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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第11回「この先生に聞きたい!」女性リハ科医キャリアパス

日時 2015年1月30日(金)15:00~17:30
場所 佐賀県佐賀市 佐賀大学医学部附属病院
ゲスト 浅見豊子先生 佐賀大学医学部附属病院 先進総合機能回復センター・リハビリテーション科 診療教授
インタビュアー 高橋麻美先生 聖隷三方原病院
中波 暁先生 市立砺波総合病院
司会 永吉美砂子 宗像水光会総合病院
大串 幹 熊本大学 RJN副世話人長 専門医会幹事長

大串:それでは、皆さん今日はどうもありがとうございます。第11回になります「この先生に聞きたい!女性リハ専門医キャリアパス」ということで、今回は佐賀大学医学部附属病院リハビリテーション科の浅見豊子先生をゲストにお迎えして、佐賀大学医学部附属病院でインタビュー企画を行っています。

本日のインタビュアーの先生は、富山の砺波市立の市立砺波総合病院の中波暁(なかなみあき)先生と聖隷三方原病院から高橋麻美(たかはしまみ)先生に来ていただいています。司会は、永吉美砂子先生と、私、大串がサポートいたします。よろしくお願いします。

永吉:まずは、中波先生と高橋先生から、浅見豊子先生へのインタビューを開始したいと思います。

大串:それでは自己紹介を兼ねて、インタビュアーの先生に、どんなところで働いておられるか、仕事の内容、それから今疑問に思っていること、自分の展望、どんなリハ医になりたいと思っていらっしゃるかなどを、まずお話しいただいてよろしいでしょうか。

では最初に、高橋先生からお願いします。

高橋:高橋麻美と申します。こんにちは。私は今、卒後5年目になります。最初2年間研修医をした後、ポリクリの時点でリハビリテーション(リハ)に興味を持って、研修を終わった時点で浜松医科大学のリハ科に入局をしました。浜松医科大学で半年、その後は聖隷三方原病院で働いて今にいたっているところです。

私事ですけど、今年、妊娠、出産をいたしまして、11月1日に赤ちゃんを産んで、今ちょうど産休中で、しばらく家族以外の人としゃべったことがないので、こういう機会に来させていただきまして、ほんとにちょっと緊張もしますし、うまくしゃべられるかどうかちょっと心配ですけれども、今日はいろいろお話を聞けたらいいなと思っています。よろしくお願いいたします。

中波:中波といいます。市立砺波総合病院というのは、砺波市というのは人口5万人くらいの市で、そこの中核病院として救急医療もしている病院でリハビリテーション科医師(リハ医)としてやっています。昔は回復期リハ病棟もありましたが、医師の減少に伴って回復期リハ病棟がなくなり、だんだん急性期が中心になっている病院です。医療圏としては周りの市を加えて、15万人ぐらいです。もともと私は、高橋先生みたいに若手リハ科女性医師ということではなく、整形外科医として9年間、その間に結婚して、妊娠出産してお休みをいただいたりとかしています。2011年の4月からはリハ医としてやっていくということで、砺波総合病院で働いています。ちょっと年はいっていますけれど、よろしくお願いします。

浅見:とてもお若く見えますね(笑)。

永吉:では、中波先生のほうから、質問はいかがでしょうか。

中波:ありがとうございます。浅見先生の御経歴を見せていただいて、整形外科からリハ科にかわられたということのようですが、先生がリハ医を目指されたきっかけというのが何だったのか教えていただきたいと思います。

浅見:最初からリハ科の専門医になりたいと思っていたのですが、昔はリハ講座自体が多くなく、リハの勉強ができる教室というのは整形外科か神経内科か脳外科でした。そこで私は、私の恩師である渡邉英夫先生が教授であった地元の佐賀医科大学(佐賀医大)整形外科教室に入局しました。渡邉先生は整形外科医である一方で、リハ科専門医としてのお仕事も非常に多くされていましたので、渡邉先生のもとでリハの勉強をしたいという気持ちでした。

なぜ、リハ医になりたかったかという点ですよね。女性医師として仕事をするということは当時はもっと大変な状況でした。仕事と家庭を両立させるのに、外科医としてやっていくには、おそらく様々な困難な壁がたくさん生じるのではないかという感覚が直感的にありました。しかしせっかく医師となったわけですから、一生懸命やりさえすれば男性医師と同じように頑張れる診療科、診療科の内容にやりがいをもてる診療科、そして家庭をもったとしても両立できるような診療科というよくばった条件を並べた時に考えられたのがリハ医だったわけです。

また、亡くなった私の父親が整形外科開業医であったために、整形外科分野のリハを実際に身近に目にしていたことも大きかったと思います。しかし、何よりもリハ科が「人」をみるという診療科であることに魅力を感じたのだと思います。

高橋:研修というか、どんなふうにこれまで経験を積み重ねてこられたのか教えていただけますか。

浅見:そのような経緯で私は整形外科に入局しましたが、入局の年に結婚の予定があり、結婚というイベントが医局にも家人にも迷惑をかけにくい環境を作りたいと入局の際に考えました。当時新設医大であった佐賀医大の大学院は、医学部卒業と同時に大学院に進学はできるものの全員基礎研究をするようになっていました。しかし医師としての臨床研修もできるように、大学院の1年目は臨床もできる配慮がされていました。今でいう社会人枠大学院生のようなものでしょうか。

そこで、医学部卒後1年目は整形外科やリハ科の臨床からスタートし、臨床経験を積んだ後で生理学教室での研究を始めました。大学院での研究は温熱中枢である視床下部の研究で、具体的にはラットを用いたシバリングの研究をしました。当初は、その研究内容が整形外科やリハ科とは全く異なる分野のように感じ、この研究がリハ医を目指している私に役に立つのだろうかと不安に思ったこともありました。しかし今となってみれば、体温調節機構という内容は整形外科やリハ科にもつながっていましたし、何よりも基礎の研究室にいたことにより研究の基本というものに触れることができ、私にとっては大きな財産となりました。

また、大学院の研究が主体の生活は、自分自身の環境調整をするのには多少は融通が利きやすかったかもしれません。しかし、入局した年に結婚をして翌年に出産をしましたので、仕事以外にも慣れない事が一度に舞い込んできてしまい、実際のところは大変でした。とくに当時は、女性医師が産休や育休を取れるような状況にはありませんでしたからね。

高橋:全くないのですか。

浅見:産休制度は一応あるのですけれど、産休を取りたいことを気楽に言いだせる雰囲気は、当時はどこの医局にもなかったと思います。ましてや育休などは全く無い状況でした。ですので、娘は6月21日生まれなのですが、6月10日までは大きいおなかでラットの脳切片を顕微鏡で見ながらの実験をしていました。おなかが大きくなっているので、顕微鏡のレンズまでの距離がちょっと遠かったですね。

高橋:おなかがつっかえますね。

浅見:妊娠自体は病気ではないという感覚で私はいましたので、出産の10日前までは研究を続け、6月11日~8月31日まで夏休みをもらい、9月に復帰しました。早い復帰でしたが、私の実家が近かったことで育児は母に助けられました。お二人ともお分かりのように、子育てって人手がいるものですからね。

高橋:本当にそうですよね。

浅見:そして、実家も含めた家族の支援を受けながら大学院を修了しました。ただ大学院修了は論文のacceptの関係もあり少し遅れて、3月ではなく6月に修了となりました。

大学院修了後は、整形外科医員になり臨床が中心の生活になりました。リハ科の研修は、基本的には佐賀医大でしましたが、亡くなられた元北海道大学リハ医学講座の真野行生教授が奈良医大の神経内科の助教授でいらっしゃった頃に短期研修に行かせてもらい、神経内科的な臨床場面を勉強させていただきました。当時、真野先生は今では一般的になりました磁気刺激の動物実験をされていまして、その時の実験風景は今でも懐かしく思い出されます。

さらにその後、主人がアメリカのKentakky州LousivilleにあるHand Surgeryで有名なKleinert病院に留学をすることになり、私はそこでHand SurgeryのRehabilitaionなどを学びました。小学1年生の娘も含め一家で渡米しましたので、母親として現地の小学校で子供たちとランチを食べたり、YMCAや教会に行ったりといった医学以外のアメリカを知る経験もできたことはよかったと思っています。それから日本に戻り、リハ科専門医と整形外科専門医の資格を取りました。

高橋:並行で専門医を取って行かれたのですね。

浅見:リハ科専門医と整形外科専門医のあとにリウマチ科専門医まで取り、今に至っています。

中波:すごいですよね。ほんとに。

高橋:それ・・・・・考えられないです。

永吉:先ほどのお話の中で、子育てで理想と現実のギャップに苦しむという浅見先生のお話しがありましたが、中波先生はいかがですか?

中波:そうですね。私は今、3人子供がいるのですが、やはり実際には、なかなか子どもが離れてくれないようなときもあるし、思うように寝てくれないとか、一緒に寝ないと駄目とか言われると、つい一緒に寝かせているつもりが一緒に寝ちゃって、次の朝みたいなことになっています。だんだん体力的にも厳しくなってきていて、昔まだ独身で子どもがいないときには無理がきいて、夜でも仕事ができたのですが、そういうことが年々できなくなってきています。

リハにかわってから、リハの範囲もすごく広いし、やらなければいけないことがいっぱいあるのに、それに応えられない思いというのがあります。ほんとは今年、専門医も受験しようと思っていたのですが、つわりとかがあり体調悪く、実際書類も間に合わなかったので、あきらめました。浅見先生はそういうことは今までもあったのでしょうか?そういう時を乗り切るコツみたいなのがあったら教えていただきたいなと思います。

浅見:私は子供が小さい時に専門医を取ったので、学会などに行く時は小さい娘を一 緒に連れて行くこともありました。連れて行くときは、お金のことは二の次として、ベビーシッタールームがあるようなちょっと高いホテルに泊まりそこを利用しました。そうすれば、娘を安心して預けたうえで、私は学会に参加することができました。女性医師としては、どうしたらやりたいことを実行できるのかを自分なりに考え、そういう環境を自分で作ることがとても大事な気がします。仕事や与えられた業務をうまく果たせるように身の周りの環境を自分で工夫して整えることが必要だと思うのです。いろいろと知恵をしぼり工夫すれば、何らかの解決策がでてくるものです。

高橋:そういうやり方があることは全く知らなかったです。

中波:学会では用意されていないのですよね。

浅見:昔ですので、学会による託児所はありませんでした。今は結構設置されていますよね。

高橋:学会のプログラムにも載っていますよね。

浅見:ベビーシッタールームの利用の他には、学会開催地に親戚がいる場合は、学会場に来てもらって子供をみてもらったこともありました。ちょっと図々しいですよね(笑)。日常的には、幼稚園が終わった後は実家の母親がみてくれました。しかし、頼りにしていた母が入院した時は、幼稚園がまだ開いていない早朝の時間帯のカンファレンスには、子連れで出たこともありました。

高橋:子連れ出勤ですか。

浅見:そうです。でも、他には方法はなく仕方なかったですね。

中波:保育所とかもやってない時間帯であればもうそうするしかないですよね。

浅見:そうですね。しかし、そういう私を医局も大目に見てくれたわけで、やはり周りの理解があってこそワークライフバランスは成り立つのだと思います。それ以外のことでは、娘が幼稚園に行っていた頃は幼稚園の期間は長くて3年だったのですけれども、6月生まれの娘は3歳の4月からから4年間行きました。ただその時問題だったのが、幼稚園には夏休みがあることでした。

高橋:大変です、夏休みが。

浅見:そこで、夏休みの期間だけは保育園にやりました。よくいえば工夫していたわけですが、親のわがままな考えだったのかもしれませんね。近くに実家はありましたが、実家の母に全てを任せるわけにはいきませんでしたので、実家の母をはじめとした家族のほか、幼稚園や保育園などのいろいろなところにも協力をしてもらうことにより、何とか自分の環境を整えて乗り切ってきたように思います。第一に必要なのは自分なりの工夫ですが、その工夫は周囲の理解があってはじめて成り立つわけで、周囲の理解を得ながら協力体制を整えるということはとても大事なように思います。

永吉:素晴らしいですね。

高橋:すごい。

中波:すごいですね。今まだほんとに環境が整ってきたというか、学会に連れていったとして申し込んでおけばベビーシッターもあるし、保育所もわりと早いうちから遅い時間まで見てもらえるので。

浅見:そうですよね。だから、今は女性医師たちが頑張れる時代になり、それはとてもうれしいことだなと私は思っているのですね。しかし、それでもやはり女性医師には、男性医師にはなかなか理解してもらえない悩みなどいろいろな問題もあるので、そういう問題解決の支援が少しでもできればということで立ち上がったのが、リハ学会ではRJNになるのだと思っています。

永吉:子育てをしながら幅広い勉強もしなきゃいけないという悩みも先生方お持ちのようですけど。

中波:そうですね。何から手をつけていいのだろうという感じになっているときもあるのですけれども。

浅見:先生は今度、リハ専門医を受けようとされていますが、整形外科の専門医は受けられたのですよね。

中波:整形は受けました。

浅見:試験を受けるということになると、その領域の全体をみて勉強するという時間を否が応でも作ることになりますから、勉強をするよいきっかけになると思います。また、リハ学会や地方会、専門医会、リハ学会や関連学会主催の様々な研修会などに参加するのも、その領域をトータルで勉強する良い機会だと思います。一つの講演会では、一つのテーマだけしか勉強できませんからね。ただ、子育て中であまり時間がとれないときは、今はいろいろな学会関係のDVDなどもありますので、それらを利用して自分の時間がとれるときに勉強するのもいいと思います。

そして何よりも一番大事な勉強は、症例に関わることだと思います。日々雑務に追われる中、一つの症例を大事にじっくりみようと考えるゆとりはないかもしれませんが、一つ一つの症例の積み重ねが臨床医としての力になるわけですから、その症例を通してわからない点をコツコツ勉強して深めていくということが大事だと思います。

とくにリハは広い領域ですので、一つの症例からの広がりをもって勉強することが重要なことだと思います。一人の患者さんでもいろいろな疾患を持っておられますよね。主となる障害の原因疾患の他に、合併症として呼吸器疾患も心疾患も泌尿器系もあったりしますので、一人の患者さんが本当に多くのことを勉強させてくれると思うのです。他の診療科だと、該当診療科の疾患を中心に治療し、その疾患のみにとどまることが多くなるかもしれませんが、リハ医は疾患と障害と生活をトータルで診る必要がありますので、患者さんをもったときにその患者さんを一生懸命勉強するということがいろいろなことを勉強するきっかけにもなるのではないかと思います。

高橋:やっぱり症例大事だなってすごく思います。それでは、浅見先生の心に残っているとか、印象に残っている症例というのは何かありますか。

浅見:印象に残っている症例ですね。私は筋電義手のリハも行っていますが、バレエの先生で悪性腫瘍のために上腕切断になられた方がおられました。切断後もバーレッスンだけでもしたいという希望を聞き、そういうときにやはりリハ医としては、少しでもどうにかしてあげたいという気持ちになるわけです。RJNのメンバーの小口和代先生が考えられたリハ医学会のキャッチフレーズはご存じですか。

大串:「生きる時を、活かす力」。

浅見:そうです。「生きる時を、活かす力。リハビリテーション医学」というのがリハ医学会のキャッチフレーズ、それも女性医師の小口先生が考えたキャッチフレーズなのですが、まさしくそういうことがリハ医としてのやりがいですよね。ただ生きているだけでは駄目なわけですよね。生死に関わる学問や診療科はありますし、延命に関わる診療科もありますが、生きている時にそれをよりよく生きる、より活かす方法を支援できる術をもっている診療科こそリハ科になるのではないでしょか。その時、私もリハ医としてその患者さんのために何かしてあげたいと考えました。

そこで考えたのが筋電義手の導入でした。上腕切断の筋電義手は難しいのですけれども、それにトライして、最終的にはバーレッスンができるところまでたどりつきました。筋電義手がない時代ならば、全身を義手で支えて、バーレッスンをすることは難しかったはずですが、時代とともに進化するリハ技術の一つであった筋電義手により患者さんを活かすことができました。その方は亡くなりましたけれども、最後までご本人のやりたいことの手助けがリハ医としてでき、私にとって印象深い患者さんの一人となっています。

もう一人あげるとすれば、下腿義足の男性です。一般的に義肢の患者さんとの関わりは義肢が完成したら終わりではなくその後も長く診ることになりますので、お付き合いも長くなりより深いつながりになります。その患者さんは90歳をこしておられるおじいさんで、私が入局したときからの関わりです。今も誰の付き添いもなく、一人で受診されています。サイム切断つまり足関節のところでの切断なのですが、加齢とともに断端も痩せてきて義足も緩くなってきますので、半年に1回は適合チェックや身体機能評価をしています。半年に1回なのですが、一度来られなかったときがあり「どうされたのだろう。病気なのでは・・・。」と心配になりました。診察予定を忘れておられただけだった、と後で聞いて安心しましたけれどもね。その元気なお顔を見ると、逆に私もパワーをもらっています。患者さんにあまり思い入れをし過ぎるのはよくないことかもしれませんが、リハ医はどうしても患者さんとのお付き合いが長く深くなるので、どの患者さんに対してもいろいろな思いを持ってしまいますね。

高橋:「生きる時を、活かす力」。覚えておきます。

浅見:いい言葉ですよね。

高橋:心にずどんと来ました。

浅見:知らなかったでしょう(笑)。

高橋:恥ずかしながら。

浅見:多くの方に宣伝しておいてくださいね。

永吉:高橋先生がおっしゃっていた、ロールモデルというのはいかがですか。

高橋:私たちは若手になりますが、女性リハビリ科医から見れば、浅見先生みたいに第一線で活躍されているような先生方を目標に、これから頑張りたいという気持ちはとてもあります。浅見先生が目標にしておられる人物とか、今まで出会ってきた中で、こういう先生になりたいというような、ロールモデルになる先生というのはいらっしゃるのでしょうか。

浅見:そうですね。私が医師になった時代は女性医師の数は少なかったですよね。でも、私の医局には幸いにも一人、私より10歳ぐらい離れた女の先生で、整形外科とリハ科の専門医の二つを持ちながら仕事をこなしておられる笠原とし子先生というがおられました。笠原先生の環境自体は私とは違いましたからそのまま重ね合わせることはできなかったわけですけれども、女性医師として頑張って素晴らしい仕事をし活躍されているという姿を近くでみることができたことは、私のその後の大きな原動力になったと思っています。

高橋:分かりました。ありがとうございます。

永吉:今、高橋先生からのご質問で、浅見先生が尊敬なさる先生のお話を伺ったのですが、浅見先生から若手の先生方に何かアドバイス、希望することなどありますでしょうか。

浅見:女性医師が仕事をする環境としては、私の若い時代よりも整ってきていますので、それは若い女性の先生たちにとってはとてもよいことだと思っています。しかし、そのような環境以外に、何か問題にぶつかったときに相談できる相談相手がいることがとても大事だと思います。家族の方が相談相手であるということも欠かせないことだと思いますが、リハの仕事を理解できる仕事仲間の中に相談できる人をつくっておくというのはとても必要だと感じます。

社会という大きな組織の中で仕事をしていると、壁にぶつかることってたくさんあるのですよね。思いがけないことも起きたりしますよね。そんな時に、相談したからといってその問題が解決するわけではなくても、トラブルや悩みを素直に話せて聞いてもらえる人、そして可能であればアドバイスをしてもらえる人、そういう人をつくるというのはとても大事なことだと思います。それは先輩でも同僚でも後輩でもよいと思うのですけれども、リハの仕事のことが分かる人、今のリハの世界を分かっている人たちの中に相談相手を1人でも2人でもつくっておくのはとても大事だと思いますね。

先生たちはそういう相談相手はおられますか?

高橋:そうですね。うちは主人がPTで、職場で出会って結婚して、私がまた違う病院で働いているので、仕事の話はすごく通じます。今、実際に働いている聖隷三方原病院にも、1歳年上でお子さんが二人いらっしゃる女性医師も働いてらっしゃるので、いろいろ参考にさせていただいています。中波先生はいかがですか。

中波:私はリハ医としてはちょっと先輩になる女性の先生が県は違いますけど北陸のリハ医の中にいらっしゃって「何かあったらすぐに聞いてね」とか言ってくださいますし、男の先生も何を聞いても「きっと大丈夫だよ」とか、いろいろアドバイスいただけているのですごくありがたいなと思います。

浅見:解決しなくてもいいのですよね。聞いてもらえる人がいるということが、とても大事だと思います。

高橋:なるほど。

中波:そうですね。

永吉:ありがとうございました。これからはフリートークということで進めていきます。今日佐賀大学を見学されて、浅見先生にお聞きしたいことなど、何でもいいと思いますので、フリーでどうぞ。

中波:筋電義手をまだ自分で見たり担当したことがないのですが、筋電義手って調整とかも難しいって聞きます。浅見先生は何例も扱っておられるのですか。

浅見:そうですね。筋電義手を導入したのは2001年になります。

中波:そんなに早くから。

浅見:最近多くの取材をしていただき忙しくなっている当院のロボットリハは、もともとは2001年の筋電義手の導入より始まっています。この筋電義手のリハは、当時いた竹下淳子OTといっしょに始めたのですが、金額的に高額な補装具である筋電義手への補助を佐賀県に認めてもらうことがまず必要な仕事でした。そこで、佐賀県に筋電義手の有用性を理解してもらうために、ご本人と担当義肢装具士と一緒に、補装具判定に医師の私も同伴しました。通常、医師は行かないのですけれどもね。さらに、ご本人がデモンストレーションの時に緊張して上手にできないと困ると思い、通常使用している様子を撮った動画も持ち込みました。

この筋電義手第1号の症例が承認されると、その後は佐賀県の理解も得やすくなりました。何でも最初は苦労があるものです。今、「ちょっと難しそう」って言われましたけど、そう難しいものではないのですよ。表面電極によりスイッチを操作しますので、伸筋と屈筋の筋収縮がうまくひろえればよいのです。筋収縮がうまくひろえる場所を探し、表面電極をソケット内にずれないように収めればよいわけです。ですから、まずはやってみたらよいと思いますよ。そしてあとは、補装具としてスムーズに支給できるように、富山県であれば富山県の県の方と前もってよく相談をするということが大事だと思います。

佐賀県はそういう経緯をとったおかげで理解が得られ、現在は申請したものは認可してもらっています。もちろん、筋電義手が操作できるように申請前にリハをしておくことが前提です。約150万円から200万円ぐらいする高価なものが有用に使用できる様子を判定のときに見せないと説得力はありませんからね。そのような過程をとれば、県による財政面などの違いはあっても、どの県でも認めてくれると思います。

たとえば、福岡県は佐賀県に比べると大きな県であり、人口が多いことが財政面に影響を与えるせいか、補装具の認可が非常に厳しいとされています。佐賀市に隣接している福岡県大川市の子どもさんが筋電義手を希望された時には認可がおりるかどうかをとても心配しましたが、実際には大川市役所の担当者の方たちが非常に熱心で、病院にまで足を運んでいただき、筋電義手が機能的にも優れており、小児の成長や教育そして将来にも多くのメリットをもたらすことを説明する機会が得られたおかげで、筋電義手の認可がおりました。わざわざ役所の方が当院まで足を運んでくださったことには本当に感謝しています。その子は、現在、小学校でお友達と同じようにタンバリンをしたり、お掃除をしたり、鉄棒も縄跳びもしているのですよ。

中波:えっ、鉄棒も。

高橋:想像がつかないです。

中波:すごいですね。

浅見:私も鉄棒ができるとは思っていませんでした。でも、先天性上肢欠損の子供たちの希望には「鉄棒をしたい」という声がよく聞かれます。やはり、子供たちは両手で行う運動や遊びをしたいようですね。お母さまもそういうことをさせてあげたいみたいです。

最初に前腕筋電義手を導入した子供も縄跳びはできていたのですけれども、鉄棒ができたのは今回が初めてでした。そして、小学校にその子の様子を見に行った私がそれ以上に驚いたのは、筋電義手を使って掃除の時に雑巾絞りをしていたのです。筋電義手はもちろん機械ですので、水を扱うことはよくないのですよね。しかし、せっかく頑張っているその子に注意はできずに、その時は「頑張っているね」と言って帰ってきました(笑)。このことを聞かれた筋電義手の会社の方は渋い顔をされましたけれどもね。クラスの先生はじめお友達の理解もあり、その子が小学校で自然に筋電義手を使い小学校生活を楽しく活発に送ってくれているのは本当に嬉しく思っています。

このように筋電義手はとても有用なものですので、先生方もぜひ試してくださいね。そんなに難しくはないと思いますよ。しかし、繰り返しになりますが、各地区の筋電義手の支給体制を知ったうえで申請をしないと、せっかく練習しても無駄に終わりますので、そこは重要ですね。

中波:ありがとうございます。

高橋:今度は、私からの質問です。今回、オブザーバーの先生方もたくさんいらっしゃるのですけれども、リハをやっていらっしゃる先生がかなりたくさんいらっしゃるという印象を持ちます。浅見先生もおっしゃっていましたけれども、全国的にもリハ医はまだまだ少なく、浜松市内もリハ医の先生は少ないと感じていて、どうしたらリハを一緒にやってくれる人が増えるのかと思っているわけです。だから、浅見先生のところに集まってこられているのがどうしてなのかを教えていただけますか。

浅見:いや、そんなに多くはないのですよ。だから、当大学でもマンパワーの不足で困っています。しかし、少ないながらも、今日も声をかけるとこうして皆が集まって協力してくれるわけですから、当大学のリハ医は団結力があるのかもしれませんね。そのことを私は幸せに感じています。リハ医になる人が少ないのは、リハのことをまだ皆さんに十分に知ってもらえていないからだと思います。中波先生と私は、最初は整形外科へ入局してからのスタートだったわけですけれども、転科組も多いのがリハ科の特徴でもあります。リハに関わっていると、リハの奥深さやリハのやりがい、他の診療科とは違った面白みがたくさんあることに気づき、そこに惹かれてリハ科に転科することになるのではないかと思います。しかし、高橋先生は、最初からリハ医を目指されたのですよね。初めからリハ医を希望された高橋先生の理由を聞いてみたいですね。

高橋:私もリハ科をポリクリで見て、まずほかの科と違って、ほんとにジェネラルをみている様子に、この先生たちは違うぞって感じました。ほんとにただの印象なのですけれども・・・。他には、先生方がみなさん優しいと思います。

浅見:今日、オブザーバーとしてきてくれている先生たちも優しそうに見えますか(笑)。

高橋:はい、みえます。どこに行っても、リハの先生は優しいぞっていう感じがします。

浅見:その他にリハ科を選んだ理由はありますか。

高橋:好みで選んじゃいました。でも、ほんとに選んでよかったなと今も思います。

浅見:医師としての義務や責任としては、命を救うところから始まり、病気を治すというところにつながっていくわけですけれども、そこで終わってしまっては患者さんが幸せになれないこともあると思います。ただ生きているだけではだめであり、生を活かすことが大事であると思うのです。

しかし、その活かすところに関わっている医師というのはあまり多くないのではないでしょうか。多くの医師は、治療をするところまでは一生懸命なわけですけれども、患者さんたちがさらに望んでいるその後の「生」を活かして、「生」の質を高め満足した生き方をする、というところへの関わりまでは手が及ばないように思います。そこの部分を医療に絡ませて実現できる医師がリハ科医師だと思っています。ですので、基本的医療をしながら、患者さんが最終的に求めているところにまで関われるリハ医としての仕事はとてもやりがいのあるものだと思います。

そのことを若い医師たちにもっと知ってもらえるように、私たちのような年輩の医師たちが努力をしないといけないのだろうと思います。先生方もぜひ周りの若い先生方に対して、リハ医としてのやりがいについての話をしてくださいね。とくに具体的な症例でもって、その症例がリハによりいかに生を活かした過ごしかたができているかというところを後輩に示してあげると、より興味を持ってくれるのではないかと思います。

高橋:わかりました。

永吉:リハ科は、やっぱり他科の先生との付き合いというか、急性期が終わってリハに来られる方が多くて、急性期でのリハ医の役割がどういうことかということと、急性期のときに診てくださった先生方との人間関係のコツなどについて、浅見先生からぜひアドバイスをいただけますか。

浅見:そうですね。急性期というのは病気のスタートになるわけですが、リハはそのスタートの時点からその後の生が継続される間まで切れ目なく重要であることを急性期の他の診療科の先生方にも理解してもらうことが必要です。つまり、急性期の時点から関連スタッフとのコミュニケーションを図ることがとても大事です。それにより、短縮されてきている在院日数の中ででも効率的で有用なリハを行い、その後の回復期で生を活かすリハをできるように円滑につなげていくことができるのだと思います。これが急性期のリハ医の仕事だと思います。当院でも若い医師をはじめとしてリハスタッフはとても頑張って、他科とのコミュニケーションを深めてくれています。ただ最近、私が多忙を極めていることもあり、私自身とスタッフとの関わりが薄くなっている部分もあり反省しているところです。慌ただしい急性期に、どれだけ効果的なリハ力を発揮できるかということが急性期リハ医の課題だと考えています。

永吉:確かにそうですよね。円滑にいくための工夫は、やはり必要だと思います。

中波:急性期の内科の先生とか、外科の先生とか、やっぱり病気が治っちゃうと帰っていいよってなってしまうのですけど、患者さんのほうは、まだほんとの自分じゃないみたいなところがあるし、もうちょっと入院でリハビリできたら、変わってくるのになって思うときとかもあります。ただ、病院の患者さん全員にまでは目が行き届かないので、ほとんどそうやってばたばたしている中で主治医の退院指示がでると、退院になってしまって、リハもそれきりになっちゃうというようなところもあったりして、なかなか難しいと思っています。

浅見:当院では今、ロボットを用いたリハを行っていますが、そこには生活期の患者さんで新しいリハを行いたいと思う方がたくさん来られています。そしてロボットリハにより、発症から期間が経過した患者さんでも機能が改善するという結果を得ています。このことは、ロボットの手段としての有用性とそれまでのリハ量不足を意味しているのではないかと考えています。

中波:そのまま生活に戻って生活の中で頑張れる人はいいのでしょうけれども・・・。

浅見:急性期でのリハが十分でない場合でも、その後の回復期病院での適切なアプローチによりADLが改善し、自宅退院後の生活を何とか過ごされている方も比較的多いと思います。しかし一方で、どうしても現状の生活状態にに満足されず、より上のレベルを目指される方がロボットリハ外来に来られているように思います。先生方のところにも、周りはこの程度まで改善できれば合格点だと考えていても、ご本人にしてみればまだ納得できない問題点が多々あり、そこを解決するためにさらなるリハを望んでいる方はおられますよね。急性期病院のリハ医の場合、短い在院期間の中でできるリハはどうしても限られていますが、急性期病院のリハ医も生活期の場面においても継続してフォローできる機会をもち、リハ医が必要とされたときに求められたことに対して応えられる姿勢と術を持っていることが大事だと思っています。

中波:わかりました。ありがとうございます。

永吉:現場で直面する問題ですよね。リハは他科の先生と比較して、コメディカルとの人間関係も結構多くて、それと他科の先生、それから対外的なところのいろんな福祉関係も含めて、何か浅見先生が工夫されているようなことがございましたら。

浅見:リハは多くの職種が一つの音楽を奏でるオーケストラのようなもので、リハ医はそれぞれの音を一つの音楽にするために調和させる指揮者のような役割がありますから、指揮者としていかに美しい音楽にするかというところに苦労する部分はありますよね。多くのリハスタッフの中には、リハ医と同じ方向性の人もいればそうじゃない人もいます。リハの職業につくまでに各人が学んできた過程が違うわけですから、用いる手技や治療方針が全て同じであることのほうが稀であり、それはしかたのないことだと思います。もちろん、大学病院がリハの学校を併設していて、そこで教育を受けた人たちが一緒にその大学病院で仕事をするのであれば、方向性が異なることは少ないのでしょうけれどもね。しかし、佐賀大学はそうではないので、様々なリハの教育機関で学んだ人たちが一緒に仕事をするとなると、リハの方向性にずれが生じてしまうことはあるわけです。それをひとつにまとめていく作業においては苦労があります。一方的な意見でまとめようとしても、納得してない人がいるとうまくいかないものです。そこには何が必要かとなると、やはりコミュニケーションということになるのだと思います。ですから、リハ医として自分の考え方をアピールしながらも、相手の話もよく聞く場をもつことが必要なのでしょうね。ただその時に、リハ医として間違っていることは間違っていると言える強さも持っていないといけないのかなとは思います。ただ、その「言える強さ」と「言いまわしの強さ」の違いが難しいところではありますよね。

永吉:いかがですか、今のご自分の状況をふりかえって。

中波:自分より年配の療法士の人のほうが多いので。でも、自分としてはもうちょっとこうしてほしいとか思う場面もあるのですけど、それを伝えるのに、相手が気分を害さないように言うのが難しいとかがあります。結局、患者さんと毎日1対1でリハをしているのは療法士の人たちなので、やっぱり任せないと全員に張り付いて見ているわけにもいかないし、管理できるものでもないので、任せないといけないと思いつつ、本当にこの人に任せていて大丈夫だろうかと思う人も中にはいたりして困ることがありますけど。

浅見:カンファレンスのようなスタッフと話をする場はあるのですか。

中波:カンファレンスは特別設けてはいませんが、病棟でカンファレンス、看護師さんと療法士がしているものはあります。ただ、私がいつもそこにいるわけではありません。他にはスタッフのミーティングみたいなものがあります。でもそれは、全体と私みたいな感じになってしまいます。また、全体的にはうまくいっているけれども、この数人に何とかアプローチしたいなとか思うときに、療法士のことは療法士の技師長さんとかにほとんどお任せしてやっている中で、私が個別で呼び出して説明してもよいのだろうか、この人のことだけ特別やっぱり口を出していいものだろうかと、すごく迷う場面が今までも何度もありました。こういう場合には口出ししてもいいものなのですか。どうしても目に余るときがあり困ってはいます。

浅見:私の場合は、以前は、私の意見を直接スタッフに話したこともありました。しかし、スタッフの中に若い世代が増え、スタッフ数も多くなった今、昔以上に様々な考え方の人がいますので、最近は直接指摘するのではなく、ワンクッションおいた対応をしたほうがよいように感じています。ですので、まずは療法士長のようなスタッフの責任者と先生とがよく話をし、その中で解決策を見つけるというのがよいと思います。その結果、やはり個別に話をしたほうがいいということになれば、1対1という話会いですと今の時代さらなるトラブルをおこしやすいので、話をする際には必ず療法士長などの第三者に入ってもらうと円滑に進めることができるように思います。それぞれ、間違っていることを言っているのではなく考え方の違いなのですから。しかしそうは言っても、組織は司令塔が一人のほうが統率はとれるわけです。ですので、先生がリハの部門のトップであるのであれば、先生の考えをリハの全てのスタッフがよく理解する機会を設けるのがいいと思います。そして、リハスタッフの中で先生の考え方を支持する人を一人でも増やすことが大事です。

永吉:高橋先生はいかがですか。

高橋:私は医大と聖隷と2カ所、病院に行っているのですが、例えば医大は急性期なのでどんどん離床させるのですが、聖隷に行ったらリハビリの時間、とくにROM(Range of motion)とかリラクセーションの時間がとても長く、なかなか離床させられません。両者の雰囲気の違いにまずは驚き、医大のやり方からみれば、聖隷の患者さんはもっと早く離床させればいいのにとか、活動の面でも歩ける人はもっと歩かせればいいのになと思ったりしています。ただ、スタッフとのコミュニケーションについてはまだ何も改善しないまま今に至っていますので、それぞれの考え方もあるという浅見先生のお話を聞いて、何とかしなければと思いました。

浅見:コミュニケーションを改善する方法の一つとしてはカンファレンスは大事だと感じます。

中波:カンファレンスにおける症例を通じて、リハ部としての方向性を見出していけばよいのでしょうね。

浅見:そうですね。一つの症例に対する考え方について、様々な意見を出しやすい雰囲気を作りながらも、その様々な意見の中で先生の意見を少しずつ話していけば、症例検討の中における先生の意見や考え方が、リハスタッフに徐々に伝わっていくのかもしれませんよね。

中波:今、疾患別というか、担当病棟ごとのカンファレンスになっているので、全体でのカンファレンスとくに症例のカンファレンスというのはしていないので、今後機会を設けるようにしてみます。

浅見:そうですね。そのカンファレンスを通じて、どんな症例でもいいですので、先生のリハの考え方というのをリハスタッフに最後にまとめて話をするといいと思います。例えば、先生が早期離床を目指していることを何かの症例のときに、「ほかの病院だとこのくらいで離床になっているのでこの病院でももう少し早いほうがいいと思います」とか、「私としてはこれまでの経験からこのくらいで離床するのがよいと思います」というような発言をすればよいのではないでしょうか。先生の考えをあらたまった場で言うと角が立ちますのでね。

高橋:分かりました。

永吉:コミュニケーションの奥義を教えて戴きましたね・・・・・。

中波:取り入れたいと思います。

永吉:お二人とも今から子育てをしながら活躍されていくのだと思いますが、妊娠、出産、子育ての最中に、最低このぐらいの論文は読んでいたほうがいいとか、こういう勉強していたほうがいいとか、何かその辺りのアドバイスがありましたら、浅見先生のご経験から教えて戴けますか。

浅見:このくらいの論文を読んでいたほうがよいというより、上司や先輩の先生たちから、発表や原稿、あるいは研究をするように勧められた時に、大変だとは思いますがなるだけ断らずに時間がかかってもトライするということだと思います。なぜなら、その発表や原稿、研究をするためには必然的に多くの論文を読まないといけなくなるからです。つまり、一つの仕事を進めていくことで、そこから関連するほかの勉強にもつながっていくことになります。依頼された仕事をもとに勉強し、自分の世界をひろげていくというやりかたですね。ただ若い時には、例えば学会発表のために長い時間をかけてとても頑張って勉強したわりには、発表自体は5分か10分で終わるし、質問に満足に答えられないこともあるし、アウトカムが自分の思い描いていたより少なく、気持ち的には達成感を得られないこともありますよね。でも、そういうことを積み重ねていくうちに、自分自身の知識の広がりや深まりを得ることになるのだと思います。

永吉:先生方いかがですか。

中波:書くように言われている論文があるので、やはりちゃんとまとめないと駄目だとは思っているのですが、大変だなというところでちょっと引いてしまって、なかなか始められないでいました。

浅見:それは私も同じです。いつも仕事を始めるときには、ちょっと大変だなという気持ちが先にきます。そして大変な仕事ほど余計にスタートできないというところがあります。でも、仕事を受けたら、受けてしまったら(笑)、理想的には、期限を決めてそれに向かって計画を立てることが大事でしょうね。リハと同じで、仕事のゴールにもロングゴールとショートゴールを決め、それに合わせて進めていく必要があるように思います。

永吉:リハ医として、この分野をやっていきたいとかいう思いがおありでしたら、ぜひ浅見先生にアドバイスを戴いたらいかがでしょう。こんなリハ医になりたいとか、勉強を含めてですね、夢を語って戴けますか。

中波:今は目の前のことでさえこなしきれてないというか、目の前のことをやっていくのでいっぱいいっぱいになっています。

浅見:そうですね。いろいろなことに工夫をすることは大事でしょうね。1日は24時間しかないので、24時間の中で自分なりの仕事や家事をこなせる方法を考えないといけないと思います。そこには全てを「要領よく」行う術と協力をしてくれる人の存在がとても大事なように思います。ただ、「要領よく」という言葉は大人に対しては使えても、子供に対してはなかなか使えないところが難しいところです。子供に対しての対応は、子供に合わせることが必要で、要領ではないですものね。それでも、生活の中のどこかには利用できる時間があるはずで、その時間を有効に利用できるように工夫することは大事でしょうね。協力してくれる人としては、パートナーの存在は重要です。以前は家事や育児を手伝う男の人はあまりいませんでしたが、今の若い方は手伝うことに昔ほど抵抗感はないと思いますので、ぜひパートナーがよき協力者となってくれるように教育されてはと思います。子供だけではなく、パートナーの教育も欠かせません(笑)。

永吉:先生方、何か工夫されていることはありますか。

高橋:今、だんなさんを鍛えています。育児を手伝ってもらうことで、私がちゃんと働けるように。

浅見:それは大事なことだと思います。

高橋:それぐらいでしょうか。

浅見:ただ、日本の世の中においては、以前とは変わってきているとはいえ、まだまだ家のことをするのは女性であるという固定概念が残っています。ですので、そういう中でお手伝いをしてくれるということに対しては感謝をする気持ちや態度は必要でしょうね。この感謝の気持ちや態度は、職業人としての自分が成り立つために協力してくれているパートナー以外の全ての人に持つべきことだと思います。つまり、職場内で便宜を図ってくれる同僚や上司に対しても「ありがたい」と思っている気持ちを直接言葉には出さなくても態度で表すあるいは雰囲気を漂わせる(笑)ということはとても大事だと思います。そうすることで、周囲の理解や協力がより得られやすくなると思いますし、皆も協力することがとても心地よくできるはずです。

高橋:ありがとうございますです、はい。

永吉:何か他にご質問はないですか、浅見先生に。

中波:伺いたいことは、だいたい伺ったような気がしています。

高橋:いろいろお話しいただきました。

大串:それでは、私からですが、浅見先生は今後はどうしたいと思っておられますか。

浅見:私?

大串:はい。今後、先生はどんなふうに発展をされたいですか。今、本当にお忙しいと思いますが、今の仕事の中でさらに新たに何かやりたいこととかありますか。あるいは、将来的に何かしたいとかありますか。

浅見:そちらに(佐賀大学の)先生たちが座ってくれていますけれども、私が今一番やりたいこと、向かっていることは、リハ医を育てることです。リハ専門医を佐賀県にもたくさん増やすということが私のライフワークになっています。睡眠時間が少なくなっていたとしても、忙しすぎて何をしているか分からない生活でも、リハ医が増えることにつながる仕事をしていることは生き甲斐になっています。リハ医が増えていき、そしてその若いリハ医がまたさらに後輩を育ててくれるようになったきたら、私は本当に満足という感じです。

さらにその後に何をしたいかということですか。そうですね。私の子どもは娘一人なのですが、子育ての時代も忙しかったのでなかなか子供の相手をしてあげられなかったと反省しています。私の理想的なお母さんというのは、子供と共有する時間を持つ、例えば優しく子供に絵本などの読み聞かせをしてあげ子供とともに感動の時間を持つことができるようなお母さんなのですが、私の場合全く読み聞かせなどをしてあげる暇はありませんでした。ですので、娘に子どもが生まれたら私の住いの近くの市立図書館に行って、娘にできなかった読み聞かせを孫にするのが夢です。そういうゆっくりとした時間も持てればいいなと思っています。

今現在したいことであれば、結局リハの仕事に関わっていることを幸せに感じますね。そのリハの仕事の中でも、講演をしたり原稿を書いたりなどより、患者さんとともに一喜一憂しながらリハ的支援をしているときが一番好きです。それとリハ医を育てることですね。2015年度の卒業生を対象として、2017年度から新しい新専門医制度の研修プログラムが始まり、2020年度に新専門医制度における第1回目の試験があります。私はその専門医制度にも日本専門医機構の委員として今関わっている立場なので、新しい専門医制度でたくさんのリハ専門医が生まれるためのお手伝いができればいいなと思いながら、新専門医制度の仕事にも尽力しています。そして、佐賀に限らず全国に多くのリハ医が誕生すると本当に嬉しく思います。そういうことが好きだから、今のところこんな忙しい生活でも苦にならずにやっているのでしょうね(笑)。

高橋:すごいです。

大串:きっと皆今は目の前のことだけでいっぱいだと思いますけれども、いろいろな仕事がこなせるようになってくると、浅見先生みたいに全体を見るようなことができるようになるのでしょうね。それでは、オブザーバーの先生方にお一人ずつコメントをお願いいたします。

山之内:山之内直也です。佐賀県医療センター好生館で、リハ科部長として勤務しております。専門医になって2年目です。医者になってからは8年目になります。佐賀大学で浅見先生の下に入局し、リハ専門医を取りました。浅見先生は僕の目から見ると、体が壊れるんじゃないかなというぐらい働いていらっしゃるので、女性医師として浅見先生を目標にするのは難しいのではと思います。ただ、ほかの女性の医師も、悩みを持ちながらも皆さんできる範囲内でとにかく一生懸命されています。結局は、みんなそれぞれのできることを一生懸命することが大事だと感じています。

南里:南里です。僕は2001年にドクターになった後に内科に入局して、3年目で唐津日赤病院、4年目で当院神経内科、2005年に国立神経センターで多発性硬化症の臨床研究、2006年から再度当院神経内科で脳卒中などを中心に、そして2011年からリハ科に所属し、浅見先生の下でリハの勉強をさせてもらっています。脳卒中の治療としてt-PAとかもしていましたが、その中でもリハの魅了を感じることが多かったわけですが、今全診療科からリハ依頼を受けていますとさらにリハの重要性や魅力を感じています。また、さっき浅見先生も言われていたように、リハ科は急性期、回復期、生活期と様々な時期に関わるわけですが、人生の中で長い時期となる生活期に関わりながら、少しずつ患者さんがステップアップできるところも一緒に見ていけるというのは非常にいいところだなということを実感しながら仕事をしているところです。女性医師とリハ科とについては、リハはフレックスタイムなどを導入しやすい診療科だと思いますので、子育てとかされている女性医師でも時間の調整をすることにより、幼稚園や習い事の送迎などもできるのではないかと思います。もっともっと女性が非常にアクティブに仕事と家庭とを両立できる環境が作れればと思います。

伊藤:からつ医療福祉センターで、脳性マヒや発達障害といった小児リハを中心の仕事をしています伊藤といいます。浅見先生と同じで佐賀医大の整形外科に入局して、整形とリハの専門医を取り18年ぐらいたちました。今日は、浅見先生みたいに第一線で活躍されている先生の話をあらためて聞くことができきてよかったと思っています。ただ、浅見先生はあまりにもすごすぎるので、同じようにしようとかそういうふうになろうとするととても大変なので、それぞれの環境の中で自分のできることをしていくといいのではないか思います。今、専門医を勉強されているということですが、子どもさんもおられるとのことなので大変だろうと思います。私も子どもがいたときに勉強して大変だったことを思い出しました。今私は、今のライフスタイルにとても満足しているのですが、それはやはり専門医を取っていたので今の自分の居場所を築けたように思います。ですので、何年かかってもいいので、頑張って専門医を取ることが大事だと思います。

秋山:秋山といいます。私は佐賀大学を卒業して、すぐにリハ科に入って、今年専門医を取ろうと勉強中です。去年も受験資格はあったのですが、つわりもあったりして受験申請書類が提出期限に間に合いませんでした。浅見先生とは今までもたくさん話をしてきたのですが、今日の話を聞いて浅見先生ってすごいなとつくづく思います。私は、3人目の子供が生まれましたが、浅見先生の下でというか浅見先生が上にいらっしゃるから今まで続けてこれたと思っています。今も育休中で、1年の育休を取ってから復帰する予定です。専門医も今年こそ頑張って取り、その後は子供を保育園へ預けてまた頑張らなきゃいけないなと思っています。産休・育休中も、浅見先生と周りの先生たちがフォローをたくさんしてくださっていて、ほんとに感謝しています。

伊集院:伊集院といいます。僕は医師になって6年目になります。佐賀大学医学部の地域医療支援学講座に所属し県内の地域の内科の病院を回っていましたが、今年の10月から半年間ということで、浅見先生のところで勉強をさせてもらっています。地域医療がやりたくて医者になり、これまでは内科をずっと回らせてもらっていましたが、呼吸器や脳卒中など、リハの先生方と関わることも多いと感じていました。さっき話に出ていましたが、担当の患者さんのその後という継続性という点ではリハ同様、地域医療も共通する部分があるので、そういうところで勉強させてもらいたいと思っています。ただ、大学病院は急性期なので、継続性という部分にはなかなか関われないでいます。しかし、内科だけではなくて、外科とか、PTなどのリハスタッフとか、多くの診療科や多くの職種に関われる点では、とてもよい勉強をさせてもらっていると思います。あっという間にもう4カ月近くたち残り2カ月になってしまいました。今度の4月からはまた地域の病院に戻りますので、そこでリハ科での経験をいかせたらなと思っています。

大串:本日は遠方の静岡と富山からインタビュアーの先生方に来ていただき、本当にありがとうございました。

九州はリハの先進地ではありますが、中央からは離れていることもあって、いいことがたくさんあっても目立たないところがあります。しかし、浅見先生が突出していろいろアピールしてくださっているので、九州のリハのレベルを引き上げてくださっていると思っています。今日は浅見先生のすごさをまた感じたわけですが、おそらく浅見先生も若いときは、やはり目の前のことであるご家族のお世話やお仕事が大変でそれなりにストレスも感じながらされていたと思います。ですので、そういう時期があるのは誰でも一緒ですよね。

ちょっと時間がたって思い起こしてみてはじめて、これがよかった、これがよくなかった、もっとこうしたほうがよかったというのがでてくるわけでしょうね。ですから、今できることをしっかり考えてやることが大事ですよね。そして先生方の考えは自信を持ってちゃんと言えば、セラピストの人たちも徐々に先生方を頼ってきてくれるはずだと思います。ですので、先生方はリハ医のリハ医たるところを発揮してもらえればいいなと思います。専門医の試験も受けて、ちゃんと公にも「私はリハ専門医よ」って言えるといいと思います。ぜひ頑張ってぜひ赤ちゃんを産んだら、その後専門医試験を受けてくださいね。よろしくお願いします。

新しい臨床研修医制度になって、リハに接する機会がほとんどなくなってしまったこともあり、学生さんがリハ科を知らないと思います。リハの講義も少なく、私の講義も1コマか2コマしかありません。それでもリハの講義は面白いとは思ってくれる学生さんもいます。しかし、リハを勉強するときなると慶應大学に行く人がいたりします。高橋先生が最初からリハ科を目指してくださったということで、リハ科のいいところを学生のときから感じてくださったことはすごくうれしいです。先生はどうしてリハ科を面白いと思ったのですか。そこが学生さんに私たちがアピールできることかと思います。リハ医は優しいだけでなく、どこが違っていましたか。

高橋:そうですね。病気のその後がみれたりとか、ほかの診療科の先生とは目の付けどころが違うように思います。他科では疾患しかみないこともありますが、リハ科では横で見るように思います。例えば聖隷などでは、家に帰るにあたっての家屋評価、家族環境を調べ、ご家族の支援の方法や建物についてアドバイスをします。お薬だけじゃなくて、リハの手技やリハ支援を行います。例えば介護保険のこと、身体障害者手帳のことなどいろいろな武器がリハには使えます。もちろん、その分勉強するところもたくさんあるわけですが、それが面白いと思っています。

大串:ありがとうございます。リハ医がほかの診療科とは違うところやリハ科の必要性を学生のときにしっかり伝えられれば、もっとたくさんリハ科を選んでくれるように思います。ほんとは医学部のリハ科の講義が充実することが理想なので、そういう必要性についてもアピールできたらいいと思っています。

永吉:今日は、慣れない司会でしたが、皆様ほんとにありがとうございました。私自身もほんとに勉強になりました。この時はこうだったのかなって自分のこと振り返れました。また明日からもう一度頭をリセットして頑張っていきたいと思いました。ありがとうございました。

大串:それでは、第11回のインタビュー企画をこれで終了いたします。皆さま本当にありがとうございました。

一同:ありがとうございました。

(終了)