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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第20回「この先生に聞きたい!」女性リハビリテーション科専門医キャリアパス

日時 2018年3月16日(金)
場所 東海大学医学部付属病院会議室
ゲスト 正門 由久 先生(東海大学医学部リハビリテーション科学教授)
インタビュアー 木下 香織 先生(松江赤十字病院リハビリテーション科)
吉川 真理 先生(産業医科大学リハビリテーション医学講座)
司会 浅野 由美(千葉大学医学部附属病院)
藤原 清香 先生(東京大学医学部附属病院)
オブザーバー 中馬 孝容 先生(滋賀県立総合病院)
大串 幹 先生 (兵庫県立リハビリテーション中央病院)
藤谷 順子 先生( 国立国際医療研究センター病院)

 

司会(浅野):今日は第20回目のRJNインタビューで、東海大学医学部リハビリテーション科 正門由久教授をゲストにお迎えしています。

正門:第20回! おめでとうございます。

一同:ありがとうございます。

司会(浅野):インタビュアーは、産業医科大学リハビリテーション科 吉川真理先生と、松江赤十字病院リハビリテーション科 木下香織先生です。司会は東京大学リハビリテーション科 藤原先生と、千葉大学リハビリテーション科 浅野が務めさせて頂きます。

司会(藤原):藤原です。よろしくお願いします。

司会(浅野):また、オブザーバーとして、RJNより中馬先生、大串先生、藤谷先生が参加しています。では、まず、インタビュアーのお二人から自己紹介をお願いいたします。

吉川:吉川真理と申します。産業医大を卒業し、鹿児島で初期研修を受けた後、産業医大に戻り、関連の労災病院での勤務や小児リハビリテーションなどを経験し、現在は大学にいます。この4月からは横浜市総合リハビリテーションセンターで勤務予定となっています。よろしくお願いします。

木下:木下香織と申します。松江赤十字病院リハビリテーション科に勤務しています。もともとは神経内科医でしたが、育休明けで仕事に戻る際に神経内科の上司からリハビリテーション科で仕事をしてみないかとアドバイスを受け、現在はリハビリテーション科医として働いています。

正門:僕も自己紹介させて頂きます。1982年慶應義塾大学医学部を卒業し、リハビリテーション科に入りました。(註1:当時は卒後2年間の初期研修は義務化されておらず、卒業後すぐにどこかの医局に入局するのが一般的だった。)その頃は、リハビリテーション科は教室(註2:大学医学部の講座のこと。)ではなくて、診療科だったんですね。当時リハビリテーション科の入っている建物はバラックで・・・。何もなくて〜〜。

その後研修医として、整形外科、神経内科、呼吸循環器内科、外の病院の整形外科をまわり、(註3:当時の慶應義塾大学リハビリテーション科研修プログラムは、リハビリテーション科と関係が深い診療科のローテイトを含むプログラムだった。)それから慶應義塾大学病院リハビリテーション科、月が瀬リハビリテーションセンター(慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター、平成23年に閉院)で4か月ずつ、計2年間研修して、その後に国立塩原温泉病院1年間、再度月が瀬に2年間、国立村山病院(現国立病院機構村山医療センター)に5年間いました。

その後アメリカ・ボストン大学に留学をしました。それから慶應義塾大学リハビリテーション科に帰って、「漬けられて」おりました。平成5年に千野直一先生が教授になられて、平成7年にリハビリテーション科は教室になったんです。だから皆さんが思っているより、慶應義塾大学医学部リハビリテーション医学教室としての歴史は浅く、実は僕の博士号も、生理学教室教授からもらっています。
大学では、逃亡の機会を狙っていましたが抜けだせませんでした。平成13年デンマークのコペンハーゲン大学に留学をし、その留学から帰ってきた後に、平成15年月が瀬リハセンターで准教授に、その後副所長になりました。それから、平成20年に東海大学に来て、ほぼ10年ですね。

木下:正門先生がリハビリテーション科に進まれた時、建物はバラックみたいなところ(笑)とおっしゃっていましたが、バラックみたいなところに入っていたリハビリテーション科にどうして進まれたのですか。

正門:リハビリテーション科の前に、まずなぜ医者になったかというところからさかのぼると、実は、高校1年のときに肺結核になって、清瀬にある結核研究所附属療養所に4か月間入院していたんです。その頃、清瀬はすごく森の中で、何もなくて。こんな田舎に送られてという感じのところでした。しかしそこで医者になろうと感じてなったんですけど、医学部に入ってから、特に4年生ぐらいの時に本当に医者になっていいのかということで実はすごく悩んでいました。

 

どうしても必要な科

正門:医学部に進学してから4年生のとき、ケースワーカーのところに1年間ぐらい行っていて、いろいろな患者さんの面接を一緒にやらせていただいたり、脊髄損傷患者さんのお宅に伺ったりしていたんですね。そこで、がんの患者さんとか、二分脊椎のお子さんのお母さん、脳性麻痺のお子さんのお母さんがご家族との関係ですごく悩んでいらしたりするところの面接に同席させていただきました。
そんな中、医学部でリハビリテーション科の授業を受けました。でも、当時リハビリテーション科の授業はたったの2回(2時間)しかなかったので、リハビリテーション科のことはよく分からなかったんです。だけど、体が不自由な方はどういうふうになっているのだろうと思って、月が瀬リハビリテーションセンターに1週間ぐらい行ったんです。そこでもケースワーカーのところで、脳卒中や脊損の患者さんと面談をしたんです。

吉川:そういう体験がリハビリテーション科に進むことにつながったのでしょうか。

正門:僕自身は、神経系をやるところに行きたいと思っていました。どうして神経系をやりたいと思ったかというと、その前年に母が脳梗塞になって、失語症になったんです。その時にリハビリテーション科を考えたんです。最終的には神経内科や脳外科より、やはりリハビリテーション科を捨てられないというか、リハビリテーション科はどうしても必要だと思ったのと、先ほどもお話ししましたが、自分自身が医者に向いていないなと思っていたので、どうせやるんだったら、他の人がやらなさそうな科を選ぼうというのもありました。

木下:学生のときからケースワーカーについてお話を聞きに患者さんのお宅に行く。そういう機会は、大学の講義ではないですよね。

正門:講義ではないです。講義とは関係なく、たまたま出会ったケースワーカーのところに行ってみたら、「じゃあ来る?」と言われて、ちょっと行ってみようかなと思って。自分なんかが医者になっても、と思っていた時期だったし、普通の医者になっても面白くないと思っていたので。

木下:ケースワーカーさんについて行ったら面白いと思われたからですか。

正門:ケースワーカーについていったら面白いというよりも、医者だけが一人で何かやるという感じではないところになにかを感じたんです。ケースワーカーさんが社会福祉制度のことをやるというのはもちろん当然なんですけど、実は患者さんとの面接で他では話せないような悩みというのを聞いていたんです。

木下:普通の学生生活をしている中で、なかなかそういうところまで視点を向けることはないと思うのですが。

正門:視点とか、そんな偉そうな感じではなく、医者じゃないこと何かないかなというのがあったので。

木下:王道じゃないところに道を探していらしたんですね。

正門:病院の中で働いていたケースワーカーの方の存在に、こんな仕事があるんだと思ったんです。

木下:では、その方との出会いもあって、最終的にリハビリテーション科を選ばれたのですね。

正門:そうです。ケースワーカーの存在は大きかったと思います。

 

 

研究は臨床の延長線上に

吉川:正門先生は、ずっと大学で研究に従事されていらっしゃいましたが、私は今年卒後12年目を迎えるにあたり、どのように研究計画を立てていけばいいのか悩んでいる部分もあります。正門先生が研究のテーマを決めていかれた経緯についてお伺いしたいです。

正門:僕は、まず臨床があってということで、診療している中で疑問に思ったことをすぐにノートに書くようにしています。途方もないこと、実現が不可能そうなことでも書いているときもあります。でも努力すれば、もしかしたらできるかもしれないという意味で、まずはなぜ疑問を持ったかということを書いて、それを解決する方法を探して書いていくようにしています。それから関連する論文を集めて、研究計画を立て、一つのフォルダにして、今はDropboxの中に入れてあります。

吉川:先生のクリニカルクエスチョンから生まれるテーマ。

正門:そうです。そして、答えの出し方も2~3種の方法を考えます。その中で、どれが一番適切な方法で回答が出やすいかということも考え、決して間違わないようなテーマを大学院生や下の先生たちとお話しします。研究も、最初は僕がやるけど、だんだんに彼らが自分でやっていけるように指導して、1~2年で勝負がつけられるようにします。それから、特に大学院生が研究をする際には、なるべくわれわれから遠ざけるようにしていました。というのは、われわれの近くにいると、診療が忙しくてつい手を借りたくなってしまいそうだったので。若い先生達は慶應義塾大学理工学部など他の場所へ出して、診療に追われず研究に取り組めるようにしていました。

吉川:研究テーマを見つけるのに、フォルダを作ってそこに入れていく。先生のお忙しいスケジュールの中から、そういう時間はどうやって作り出されているんですか。

正門:フォルダをいきなり作るということではなくて、いろいろな疑問を書いて、書いたところから、どういうふうにしたらこの問題を解決できるか、そこを考えて、この研究とこの研究をやったほうがいいと組み立てていく。実は僕、リハビリテーション科に入った時は、研究は全然好きでもなんでもなかったんです。研究より、むしろ、診療しないとだめでしょうと思っていました。けれど、今になってみると、実際に研究に向かっていったのは自分でした。

木下:先生は神経生理がご専門ですね。最初からご興味をお持ちだったんですか。

正門:それが、実は最初のテーマは病理だったんです。1年ぐらい病理をやったあと、博士号のテーマを何にしようといったときに、SEP(Somatosensory evoked potentials:体性感覚誘発電位)をやるように言われて。SEPってなんですか?というところから始まって、色々やっていたんですが、やればやるほどわからないことが多くて・・・。ポジティブデータにならなかったので、SEPで博士号は取れませんでした。でもその後、頸髄損傷の患者さんの損傷部位の筋力が少しずつ回復していく様子を見て、どうしてなんだろうと思って、針(針筋電図)でもさしてみようという話になり、そこからmotor unitの数を数えたり、発火頻度の解析をしたりという研究テーマにつながっていきました。
こうだったらこうなるはずだろうという考えのもとに実験をして、もちろん外れることも当然あるので、外れたら、何でこうなったのかというところをまたよく考えて練り直す。ただ、下の先生と一緒にする研究テーマとしては、ポジティブデータにならないといけないと思って、方法などを間違えないように考えてやってきました。必ずしも最初から神経生理をずっとやろうと思っていたわけではなかったのですが、結果的にそういうふうになったんです。
あと、留学していた時に時間があったので、図書館へ行って、そのとき取り組んでいた研究とは違う研究とか、なにか面白いことがないかなと思って文献を読んだりして、東京に帰ってからできることはないかということを常にノートに書いて。こういうことはうちに帰ったらできるんじゃないかとか、でもこれが必要だとか、これがないとか。これがなくても、これができるんじゃないかというところを考えて、テーマを書いていっていました。もちろん全ての施設に全ての機器がそろっているわけではないと思うんですけど、そこでできることはそこでやればいいし、やれないことは、ほかのところにやらせに行かせてもらうとか、勉強に行かせてもらえばいいと思います。

木下:どこにお勤めのときも研究と臨床に同時並行で取り組んでいらして、研究のテーマになるようなことを常に書き出すんですね。

正門:一応書いて、思いついて書いて、できそうでもないことでも、できそうなことでも書きます。自分の研究もそうなんですけど、指導するべき先生方の研究を一緒にするというのもあるので、この人に何をやってもらうか、どう勉強させるか、その人その人によって違うので、各々にあったテーマを考えて、よく話し合い一緒にやるんです。だって一人で研究や実験をやるのは難しいんです。何かやめる理由をついつい見つけてやめたくなる。みんなと一緒にやったほうがいいでしょう。月が瀬で働いていた時は、月曜日はPTと、火曜日はOTと、水曜日は医者と、という感じでみんなと一緒に研究していました。

木下:いろんな人の研究をずっとサポートされてきたんですね。

正門:そうですね。PT、OT、STとも研究しています。今になってみれば僕のほうが詳しいことが多いのですが、僕が若い頃は、彼らの方が早くからリハビリテーションの専門家として学んできていたので、教わることも多かったです。僕ら医者の方は、リハビリテーションをほとんど学ばないまま医者になってしまっていたので。だから、後期研修医(専攻医)には、最初にまずキネシオロジーの勉強をしてもらうようにしています。「キネシオロジーのこの本の100ページまでを勉強してこい」と。試験をするということです。

 

 

リハビリテーション科医に不可欠なもの

正門:基本的にそこがわからないのに、何で手が上がらないのか、どうしてこうなっているのかわからないわけですよね。だから、中村隆一先生の「基礎運動学」などが必要な知識です。知識がないと、リハビリテーション医療を実践できないわけです。PTやOTは、学生時代に最初にああいう本を買って勉強してきているのに、医者は?
もちろん、最初からいきなり彼らを超えるということは無理で、われわれのほうが彼らから学ばなくちゃいけないし、僕も、PT・OT・STに、相当いろいろなことを教わって今に至るというところが当然あります。
それから、彼らに対して、専門職を専門職として尊敬できる、対等な専門家として敬う、そういうことができることも、リハビリテーション科医師には求められていると思います。リハビリテーション科医師にとって何が一番重要かというのは、協調性だと僕は思います。そうじゃないと、チームは成り立っていかないですよね。

木下:チームとして動く時に、担当者交代の必要を考えたりというようなこともあるでしょうか。

正門:担当交代ということはありません。僕は今までしたことがありません。それは患者さんの家族に言われても、できません、という答えを言います。それだったら、僕を解任してください、です。
交代をするとはどういうことかというと、その人に対しての信頼の欠如に至るということになりますが、そこだけではやはり終わらないと思います。療法士にとって大きな傷になるだけでなく、組織全体にとっても大きな傷になるし、先生にとっても大きな傷になると思いますね。
どんなに苦労しても、教育して引き上げていかないといけないと思いますし、スタッフ間の信頼関係なくしては、リハビリテーション医療自身が成り立っていかないと僕は思っています。信頼して同じ方向を向いていないと、当然ながら患者さんにとっては、悪いことばかりです。入院して、同じ方向を向くためにミーティングを開いているわけですからね。

吉川:忘れられない症例があればお聞かせください。

正門:すごく若い40代のくも膜下出血の方だったんですが、ADL全介助で、片麻痺だけじゃなく拘縮がひどくて、しかも反対側の下肢にも麻痺があってという方がいました。これは難しいな、というのが最初の印象で、やはり介助量をもっと軽くするぐらいしか、われわれができることはないのかなと思っていたんです。奥さんもお若いし、お子さんも中学生で、その状況では、昔でいう老人病院に行くしかない、そういうような感じだったんです。介護保険ももちろんありませんでしたし。
でも、そこでわれわれはミーティングを開いて、こんなことでいいのかと。こんな四十幾つの人を、このまま老人病院に行かせていいのかと。それが自分たちの仕事なのかという話になったんです。ここの病院、つまり月が瀬リハビリテーションセンターは、最後の砦で、ここより先に行く病院はない。なので、ここで食い止められなくて、どこで食い止められるのか?そこから、どこまで拘縮がよくなるか、ストレッチをしながら、LLB(Long Leg Brace:長下肢装具)とSLB(Short Leg Brace:短下肢装具)をつけて、歩行訓練をやり始めて。でも、拘縮はなかなか改善しなかったので、手術をして、なんとか立てるようになって、装具で歩けるようになって。
そうしたら、実は拘縮はひどかったんですけど、麻痺はそんなにひどくないというのが分かってきたのと、末梢神経障害であった左の下肢は回復してきて。1年半くらいかかったと思うんですけど、1985年8月に発症して、1986年1月に月が瀬に来て、10か月入院して11月に退院。でも月が瀬に来るまでに3か月か4か月かかっていたので、今の回復期リハビリ病棟の制度だと行き先がなくなってしまう方だと思いますが。
なぜその方がそんなに印象に残っているかというと、実はその方は有名な大手の企業のビジネスマンで、退院の日にお部屋に行ったら、なんと、革靴を履いて、スーツを着て、こんなに背が高かったっけというような感じでとてもびっくりしたんです。
そのあと、実は、その方がどうなっているかよくわからなかったんですけど、印象に残った症例として雑誌に書くことになったので、その方がどうなったかというのを調べ、お宅に電話してみたら、20年たっていたんですけど、お元気でお家にいらしたんです。
あの時、われわれが諦めなくてよかったなということが一つと、俺ってなんて洞察力がないんだということですね。先を見る目がないなというか、いわゆる治療を継続するのに回復の可能性を示す根拠を持って、ちゃんとスタッフを説得していたかということが、なっていないなという。まあ4−5年目でしたが。

木下:気概だけでということですか?

正門:そうですね。気概だけでやってしまっていたので。気概だけじゃ駄目で、治療を継続するために、回復の可能性を示す根拠を持ってちゃんとスタッフに説明しなくちゃいけなかったと思っています。

 

若いリハビリテーション科医に期待すること

司会(藤原):先生は東海大学リハビリテーション科学講座のホームページで、正統派のリハビリテーション科医師を育てたいとおっしゃっていますが、若いリハビリテーション科医師に対して、こうあってほしいという期待がありますか。

正門:先ほどの話からも、やはり患者さんの持つ可能性を考えて、見極めて、さらにそれを実行することが必要なのと、その力量が求められていると思うのと、粘り強くやらなくちゃいけないこと、諦めないこと。
それから、やはりわれわれが最後の砦なので、これ以上の後はない。そこで、われわれのパワーを最大限発揮させるためにも、医者としては当然矢面に立つ必要があります。PT、OT、STを従えるという意味ではなくて、われわれのパワーを一つの方向に向かって発揮するために、どこにパワーを発揮して、どういうふうになるのかということと、自分の限界をよく知ることが必要だと思いますね。
スタッフミーティングを、PT、OT、STとケースワーカーと一緒にやっているんですけど、そこにご家族に入っていただいてやることもあります。それは、われわれがやっているところをご家族に見ていただくということでもあります。みんなでムンテラしているような感じもあり、一人で話すと言えないような思い切ったことも言える。麻痺は前からあまり改善していないということはなかなか言いにくいけど、みんなでその患者さんのことをよく考えているんだよ、ということを聞いて頂きたいために、ご家族に入ってもらったこともありました。

吉川:まさにチームという感じですね。

木下:療法士による力量の違いから機能予後が変わると感じることがありますか。

正門:そうですね。具体的に療法士によって何が違うのかというのを考えたことはあるかということ、なぜ違うんだろうということ、それから、それをどう考えているのかというところが大切だと思います。
PT、OTには、もちろん、いわゆるハンドリングというか、手で操作するところとか、すごくセンスを求められているのと、患者さんとの高度なSensorimotor Interactionが求められているんです。患者さんにも求められているんですけど、彼らにも求められていると。そこをあなたは医師としてちゃんと処方しているのかということを聞きたい。あなたはちゃんと患者さんを見て、こういうことをやりなさいと指導しているのかと。そうじゃなくて、丸投げしているんだったら、誰でも同じだろうと思います。彼らが何をやっているのかというのを疑問に思ったんだったら、なぜそうしているのかを問う。これは違うだろう、これはやっちゃいけないとか、こういうふうにしてくださいと言わなくちゃいけないんです。
私はこういう処方をしたんだけど、それがどういうものになっているのかというところをしっかり見ないといけません。処方というのはPT、OTとのコミュニケーションでもあるけれど、彼らと同じ方向を向いていない場合もあるので、そのときは、いや私はこういう意味で、こういうことを処方したんだということを、言葉では表せない行間のところをちゃんと伝えないといけないですし、彼らがそれをできないんだったら、こちらが実践できないといけないときもあります。
そういう意味では、われわれが患者さんを診察するときに、患者さんの手足もそうですけど、全体を的確に評価できているか、感じ取れているかどうかという、その医師のSensorimotorが問われているという感じです。わかります?

吉川・木下:はい、わかります。

正門:つまり逆に言うとこちらが評価されているような感じですよね。

 

常にまず正しい診断を

正門:それは、病院でもそうですが、訪問診療でもそうですね。今のように訪問リハビリテーションが一般的になる前に、世田谷区からの依頼で、開業医さんから訪問リハビリテーションしてほしいと依頼されました。福祉センターに上がってきた症例を、PTやケースワーカーと拝見しに行き、僕が診察してリハビリテーション処方をするということを5年ほどしておりました。
実際に行ってみると、ある方の例だと、玄関に入ろうとしても入れる状態ではない。ごみがすごくいっぱいで、玄関が開けられないぐらいでした。左側に行っても、壁と家の間がこれくらいしかない。右側に行くと、這っていけば行けそうなので、なんとかさーんって言ってみると声が聞こえるんで、すみません、どういうふうに入ればいいんですかと言ったら、「壁伝いに来てください」と言われたので、壁を伝っていくと庭に出て、庭に出てみたら、患者さんがお部屋に座っていらっしゃいました。
玄関だけじゃなくて家の中もごみだらけだったのですが、教科書みたいなハードカバーの本をたくさん持っていらして、それが平行棒のように並んで、そこの間は歩けるようになっていたんです。

木下:本を積み上げて手すりに!

正門:そのとき初診だったのですが、今まで何をしていて、どういうふうに過ごされてきたか、今、なぜここに一人で住んでいるのかという話から始まって…。その方は、実はある大学の薬剤師さんだったんですね。世田谷に住んでいたぐらいだから、経済的にも恵まれていたのでしょうが、親御さんが亡くなったときに、遺産相続のためお家が半分になってしまって。トイレに行くコースとお風呂に行くコースの両方に、本の平行棒がずっと並んでいたのですが、玄関はなにしろごみだらけで入れないというところで、何でこんなふうになっているのかと。それで、いろいろ診察してみると、実は、その方はポストポリオ症候群でいらしたのではないか?と考えました。子どものころから足が悪かったこと、だんだん悪くなってきていて、下肢麻痺だけじゃなくて、上肢も弱くなってきているようでした。
30分以上話を聞いて、診療するというよりも正座をして話を聞いて。一応、筋力や関節可動域を測ったら、膝がすごい反張膝になっていて。でも装具はつけていなくて、その平行棒の本で、うちの中を何とかしているという状態であって、この方をどうしようという感じになりました。病院に連れて帰れるんだったら、装具を作って何とかしようかなと思うんですけど、訪問リハビリテーションでやっていることを考えると、この方の生活を壊さないようにしながらということも考えなくちゃいけないので、そう簡単ではないですよね。
その時に感じたのは、やはりちゃんと診断できる能力がないと駄目ということです。訪問リハビリテーションをやれと言われても、開業の主治医が書いてきた指示書には1行も書いていなくて、あと「リハビリテーション」と書いてあるだけなので、経過のわからない方がいっぱいいらっしゃるわけです。
診断や治療が適切であったか、リハビリテーションが適切に行われていたのかという、なぜ今のこういう状態が起こっているのか、頭の中がもうはてなマークだらけでした。だから、しっかりした診断と治療がちゃんと行われていて、リハビリテーションが行われていたんだったら、今の状態は起こり得るはずがない状態が、まだ家の中では起こっているということが疑問でした。そういう意味では、やはり医師の問題が大きいと思いました。
それから、先生方は病院に勤務されているから、退院する前に家屋訪問に行ったりされていると思うんですが、必要だと思って導入した手すりとかポータブルトイレとか、いろいろなものがありますよね。それが本当にどれくらい使われているのかを見ていただきたいですね。ポータブルトイレの上に物が置いてあったり、手すりが無用なところに付いていたりとか。なので、生活用具や装具が本当にちゃんと使われているか、それで生活が再建されているのか、しっかり見る必要があります。
在宅にはやはりいろいろな方がいらっしゃって、介護保険でのリハビリテーションの処方というのは、今後たぶん話題になると思うんですけど、リハビリテーション科医師がそれをできるかということですよね。それについては、今後生活期リハビリテーション医学会で、講習を受けるとできるようにするなどの議論がされていくと思いますが、どこまでちゃんと適切にできるかということが課題です。

 

司会(藤原):生活期の問題をみるときも、やはり診断と適切な処方が重要ということですね。さて、まだまだ、お伺いしたいことはつきないのですが、お時間が迫ってきてしまいました。最後に、インタビュアーのお二人から、お話を伺った感想をお願いします。

吉川:本日正門先生とお話をさせて頂いてどのお話も自分には勉強になることばかりでした。粘り強く患者さんを診ていくことや療法士さんたちと同じ方向を向くようもっていくこと、リハビリテーション科医師として自分に出来ることとそうでないことを明確にし、難しいと感じたことは他科の先生と連携をとっていくことが大切だと感じました。また、これまで研究をするということにこだわり悩んでもいましたが、臨床の中から疑問に思ったことを文献等で調べて、それでもわからない、解決が難しいと感じたときに調べていくということをしていけばいいのだなと思いました。そして上級医の先生方がどのような考えで私たちに指導をして下さっているのかについても大変勉強になりました。本日学ばせて頂いたことを明日からの診療に活かしていけるようがんばります。

木下:リハビリテーション科医として一番大切なこととして、協調性を挙げられたことに勇気づけられました。私自身、リハビリテーション科医としての経験は乏しく、先生のような深い知識や技術を身に着けるにはこれから長い時間が掛かるとしても、まずスタッフや各科の主治医と協調協働して患者さんに向き合うことは、今からでも心掛けてできることだからです。ただ、時には治療についても説得力を持って主治医に意見できるように、リハビリテーション科医としての専門性を磨くことが前提である、ということもお話の端々で感じられ、その基礎があって初めて信頼が得られるのだという厳しさも感じました。リハビリテーション科医としての研鑽を積むことで見えてくる景色があると思えるお話で、遠い道のりでもぜひそこを目指してみたいと思います。

司会(藤原):正門先生、本日はお忙しい中、貴重なお時間を頂戴し、本当にありがとうございました。

一同:ありがとうございました。

 

インタビューを振り返って

「こんな話で本当によかった?」

インタビュー後に正門先生がかけてくださったお言葉です。ゲストでありながら、インタビューがうまくいくよう常に細やかにお気遣い下さり、場をエスコートして下さった正門先生。そのお姿から、たくさんの人とチームを育てていらした正門先生のこれまでの歩みが容易に思い浮かばれました。

RJN(Rehabilitation Joy Network)の名付け親でもいらっしゃる正門先生、これからもご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。

(浅野 由美)