学生の勧誘
座右の銘・人生の目標
息抜きは音楽
まとめ


リハビリの世界に入るきっかけ

藤谷:それでは、さっそくですが、御質問をどうぞ。

溝口:水間先生が、リハビリの世界に進まれたきっかけなどをお伺いしたいと思います。

水間:僕はもともと内科医になろうと思っており、呼吸器内科に興味がありました。ところが医学部5年生のポリクリで一番最初に廻った整形外科で、2週目の終わりの頃に養護学校(現在の特別支援学校)を見学する機会がありました。整形外科は手術中心だと思っていましたところ、当時の整形外科の助教授が校医として障がい児のお母さんや養護教諭の相談に応じたり、車椅子や装具の作製に立ち会って指導や指示をしているのを見て、このような領域があり、このような医師の関わり方もあるのかと思いました。

一番最初に廻った科でのその鮮烈な印象、新しい医師の世界があることを知り、その後に全部の科を廻ってもその印象が強く残っていて、整形外科の医局長に"整形外科といっても骨折や手術には興味があるわけではないのですが、自分はこういうこと(リハ)に興味を持っています"とお話しました。当時大学の整形外科は福島県の太田熱海病院(リハ中心の病院)に関連病院として医者を派遣していたことや、養護学校や近隣の施設などにも関わりを持っていたので「君の希望のことができるよ」といわれ、「それなら」と入局することに決めました。

入局してからはいくつかの病院で研修を受けましたが、整形外科医としての研修が中心ではありましたが、どこの病院でもリハを担当するのは整形外科医でした。それで脳卒中片麻痺患者も数多く診る機会を得ましたが、患者さんに対しても家族に対してもどのように対処したらよいのだろうということばかりでした。本格的にもっと勉強しなきゃ駄目だなと医師になって2年目の1979年にリハ医学会に入会しました。ですから、障がい児を診るということがスタートでしたが、障害を対象とする医者というイメージは最初からあったように思います。

溝口:どんな研修をされましたか?

水間:入局してから間もなくして関連病院への研修に出ましたが、医局に戻ってからは大学のリハ診を担当している先生の下について指導を受けはじめました。ちょうど入会したころに中伊豆リハセンターで第一回研修会の案内があり、それに飛びつきました。3~4泊の泊まり込みの研修会でしたが大変刺激的であり、リハ科医の素晴らしさを改めて認識することができリハの道に進む決意を固める機会となりました。それからは、学会が全国各地で開催していた様々な領域の研修会に参加いたしました。最終日には試験もあって勉強になりましたし、このような研修会を通じて多くの先生方(講師や受講生)と巡り合えたことも大きな財産となっています。


リハマインドとは

白井:先生が考えられるリハマインドというのはどういった事柄になるとお考えですか。

水間:リハというのは患者さんの「暮らし」を支えるということを基本に考えてゆく医療であると考えていますので、「暮らし」を考えること、理解することがリハマインドかなと思っています。ですから、より広く深く知るためには、医者1人ではなくたくさんの仲間と共にその患者さんや家族を、深く広く理解するという意識をもちたいと考えています。

溝口:暮らしを支えるというのがキーワードなのですね。

水間:障がい児たちの「暮らし」というのを知らずに、目の前にいるお子さんの強い痙縮を何とかしようということだけにとらわれては駄目だと思います。われわれは薬物療法をはじめとして、車椅子や臥位でのポジショニングなどでも緊張を軽減するとかリラックスさせるという方法を考えると思います。しかし、それぞれの「暮らし」の中ではご本人はもちろんのことですが痙縮に伴う疼痛のため夜も寝ることができないお子さんのために、お母さんは夜中でも何度も起きなければいけないようなことがあるわけです。当然ですがそのようなことも理解しておかなければなりません。

また、高齢者に対しても、「もうお年ですからね」というような考えを持っていては駄目だと思います。やっぱりその方の人格、その人が家に帰ること(元の暮らしに戻ること)の意義や価値、例えば家族やその地域にとって支えになっていることだってあるはずです。目の前の病気で衰えている方を見て、家族も面倒見るのは難しそうだ、90歳のお年寄りであればこの程度でもよいか、などとつい考えてしまうこともあると思います。それぞれの「暮らし」のなかで存在意義、役割を考えてみることもリハマインドといえるのではないかなと思います。

医学生に対してはこのようなお話を良くしますが、そういう話は他の科では聞いたことがないとよく言われるんです。学生実習で一番力を入れているのは、患者さんが戻って行くであろう「暮らし」の視点ですね。この病気になる前、けがをする前の患者さんの「暮らし」を本当にイメージできますか?ということです。このことは、リハ科だけではなくどの診療科の医師にも必要なことです(医療法でいう良質な医療の提供の一つの要素です)。

イメージできたとしたら今度は、今の状況でイメージしたその人の生活に戻すことはできるのか、元通りにできなくともどれだけ近づけることができるのか。かなり難しいとしたら、今度はその人の考えを理解しながら、できることを一つでも見出してあらたな役割、目標などを生み出すお手伝いをするとかですね。これがリハビリテーション医療の役割になるのではないかと思います。

「リハ科医は大きなお節介だって言われることがいくらでもある」昔、石神先生にこのように言われたことがありますが、基本的にはそうなのだろうと思います。でも、できることを一つでも増やしてあげるというのは、我々しかできないだろうなと思っているんです。

今、知的障害の子どもたちを診ていますが、学校の先生が「この子はこれしかできなくて…、卒業後は…ですよね」といわれると、ときどき「うーん、そうかな」と思うことがありますね。 障がい児のお母さんから時々聞くのですけれど、わが子を発達評価などの数字だけで判断されてしまっているようで…。この子はこのことはできそうだ、というのを、何かヒントを与えて一緒にやってみましょうと進めると、良い結果が出てくることがあります。日常の観察などからその人の価値とか、可能性やできることを見出すといった視点もリハマインドなのかなと思っています。


卒後教育

溝口:大学ではどのようにリハ科医の教育をされていますか?

水間:先に、他科からリハに転科してくる人の話をしますね。そのような方には、在宅とか訪問診療を体験していただくことを必須にしています。入ってすぐの人は訪問リハなどの指示を出すことは難しいですから、リハ科医としてではなく、内科など元の科の経験を生かした訪問診療に行ってもらっています。今までは病院内での専門領域診療のみで、患者の自宅(暮らしの場)を見たことない人が多いですから。

藤谷:まず、暮らしを見せるという洗礼をする。

水間:そうそう、暮らしを見せる。独り暮らしの片麻痺の患者さんの部屋を訪れて、床から湯気が立っていて畳が湿っているので、なんだろうと思えば尿器のおしっこをこぼしちゃったとかですね。そういう所にも入っていかなきゃいけないわけですよね。ちょっとしたことですが、それが患者の日常です、そのようなことを、実地教育での具体的なスタートにもしています。

例えば、皮膚科からの転向した女性医師がいらしてますが、訪問診療で主に皮膚科診療を中心に廻らせてもらった。訪問してみると、治療すれば治る皮膚疾患でも身体的な状況で病院に来ることができずに治療の機会がない人が居るということが分かり驚いたといっていました。通院可能な状態にするといった面からもリハ科医が必要だし、我々がそういう所へ出ていくという意味もあるということです。そのような経験を重ねていって、住環境とかに理解ができてくると入院患者を診ても、どういう所に帰っていくんだろうとか、どういう人が一緒に住んでいるんだろうとか、そういうことも自然に考えるようになりますよね。

藤谷:訪問から帰ってきたときに、先生や笠井先生(昭和大学江東豊洲病院)みたいなリハ科専門医とお話するわけですね。


病院をご案内頂いた笠井先生と

水間:そうそうこんな人がいましたよとか、脊損の人を診てきて、あの人の褥瘡は早く治ると思うので、在宅でなく入院で治療しましょうということになったりする。それが貴重な経験になるので、プログラムということであればスタートとして必須にしています。

溝口:面白いですね。私は、大学では、いろいろなリハの分野をそれぞれ学ぶようなプログラムがあるのかとばかり思っていました。

水間:もちろん勉強会はやっています。新人が入ると、日常診療の指導に加えて、月1回か2回程度、レクチャーとか、実技的な場を設けての指導も行っていますし、お互いを被験者にして神経心理テストなどもやったりするわけです。

あとは臨床経験ですね。指導医とのマンツーマンでのOJTを基本としますが、回診をしながらこの患者さんは○○先生に診てもらってくださいとか、まんべんなく症例を経験してもらえるようなことはやっています。リハ科医の研修手帳で1年次、2年次って書いてありますが、頻度の少ない症例などを経験する機会があるのだったら、すぐに経験してもらったらいいなと思っています。重複障害の方などはちょっと応用編かなと思いながら、指導医にサポートしてもらいながら受け持って、退院しても、外来は診るようにするとかですね。

溝口:そこは先生が教育的にちょっとチャレンジングな症例を当てているということですか?

水間:そうですね。それで、その症例に必要なことを勉強するのが大事です。また、暮らしに戻ってからの様子を見ることも大切にしたいと思っています。


卒後研修と地域の問題

白井:私は、北海道の大学を卒業して、卒業大学にもリハビリの医局がありますが、リハ科医として歩みだすに当たっては、大きなところに飛び込んで、勉強させて頂きたいと思って、私は関東で研修をしました。色々な病院を経験させて頂いて、行く先々で多くのリハ科医の先生方にお会いして勉強させて頂いたということが私にとっては大変大きかったですね。

水間:理事長の立場から言うと、中央ばかりではなく、地方における研修の充実を考えたいですね。もちろん東京に出てきてもらってもよろしいのでしょうけど、それを何とか地方でも施設間の壁を越えてできるようにしたいと思っています。僕自身、専門医の勉強は医局では難しかったので、さっきお話した学会での研修会と、あとは慈恵医大の米本先生、防衛医大の石神先生が中心のリハビリテーション・ジョイント・カンファレンス(RJC)のご指導は大変勉強になりました。大学の壁を越えて、症例の相談にものっていただきました。それにあたるようなものが地方会にあるのかなと思います。地域内で人材を育成しようと努力されている県もありますよね。

大串:そうですね。

水間:地方会ってそれぞれ歴史がありますよね。北海道の地方会は学会誌まで持っていてすばらしいと思います。

白井:でも現段階では、関東で勉強させていただいたことを、地元へ持ち帰ることができ、本当に良かったなと思っています。

水間:そういう地域を越えた交流などもよいことだと思います。今度、新しい専門医制度では病院群になりますけど、その研修プログラムの中でも行われてもよいと思います。

大串:これまでの国内留学のようなことですね。

水間:僕は地域で活躍するリハ科医が絶対に必要で大事だと思っています。学会としてもそういう取り組みは始まりました。この間、徳島県で開催した一般医家向けの研修会が好評だったんです。終了後に講義をした先生と参加した先生が名刺交換をしながら、何かあったら先生の所に相談しますなどとお互いに言えるのがいいですね。リハ科専門医とかかりつけ医との連携のきっかけづくりですね。


サブスペシャリティとは

溝口:リハの中でも、神経内科疾患を主にするとか、切断とか、専門的にしていくことについてはどうお考えですか。

水間:サブスペシャルティのお話をすればいいのでしょうか?

溝口:はい。

水間:学会としては、リハが基本領域ですので、その中のサブスペシャリティ領域をどうするかはこれから検討してゆく段階です。

われわれの医局でいえば、たとえば在宅医療は1つのサブスペシャリティととらえています。だから在宅医学会とかそういった学会にも入る方もいるわけです。そこでリハの専門医として学会発表もしているんです。そうすると在宅医学会の中でリハの発表はほとんどないので、学会参加者への啓発的な意味も含めてすごく意味があると思っています。サブスペシャルティっていうと、どうも疾患別縦割りのイメージがありますが、そういうことではなくてもよいのではないでしょうか。われわれは横断的に診療することができるし、複数の病気が重なっても我々の視点での診療ができます。障害を持った方々の高齢化もこれからの課題となりますが、それは私たちにしかできないことなのです。


病院完結の時代のリハ科医

溝口:先生がリハ科医になられた頃と、今との違いはありますか?

水間:僕がリハ科医になったころは、病院完結型医療の時代です。つまり入院の後も外来で継続的に診ることができていた時代です。自宅での生活など退院後の様子もわかるから、新たな入院患者にもそれが生かせることがあるんですよね。それが今は、地域完結型医療の時代となりましたから急性期病院から回復期リハ病棟に移って、そこで自分の手を離れてしまうんですね。もちろんこのシステムにも良い点はあるんですけど、リハ科医師が、自分の役割はここで終わったと割り切ってしまうと、リハの魅力とはなんだろうと感じてしまう可能性もありますね。

大串:回復期でのリハビリテーションは充実していますが、そこまでで終わってしまい、在宅でもっと良くなっていくようすがわからないということがありますよね。

水間:去年カナダから失語症の診療をしている先生が大学にいらして話す機会があったんですが、僕が大体7、8年は継続して診ている方もいますってお話ししたら、私の所は10年以上診て、まだ良くなる方がいますと言われました。先生方もきっとやっておられるでしょうけれど、失語症の方って外来診療を続けていると日記を書いてきてもらったりして、それをネタにコミュニケーションすることもありますよね。それをひと月とか、ふた月に一回ということでも、変化してくる部分がありますよね。

がんの患者さんも、在宅に帰った後に家へ訪問したことがあったのですが、とても良かったなと思います。在宅で看取りの方も、退院後に再び病院に戻ってくる方もいるわけですけれど、たとえ短期間でも自宅での生活の密度が濃くて、いかに早く生活の場に戻すか時間が勝負だというのがよく分かりました。どうせ病院に戻ってきてしまうからと思ったり、どうしようかなと迷っているよりも、思い切って進めることができる、またしなければならないのがリハ科の医者だなと思っています。かなりの患者さんに対して主治医にかわってそのようなICをして在宅退院を進めました。

僕がよく、学生の勧誘のときに話すのは、うちのリハ科はこんなことをする医者の集まりですっていいます。そのような医者が他に居ますかというと、そうはいないですよね。


学生の勧誘

白井:私は9年目ですが、私のあと、大学からリハを希望する学生がほとんど出ないんですね。転科してくださる先生はたくさんいらっしゃるのですが、学生のときからリハ科医を目指す人が少ないので、私のように医局に入っているわけではない人間が、学生のリクルートのために、どういう工夫ができるのかなと思います。

水間:そうですね。私たちの医局で意識しているのは臨床医としてのリハ科医の姿が本当に見えているか、見せることができているかということですね。

藤谷:白井先生は学生さんに会うチャンスはあるんですか。

白井:初期臨床研修の地域医療枠で、1年間に1人か2人、そういうペースですね。

水間:地域・訪問はいいですね。我々リハ科医はそういう人たちに対しての強みがありますから。在宅で、うちのおばあちゃんが起きられなくなっちゃった、立ち上がれなくなっちゃったといったとき解決することができるのはリハ科医ですよ。そんなとき、ちょっと座っているお尻を前に出して足を少し引いて、手の着く位置をく前方にして、前傾でお尻を持ち上げる動作から始めると、あら?って、立ててしまうわけですね。

藤谷:運動学ですね。

水間:そうそう。運動学だけがリハ科医じゃないですけど、少なくとも、そういうことを指導するお医者さんはいないですからね。

大串:関節リウマチの方のTHAやTKAといった手術前後のリハの際にお会いするんですけども、お話しをお聞きすると今まで一度もリウマチのリハというのを受けていないという患者さんも結構おられます。関節保護法や基本的な生活指導など、あらためて教えると、とても感動されることがあります。

水間:そうですよ。対応する人が居ない領域というのは本当にそれぞれの科にあるんですよ。以前ある先生がリハ医療は隙間産業だって言っていました。隙間産業の隙間がどんどん増えちゃっているのかもしれないし、隙間ではなくなって主流になって・・・(笑)。


座右の銘・人生の目標

溝口:先の座右の銘、というのはどんな言葉ですか?

水間:座右の銘?

難しいですね。座右の銘を言ってしまうと、その後の行動などに責任があるような気もするので。淡々とやっていくことで、自分らしさが出ることで良いんじゃないかと思っているんです。

藤谷:卒業生に色紙とかお書きになることはないんですか。

水間:滅多にありませんがそういうときは、僕は「あたたかな心」と書きます。

溝口:温かな心。

水間:言葉としてはそんな感じです。温かく接してあげることができればいいのかなと思います。

白井:先生の人生の目標についてお伺いしてもいいですか?

先生はお仕事もすごくたくさんされているし、お仕事以外のことでも構わないのですけれども、今後の人生で何を目標とされているかというのをぜひお伺いしたいと思っていたんです。

水間:人生の目標とはちょっと違うんでしょうけど、医者としてとすると、医者になったときからずっと、これからもいつまでも変わらないでいたいと思っているんです。自分自身も変わらず、周りからも変わらず、おかしいことはおかしいよって指摘してほしいということですかね。それが望みなんです。

溝口:お仕事の内容としては?

水間:僕は医者になった頃は、平凡な勤務医でいたいなと思っていたんです。ところが今は、開業医(地域のかかりつけ医)ってすごくやりがいがあるなと思い始めたんです。今、土曜日に月1回くらい1日時間を取って、ずっと長く診ている患者さんを診療しているんです。一人ひとりの患者さんに時間をゆったり取って、装具士さんも来てくれて車椅子業者さんも来てくれる。それが充実しているから。

藤谷:基本的に患者さんを診るところに帰っていかれるんですね。

水間:ええ、今は時間がないのでそれが一番つらいんですけど。


息抜きは音楽

白井:先生はお忙しい中、どのようなことで息抜きをされていらっしゃいますか。

水間:結構、音楽を聴いたりしていますね。ジャンルなしでなんでも。インターネットで聞いたりもしていますが、選曲すると関連した曲がいろいろ表示されるでしょう。学生時代にはコンサートも聴きに行ったりしているので、いろいろ思い出しては聴いています。

溝口:楽器はされないのですか。

水間:子どもの頃はやっていたんですけど。そうそう、うちの笠井准教授はギター演奏が趣味で、そこからの発想で電子ギターを使っての音楽療法をしているんですよ。弦を上下にストロークするだけでコードが自動的に進行してくれる電子ギターを、脳卒中の患者さんに使ってもらっている。

溝口:麻痺側でそれをやるのですか?

水間:麻痺側ですが、それで緊張が緩和されてくるというのを、機能的音楽療法として取り組んでいます。それでまた、ドラムとかほかの楽器にも工業大学とのコラボで取り組んでいます、音楽や楽器を趣味としていたり、興味のある患者さんには面白い試みですよ。


まとめ

藤谷:お話は尽きませんが、そろそろお時間です。最後に、インタビュアーの方の感想と、大串先生のコメントをお願いします。

溝口:私は今、急性期病院にいて、そこで働く中でもやもやしていたところがあったのです。今日、お話を伺って患者さんに本当にどういうことができるかというのを考えながら、これが正解というのが多分あるわけではないけれども、いろいろ1人で考えることもあれば、他のスタッフと一緒に考えていくこともあるということでいいのかな、と思えて、肩の力が抜けました。それがすごく良かったなと思いました。本当にありがとうございました。

白井:ここに来ると決まった時からすごく緊張していたのですが、先生には大変貴重なお時間を頂き、実際に色々お話をお伺いすることができて良い経験をさせて頂くことができました。「お節介」という言葉も、実は私がお世話になった先生も「お節介かもしれないとわかっていて、それでもやるのがリハ科医だ」とおっしゃっていたんですね。この場でまた、「お節介」という言葉を伺って、すとんと腑に落ちた感じです。

大串:きょうはリハ科医の在り方や長期展望を含めたリハの進め方など、そういうすごく応用の利く話を聞かせていただきました。どんな場所や立場に居ても私たちリハ科医は生活の場面で患者さんが何をしてほしいのかということを、教科書的やデータがあるものということだけでなく、患者さんとの関わりの中で、ベストじゃないかもしれないけれどベターを見つけていける、ということでリハ科医のすばらしさを分かった気がします。本当に、いい経験をさせていただきました。ありがとうございました。

藤谷:みなさま、お疲れさまでございました。