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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第19回「この先生に聞きたい!」女性リハビリテーション科専門医キャリアパス

 

日時 2017年12月8日(金)
場所 秋田大学医学部整形外科学教室
ゲスト 島田 洋一 先生(秋田大学大学院医学系研究科 医学専攻機能展開医学系 整形外科学講座 教授、リハビリテーション科教授)
インタビュアー 石田 由佳子 先生(奈良県立医科大学)
杉山 智子 先生(昭和大学藤が丘リハビリテーション病院)
司会 豊岡 志保 先生(国立病院機構山形病院)
オブザーバー 中馬 孝容 先生(滋賀県立総合病院)
土岐 めぐみ 先生(北海道立心身障害者総合相談所/札幌医科大学)
同席者 松永 俊樹 先生(秋田大学医学部附属病院)

自己紹介
大学でのリハビリテーション医学プログラム
リハビリテーション科医師と研究について
最後に
インタビューを終えて・・・

自己紹介

司会(豊岡):今日は秋田大学学長補佐、秋田大学大学院医学系研究科機能展開医学系整形外科学講座教授・リハビリテーション科教授の島田洋一先生の教室へ、RJNのインタビュー企画で参りました。まず、インタビュアーの二人の先生に自己紹介していただきます。

杉山:昭和大学藤が丘リハビリテーション科の杉山 智子と申します。本日は宜しくお願いいたします。2004年に鳥取大学に入学後、初期研修を横浜医療センターで行いました。それから、美容系のクリニックに就職後、一昨年に、昭和大学の医局に入局しました。リハビリテーション科としては2年目の、まだまだひよっこで、これから専門医をとるという段階です。今日はどうぞ宜しくお願いいたします。

石田:奈良県立医科大学リハビリテーション科から来ました石田 由佳子と申します。宜しくお願いします。2002年に奈良医大を卒業し、そのまま整形外科の教室に入局しました。初期研修を終えたあと、一般病院で主に骨折などの診療をしていましたが、2015年に奈良医大のリハビリテーション科(医)として戻ってきました。宜しくお願いします。

司会(豊岡):島田先生のお話が聞きたくて、RJNから三人のメンバーが参加しています。土岐先生、自己紹介をお願いします。

土岐:土岐めぐみです。私は北海道から来ました。今は、北海道立心身障害者総合相談所に勤めております。今年(平成29年)の4月まで12年間札幌医大におりまして、子供のリハビリテーションを専門にしております。最近リンパ浮腫のセラピストの資格を取りまして、リンパ浮腫専門外来を始めようかと思っております。宜しくお願いします。

中馬:昨年からRJN委員会の委員長をさせてもらっております。今は、滋賀県立総合病院リハビリテーション科で勤務する中馬といいます。私は、もともと奈良県立医科大学を卒業して、そのまま神経内科に入局しました。当時、助教授でいらっしゃった真野 行生先生(故人)が、北海道大学の初代の教授になられて、リハビリテーション科に転向し、札幌で13年と数ヶ月過ごしておりました。その後滋賀で勤務しております。今日は、研究のことも含めていろいろなことを伺う機会と思い、本当に楽しみにしておりました。

司会(豊岡):今回、司会進行をいたします山形から参りました豊岡 志保です。昭和62年に東京女子医大を卒業して整形外科の医局に入局しました。その後、縁あって帝京大学のリハビリテーション科に移りました。現在は、主人の郷里である山形の病院に勤務し、併設されている山形県高次脳機能障害者支援センターの担当医も兼任しております。今日はこのメンバーでどうぞ宜しくお願いいたします。

 島田:宜しくお願いします。

司会(豊岡):(石田先生に)専門医をとられたばかりで、島田先生に伺いたいことがあると思いますが、いかがですか?

石田:はい。多くの分野にわたる勉強が必要ですごく大変でしたが、上司の城戸 顕先生はじめ諸先生方にご指導いただきまして無事に合格することができました。

 島田:おめでとうございます。あらゆる分野のことを必要最低限は知っておかないとリハビリテーション科は成り立ちません。私が、助教授時代から一貫して続けてきたのは、整形外科の全医局員に対してリハビリテーション教育をすることです。2週間に1回、リハビリテーションの小講義と抄読会をずっとやっています。もうかれこれ15~6年になると思いますが、整形外科も工学系の教員学生も含めて全員に、整形外科からリハビリテーション科まであらゆる領域を教育しております。こういう試みをしているのは、全国の整形外科教室の中でもうち(当教室)だけだと思います。一つの大きな宝だと思っていますし、研究との兼ね合いで一番成果を挙げていると思っています。

司会(豊岡):秋田県のリハビリテーション研究会がもうすぐ開催されるそうですね。

島田:私が会長で、毎年12月にrehabilitation year topics seminarを開催しています。これは、各項目に専門家を立てて、その年のトピックスをかみ砕いて教えるというもので、教育に関しては、相当力を入れてやっています。全部無料です。日曜日に、秋田県リハビリテーション研究会のメンバーが集まって、ボランティアで3時間の間に今年一年のリハビリを勉強しましょうということです。そうすると、お互いの関係が良くなり,情報共有が、非常に上手くいく訳です。医者、療法士、ソーシャルワーカーから看護師、義肢装具士まで全部います。秋田県では、整形外科,リハビリテーション科は全部うちの教室で網羅しており、県内全てが一つのネットワークで繋がり、どの地域でも、それなりの治療は受けられるようになっています。

 

 


大学でのリハビリテーション医学プログラム

司会(豊岡):医学生が、学生のときに、リハビリテーション医学にあまり馴染みがないまま、医師になる方が多いと思います。秋田ではいかがですか?

 島田:秋田大学では医学科4年生と、理学療法学科と作業療法学科の3年生を全員、一教室に集めて、まるまる1週間、朝から晩まで全部リハビリテーション医学の授業を行っています。そこでは、運動器,呼吸器、脳卒中、小児、がんのリハビリテーション、先端医療機器、ロボットというあらゆる内容を含みます。講義には医師、療法士どちらの教員もでます。あらゆる面からリハビリテーションというチーム医療を理解する上で、非常に役立っていると思います。総論と各論がありまして、最近のトピックスや、どこまでリハビリテーションが進んでいるか、ということに重きを置いてやっています。例えば小児療育センターから小児の専門家を招くなど、いろいろな専門家を集めて総動員しています。

 石田:奈良医大は、まだリハビリテーション科が講座になっていないので、講義の枠がないです。ですので、整形外科の枠で一枠と神経内科の枠で一枠をもらって講義をしている形です。

島田:私が助教授の時にリハビリテーション科の枠をとりまして、「リハビリテーション科の医者って何をやっているのか」、「リハビリテーション医学にはどういう特色があって、リハビリテーション科医師がいなければどういうことになるのか」ということまで学生のうちに講義します。ですから、リハビリテーションマインドというものは、ある程度理解して卒業すると思います。

一同:すごいですね。

 

リハビリテーション科医師と研究について

杉山:私のような全く関係のない分野から来る場合も含めて、リハビリテーション科をはじめから目指すという教育が、うち(昭和大学)の医局ではされています。しかし、整形の領域は整形をやっていた先生がすごく強いですし、脳卒中などは神経内科出身の先生が専門領域の知識があるので強い。リハビリテーション科医師の立ち位置の難しさを感じます。今後どのように勉強することが、一人前のリハビリテーション科医になるには必要か、島田先生に教えてもらいたいです。

島田:欧米と日本のリハビリテーション科医師は全く現況が違うということ理解しなくてはいけないと思います。それを一足飛びに欧米と同じ教育ということはなかなか難しい。やはり、杉山先生がおっしゃったように、転向組やサブスペシャリティが別にある人とかいろいろいるわけで、そういう様々な背景を持った人がたくさんいるというところが、逆に日本のリハ科の強みだと思います。

多様性を否定することなく、うまく活用することが重要です。私は整形外科医ですけれども、リハビリテーション医学を勉強したときに、最初に勉強したのは、呼吸器リハビリテーションです。もともと脊椎外科医なので異分野でしたから、実際に理学療法士と一緒にICUに行ってマニピュレーションをして、いろいろ手技を学びました。どこのバックグラウンドがあっても、そういう色々なリハビリテーションを扱うことに積極的に前向きに取り組んでいくという姿勢がやっぱり重要です。

よく、神経内科出身だとか整形出身だとか脳外出身だとか、いつまでも自分の出身母体に依存しているのは大きな間違いで、それをやっていたらあまり進歩がないと思います。変わっていったときに、流れについて行けるだけのキャパシティを残すことが重要で、あらゆるところに広く浅くでもいいから苦手をつくらないということが重要だと思います。

リハビリテーション科医は、せっかく今、基本領域になって勢いがあるわけですから、それを理解できないような人はいけないと思います。新しいものに対して拒絶反応を持つ、自分の流儀にかたくなにはまり込んでしまう、こういう悪弊をなくし、自ら発掘して患者に応用してやろうというように前向きにやっていくと今の若い人たちはもっとどんどん伸びると思います。

 中馬:整形外科を選択された理由は何でしょうか?

島田:だまされて入りました。(笑)私は、札幌医大を卒業して外科に入るつもりで秋田に来ました。秋田に札幌医大の先輩がいまして教授のところに連れて行かれて挨拶しました。そうすると、どうも聞いている人と違うなと。部屋から出てきたら、上に整形外科教授室と書いてある。(笑)それで整形外科医になりました。私は医局の教室員にも言うのですが、本人がやりたいと今思うことと、実はこの人にはこれが合うというのは別なのですよ。特性を見て、こいつはどこに向いているというようなことで決める。

 中馬:(笑)すごくわかりやすいたとえですね。

 杉山:FESとTESの論文を読ませていただいたのですけれども、今、ほとんどの患者さんに使っていらっしゃるのですか?

島田:機械は全国で二千台くらい出ていますから、相当普及しています。アメリカのリハビリテーション科医は、脊損と脳卒中だったら必ずFESの選択を患者に示します。それくらい普及しています。

土岐:先生のところから、立ち上がり時の筋電図の波形分析を最初に出されたと伺いました。

島田:今、藤田保健衛生大学にいる加賀谷先生が、私の大学院生の時に、健常人の起立着席動作の筋電図を分析して、それを(FESで)脊損者が立ったり座ったりできるように作ったのです。私は、動作歩行解析から研究に入りましたので、今でもそちらの研究をつづけています。

皆さんも、いろいろなものの成り立ちや、黎明期のリハビリテーション科が何をやっていたかなど、歴史を良く勉強することが大事だと思います。私たちが若いときのリハビリテーション科医は大変でした。今、日本脊髄障害医学会では、50周年誌を作成しており、日本の脊損の歴史というものを網羅していく予定です。

当時、戦争の被災者等がたくさんいたのですが、みんな早くに亡くなるか、不遇な生活を過ごしていました。それを、脊損の人たちが自立して生きていけるようにしてあげようと考えたのが、中村先生が作られた大分の太陽の家です。そこから、障害者の社会復帰、障害者が自分で働き、生きがいを見つけ家族を持ち、普通の人と同じ生活をしていくという流れが日本に初めてできた。

それまでは、切断者にしても、脊損にしても、みんな社会の隅に追いやられて、医療の恩恵をこうむることもなく、過ごしていたわけです。その当時のリハビリテーションというのは、肢体不自由の療養しかなかったのです。日本のリハビリテーションは、肢体不自由の療育から始まったことを、良く理解しなくてはならないですね。脳性麻痺のリハビリテーションが原点です。そういう歴史をもっと知らなければと思いますね。

大きく変化してメジャーになっていった過程が極めて重要で、そこに至るまでにどういう発展があったか、そこには、必ず歴史を変えるようなテクノロジーがありました。電気刺激にしてもロボットにしても、そういう新しいテクノロジーにどんどん対応していけるようなキャパシティがなければ、これからはついて行けないと思います。

私は、リハビリテーションのなかで受容というのが一番嫌いです。再生医療も出てきてどんどんテクノロジーが変わってきている。そのときに患者に期待を持たせることは罪では全くない。

それがただひたすら概念上のことだけで、評価しかしないのか、評価だけで人は治らないのです。エコーだけあてている整形外科医がいるのですが、エコーだけあてたって人は治らないと私は言います。だから、評価だけで終わっちゃいけない。

よく聞かれる質問のなかで一番重要なのが、療法士とリハ科医は何が違うのだということです。これは明確に答えなければいけません。病態を詳しく知り尽くして舵取りをするのが医者の仕事です。そこの違いを、患者にも同僚にも正しく伝えられなければ、アイデンティティーがない。自分のアイデンティティーをしっかり持つ、それこそが一番重要なことではないかと思います。

自分は何者なのか、人に詳しくそれを説明できる能力があるか、その実力があるか、そこではないでしょうか。だから療法士にもそのようにして接するとよく理解できると思います。

僕は、勉強には相当厳しいです。勉強しようという意欲がなくなったらもう終わり。勉強を一生懸命するやつには何も言わないけれど、勉強をサボるやつにはもう口やかましくいう。教授というのは教えを授ける職業なので、一生懸命勉強させて、知識を増やすのが仕事です。ですから、サボってカンファレンスに1回出なかったら、どのくらい損しているか分かるか?この知識は、二度と得られないのかもしれないぞと。もっと貪欲に勉強しなさいと医局員によく言います。自分の札幌医大の学生時代からは考えられないということで、土岐先生の同僚たちは皆、私のことを非常に不審に見ているわけです。(笑)

土岐:島田先生の話は私のオーベンだった松山 敏勝先生(札幌市発達医療センター)からいろいろ伺っています。先生は松山先生と空手の世界大会に出場した成田 寛志先生(故人)と同じ空手部だったと。

島田:そう。成田(先生)とはね、生涯2勝2敗です。決着つかないまま・・・。

杉山:実は息子に空手をさせようかなと思っています。(笑)

島田:非常にいいと思いますよ。空手は格好がいい。今度オリンピック(の競技)にもなるしね。

リハビリテーションが、今すごく注目されるようになってきたのは、社会構造の変化なのです。超高齢社会になってお年寄りがいっぱい増えた、もうリハビリテーションなしには立ちゆかないということが、誰もが認識したからなのですね。超高齢社会の到来に合わせたグッドタイミングです。

手術をしても薬をやっても何をやっても限界があって、これ以上はどうにもならない、そこを少しでも良くしてあげる、全体を見てあげる、障害を見ようということが出来るのが、リハビリテーション科医で、周りも認識したために、基本領域にも入ったし、いろいろな人が興味を持ってリスペクトしてくれるようになりました。

トレンドで、重要な役割を担っていていると広く認識されることになった。ここ最近の大きな進歩ではないでしょうか。ですから、これからリハビリテーションを専門とする先生方は、非常に幸せだと思いますよ。若い人は、自信を持ってやれるわけだし。ただ、その時に、先程も言ったように、評価だけでは人は良くならないのだと。(一同笑)誰も使わないような評価をいっぱい書いても、なかなか患者は良くなってくれない。

土岐:そもそも医師になろうと思ったきっかけを教えてください。

島田:私の父親が、高校3年のときに47歳で亡くなったのですが、当時札幌医大の和田寿郎先生が心臓移植をやったことから和田 寿郎教授にすごくあこがれていて、うちの息子は必ず札幌医大に入れますと、遺言して亡くなったので、札幌医大に入るしか道はなかったのです。

非常に運命的なものがありまして、学生時代に、和田先生が札幌医大を追われる立場になり、東京女子医大の心臓血管研究センターに移りました。そのときにちょうど循環器内科の教授と訴訟をやって、心臓移植の是非、殺人ではないかということで騒がれていました。それは、渡辺 淳一の小説にも詳しく書いてあります。引っ越すときに、だれも医局員が和田先生の部屋の掃除をしなかった。そのとき、たまたま同級生が和田先生の奥様から英語を習っていて、その人のつてで私が和田先生の教室を掃除しました。和田先生から話を伺って、まあすごい、本当に自分でここに来て良かったなと思えた。あの和田先生と話せたことがやはり本当に大きかったですね。その後の人生を大きく変えたというか。

和田先生は英語を学ぶために、どうしたかというと、当時の札幌プリンスホテル、あそこで駐留軍相手にエレベーターボーイをして学んだと言っておりました。アメリカに行って、あの南アフリカのバーナードが最初に心臓移植をやったのですが、バーナードよりも自分の方が上手かったと。強烈な自負心、やはり大成するトップになるような人というのは、どこかサイコパスだと思います。(一同笑)そういう強烈な自負心といいますか、やはりそういうのが何者にも負けないという強いパワーになるのではないでしょうか。

パワーの足りない人は何をやっても失敗する。つまり悩みすぎないと言うことですよ。こうなるとこうじゃないか、自分はこうしたほうが得するのじゃないか、考えているうちに、オールレディゴーンになってしまいます。よくいますよね、試験勉強するときに、出るところの問題しか覚えないとか、これ大概失敗するパターンですね。だから王道はないのだと思います。相当数の脊椎手術をやってきたのですが、どうすれば早く上手くなれますかとよく聞かれます。そんな妙薬などない。もう王道は一本しかない。ひたすら勉強してひたすら経験する、これしかない。そんな便利なものあったら全部便利な方にいくと思いますね。

ですからよくメソッドだけを求めるというのが若いうちはなりがちですが、だんだん年取ってくるとそうではないということがよくわかってきます。様々なことがすべて経験になりますので、無駄なことは一つもないですね。

 中馬:今日は島田先生の名言シリーズになりそうですね。無駄なことは一つもないですね。

司会(豊岡):島田先生の学生時代の思い出を教えてください。

島田:はい。それはもう、土岐先生が一番良く分かっていらっしゃると思いますが(笑)、私はもう学生の時には、ほとんど勉強はしておりませんで、空手一筋でやっておりました。その時の経験が、今まで生きていく上で役立っています。整形外科医としてもそうですが、リハビリテーション科医としても両方活かされていると思っています。やはり、若い時にどういう経験をしてくるか、どういう仲間に恵まれるかでその人の運命が決まるのだということがよく理解できます。そのために、われわれが若い人に接するときには、大きな影響を与えるのだということを自覚しながら接しなければならないというのが、私の生き方といいますか、うちの医局員に対する接し方といいますか、非常に責任のあることだと思っています。

石田:私は、大学ではリハビリ科に所属しているのですけれど、大学ならではのリハビリ科の苦労というか、何かありますか?

島田:いや、大学はね、大きな組織ですから融通が利かないというのが一番ではないでしょうか。

石田:早めにリハビリテーションの依頼をお願いすると、まだ発症早期で状態が不安定な患者さんのリハビリを依頼されるので対応に困っています。明らかに無理な訓練を依頼されたり、主治医と連絡がとりにくいのも困っています。

 

中馬:医療的にこういう理由があるから今はだめだとか、そこがやはりディスカッションというかコミュニケーションが必要ですね。石田先生から「こういう風にリハビリテーション訓練を進めます」と発信できるネットワークをつくったらいいかもしれませんね。

石田:理解が得られている診療科は大丈夫なのですけれど。

島田:今、中馬先生がおっしゃったように、誰か、キーになる人を捕まえるのが一番でね。キーになる人を作っておくのが。

杉山:先程、先生のリハビリテーション科としてのアイデンティティーというところ、やはりそれがすごくまだ模索しているところで、特に、いま回復期を離れて急性期のほうにいるので、どうやって関わっていっていいか分からなくて...。

島田:救急の現場に行くでしょ。そうすると、どういうことが行われているかということを知らなくてはいけないですね。いろいろな現場があって、普通のERだったら、麻酔科とか外科とかが役立つかもしれない。しかし、本当の救急の現場、例えば震災だとか大事故だとか、いろいろなとこに行った場合は別です。戦場で役に立つのは、整形外科医です。つまり10分間で足を一本切断できる技術がなければ、軍医として役に立たない。で、そういう救急の現場というのを、やはり一回見る必要がある。

救急車で外傷がどんどん運ばれているところでリハビリテーションは何をすればいいのか、こういう人たちを良くするためにはどうすればいいのか、どういうことがやれるのか、ということを、理解しなければいけない。急性期の教育がリハビリテーションには足りないのです。心臓にしても、呼吸にしても、整形にしても、本当の急性期でどうなのか、どうやって人を助けてどうやって治療しているのか、じゃあわれわれリハビリテーション科医は、何をすればいいのかと考える、それがアイデンティティーだと思う。そのために、もっと現場を見ることが必要だと思います。療法士に任せるだけではなくて、本当にこうしなくてはならないと、リハビリテーション科医だから人を助けてあげられるというようなアイデンティティーが重要だと思う。

杉山:現場に行って、研鑽を積んで、そこから自分で考えるということですが、急性期、超急性期のリハの先生がいないので、救急救命センターの端っこの方で何となく肩身を狭くして見学しています。

島田:一番でかい顔をして見たらいい。(一同笑)

土岐:救急部とカンファレンスをしていくのも良いですね。

杉山:脳外科と入退院のみ受け渡しとか、そういう実務的なことだけで、リハビリテーション科としてカンファレンスには参加していないですね。

島田:だからリハビリテーションにはね、すごいアドレナリンが上がる分野とまったりした分野が全部あるの(一同笑)。全部あるからまあ広すぎる。それがまた楽しいところではないですか。

石田:そうですね、勉強することは本当に一杯あって、右往左往しています。急性期病院は、入院期間が短いため、訓練をしても、有効であったかどうか、評価するころには患者さんが転院しているので、結果が分からないです。療法士が自分がした訓練があっていたのかどうか知りたいと言ってきてくれるのに解らないままになることが多くて。

司会(豊岡):医師同士は患者さんの入退院の時に情報提供書を送り、返事を書きますよね。私の病院では療法士からも急性期病院へ退院時に報告書を出すようにしています。

島田:大切なのは急性期の本質を知らないリハビリテーション科医を作ってはならないということ。急性期の本質を知るべき。非常に危ないときどうなるか。例えばですよ、東日本大震災では、派遣した整形外科医の DMATはあまり役に立たなかった。何故かというと、みんな津波に流されて死んでいたから。ところが、阪神大震災は、ご存じの通り、皆家屋などでつぶされ、クラッシュシンドロームになった。助けるには、いち早く足を切断するか、透析するかしかないわけですよ。

その時に、神戸大学と兵庫医大の整形外科がとにかく頑張って、その対処を一刻も早くやり、それで助かった命がいっぱいある。出来上がってしまった所にいってやるリハビリテーションと、いま本当に真っ最中のところに行ってやるリハビリテーションは別個のものなので、真の意味の急性期というものを、もう一度リハビリ科は再検討するべきかと思います。

つまりextra acuteですね。超急性期、超急性期に対処できるリハビリテーション科医を作ると言うことはアメリカから見れば相当遅れている。私の同級生がサンフランシスコのgeneral hospitalでリハビリテーション科医をやっていますけれども、彼はね、その、救急外傷のところにいます。救急外傷の患者、即リハビリだと。日本のリハビリはね、まだまだ部分的には足りないところがいっぱいあり、今やっていることが、ゴールドスタンダードで網羅していると思ったら大間違いで、これから活躍する場所はまだまだあると思いますね。

土岐:女性の医師ということで、何か特別なことはありますか?

島田:いや、うちはね、女医は入局した時点で二学年特進です。

一同:「?」

島田:女医を幸せにする教室だと。(一同笑)女医が幸せでなければ、教室として失格だと(医局員に)言っています。そういう風に言われると、女性医師も一生懸命頑張る。女医だというハンデは全くない。うちの女性達は、バリバリですよ。誰も弱い人は1人もいないな。全部自分の力になりますので、無駄なものは一つもないと思います。だから回り道しても全く問題ない。女医さんが結婚する、出産する、子育てする、そういうこと全部ビハインドだと言う人がいますが、全くそうではないと思います。

私は、医局員にどんなに忙しくても子供の運動会と卒業式と入学式だけは必ず出なさいと言っています。これは、子供にとって一番重要なことで、それを蔑ろにして仕事をしている必要はありません。だから、3~4年のビハインドがあっても、それは確実に挽回できるものであるし、何も焦る必要はないと思います。今も一人、産休の女性医師がいますが、彼女にはそう言っています。何も心配ないから一所懸命子育てして、生活もそれから学問も全て責任を持ってやるから大丈夫だと、そういうことが一番重要なのではないのでしょうか。

 


最後に

司会(豊岡):そろそろお時間ですので、先生方、今日はいかがだったでしょうか。

石田:名言がいくつか出た中で心に響いたのは、評価だけで人は良くならないということです。どうしても評価に偏りがちで、ベッドサイドに行って、訓練を見ることがなかなか出来ていないので、患者さんのそばでリハビリテーション治療に励んで行きたいと思いました。今日はどうもありがとうございました。

杉山:一番はじめに先生が、下の人に自分が与える影響の大きさを常に念頭に置いて教えられているとのお話を聞いて、また、心に響く言葉がいくつもあって、今回のインタビューが私の人生のなかで大きく影響を与える感じがします。リハビリテーション科医師のアイデンティティーということを、悩んでいましたが、今日の晴れ空のように、雲の間から何か見えたような気がしました。本当に今日は、素敵な機会と素敵な言葉をありがとうございました。

島田:すごくやりにくいのはね、目の前に土岐先生いるからね。(一同笑)

司会(豊岡):土岐先生、どうぞ一言お願いします。

土岐:私は、インタビューに初めて参加したのですけれども、本当に楽しい時間でした。知っているようで知らない島田先生のことを知ることが出来て、本当に良い名言もたくさん持って帰れそうだと思います。ありがとうございます。

島田:ありがとうございます。

司会(豊岡):それでは、私が先に言わせていただくと。いつも東北地方会などでお会いして、率直に申し上げますと、強面っていうふうに思っていたところが・・・(一同笑)。今日はすごく患者さんに対して、あるいはスタッフに対しての温かい気持ちというのを沢山教えていただきました。ありがとうございました。最後に、委員長の中馬先生からお願いいたします。

中馬:島田先生、本日は本当にありがとうございました。沢山の名言・格言があって、本当に勉強になりました。私自身改めて襟を正さないといけないと思ったことの一つに、教育に対して僕は厳しいよっておっしゃった一言です。私も大学で勤務していた時は、そう思っていたかと思うのですが、今、市中病院で、急性期と回復期リハビリテーションに携わっているのですが、何となく流されてしまうところがあります。

忙しいからというのは言い訳に過ぎないと思うのですが、先生がおっしゃるように、リハビリテーションってどんどんどんテクノロジーを吸収して一緒に組み合わせて、電気刺激やロボットは当たり前、昔のように半年やったらプラトーと判断して良いのか、など変化してきていると思います。リハビリテーションは変化に富んでいることもあって、面白い分野だと思います。

島田先生がずっとやっておられることはまさしく、いろいろな技術を取り入れて、立てない人を立たせて、その後の技術が組み合わされて、もっと楽に立てるようになっていくような、発展をしていく、未来が明るい分野ではないかと、改めて感じました。私自身、甘くなっていると感じまして、明日から頑張らなくてはと思いました。本当にありがとうございました。

島田:若い人をいかに伸ばすかということが一番大事で、若い人たちがやる気をだしてどんどん先輩たちを追い越していくような、そういうリハビリテーション科でなければ進歩はないですよ。世界とは戦えない。だから是非自信を持ってやってください。ありがとうございました。


インタビューを終えて・・・

12月の秋田大学に訪れた、緊張気味のインタビュアーと私達一行を、島田先生とスタッフの皆様が、細やかなお心遣いで温かくお迎えくださいました。島田先生のお話しは、最初は冗談かと思うようなエピソードで始まり、最後は名言でしめくくられる、という説得力のある内容が繰り返され、一同深くひきこまれました。教育や研究、地域連携、臨床、自己研鑽の心構えを始め、教室のスポーツの取り組みなど、何事にも熱く、しかも楽しそうに語られているお姿が印象的でした。

お忙しい中、このような貴重な機会を頂き、島田先生とご教室の皆様に、深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

(中馬 孝容、豊岡 志保、土岐 めぐみ)