サイト内検索

リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第23回「この先生に聞きたい!」女性リハビリテーション科専門医キャリアパス

 

日時 2018年12月13日(木)
場所 兵庫医科大学リハビリテーション医学教室 教授室
ゲスト 道免 和久 先生(兵庫医科大学リハビリテーション医学教室 教授)
インタビュアー 西村 彰代 先生(香川県立中央病院 リハビリテーション科)
菱田 愛加 先生 (名古屋大学医学部附属病院リハビリテーション科)
司会 中馬 孝容 先生(滋賀県立総合病院)
オブザーバー 大串 幹 先生(兵庫県立リハビリテーション中央病院)

自己紹介
リハビリテーション科医を志したきっかけ
リハビリテーション科の研修で経験したこと
他診療科との関わり方
「人と違うことをする。」
「評価」は大事。
最先端医療としてのロボット治療
患者さんが教えてくれたこと
若い先生への助言
ワークライフバランスって?
AIについて
学術集会ではすべて学べます。
急性期病棟から直接退院すること
仕事の合間にリセットの時間を作る

 

自己紹介

司会(中馬):本日はリハビリテーション科女性医師ネットワークRJNの企画、第23回「この先生に聞きたい!」女性リハビリテーション科専門医キャリアパスということで、インタビューのゲストとして兵庫医科大学リハビリテーション医学の教授 道免和久先生にお願いいたしました。
本日のインタビュアーのお二人は、香川県立中央病院のリハビリテーション科の西村彰代先生と、名古屋大学医学部附属病院リハビリテーション科、菱田愛加先生です。皆様よろしくお願いいたします。

道免:よろしくお願いします。
皆さん、RJN企画としておいでになっていますね。実はRJNの誕生秘話についてちょっとお話をしたいのですが、福岡で開催された専門医会で初めてRJNの世話人会が発足しましたね。実は私はその頃、医局員の女医さんに、医局単位ではなく、女医さん同士で横断的に交流ができるようになれば良いねとお話したことがありました。
そして、その時にRJNのJはJoyという意味をこめてはどうかとも提案しました。おそらく僕がRJNの基本の形を提案できたのじゃないかって思っています。

司会(中馬):そうなのですね。誕生秘話を伺うことができました。ありがとうございます。
それでは、インタビュアーから自己紹介をお願いします。

西村:香川県立中央病院の西村です。私は1994年に大学を卒業して、いったん整形外科医として働き出したんですが、それで急性期病院の整形外科医として、手術、手術という毎日の中で、患者さんの回復のためにはリハビリテーション医療がやっぱり大事だなと思い始めて、日本リハビリテーション医学会に入会させていただいたのが2004年です。回復期病棟とか介護保険が始まった、少しあとのころだったかと思います。

道免:そうなのですね。よろしくお願いします。

菱田:名古屋大学医学部附属病院の菱田といいます。私は2013年卒で初期研修を終えて、最初、2年間だけ整形外科で学んでおりました。もともと整形外科医になるきっかけとなったものがあります。小さいときからずっとクラシックバレエをやっており、筋骨格系に興味を持っていてというのがあったのですけれども、2年間、整形外科を学んで、術後のリハの重要性や転倒予防やそういうことにも興味を持つようになり、それならリハビリテーション科医にということで、大学病院のリハビリテーション部に勤務することになりました。

司会(中馬):では、お二人の先生方から道免先生へご質問をお願いします。

 

 

リハビリテーション科医を志したきっかけ

菱田:はい。道免先生がリハビリテーション科医を志したきっかけについて、教えていただきたいです。

道免:大学6年生の確か秋ごろまでずっと、精神科とリハビリテーション科で迷っていました。慶應義塾大学本学にはワグネル・ソサィエティー・オーケストラと医学部には管弦楽団がありましたが、その両方に才藤栄一先生と僕は所属していました。そういうご縁でその当時の『リハビリテーション白書』を才藤先生が自宅に送ってくれまして、それを拝読して感銘を受けたことを覚えています。
実は、私が大学6年生の時に父ががんで亡くなりました。父は九州大学の整形外科の医局に所属していて、天児民和先生門下でして、学位論文の研究は義足の「サクションソケット」についてでした。
私が小さい頃、自宅にはよく身体障がい者の方が父に会いに来られていましたので、リハビリテーション医療には親近感がありました。思春期になると、父に反発する気持ちはありましたね。そのため、整形外科以外の診療科医になろうと思っていました。
今から思うと、結果的には父と似たようなことをしています。父は初代の福岡県の更生相談所長でしたので、実際にはリハビリテーション医療を仕事にしていたわけです。
一方、人と違うことをやりたいという気持ちもありました。当時の慶應義塾大学のリハビリテーション科は、千野直一先生が講師でトップで、教授、助教授はいない教室でした。リハビリテーション科というのはベンチャービジネスのようなこれからますます発展していく診療科だという魅力を感じました。そういうこともあり、リハビリテーション科に入局しました。

司会(中馬):入局された当時のご教室の医学部での教育体制はいかがでしたでしょうか。

道免:授業はほとんどなくて、整形外科の講義の中で2コマのみ、リハビリテーション医学の講義を千野先生がされていました。
入局後は、千野先生からミネソタ仕込みの教育で鍛えてもらいました。古典的なリハビリテーションの文献が100個ぐらいあって、それを全部読めと言われましたので、抄読会で互いに発表していました。

司会(中馬):すごいですね。

道免:当時、卒後2年間はスーパーローテーションとして、整形外科、呼吸器、循環器、神経内科、リハビリテーション科を回ることになっていました。論文を読んで、鉛筆書きでまとめてコピーして、抄読会をやって・・・そういう感じですね。

 

 

リハビリテーション科の研修で経験したこと

司会(中馬):論文を読んで、まとめて、発表して、鍛えられたということですね。リハビリテーション科の研修はいかがでしたか。

道免:リハビリテーション科の研修ですが、当時の慶應大学病院にはリハビリテーション科の病床がなかったので、那須塩原にある国立塩原温泉病院で研修を受けました。先輩には、高橋守正先生と本田哲三先生がおられました。お世話になりましたね。初めて主治医として担当したのは、脳出血の患者さんでした。当時、先輩の先生から、一度、看護師をやってみろといわれました。準夜、日勤、深夜の一番きついのを回って、お茶くみ、浣腸、介護など看護業務を看護師と一緒に経験しました。これは、勉強になりました。いろんなことに気が付きました。

大串:これは、いまなら学生が経験するアーリー・エクスポージャーですね。

菱田:その当時の慶應大学病院のリハビリテーション科は独立していたわけではなかったということですか。

道免:慶應大学病院ではリハビリテーション科は独立していましたけれども、病床がありませんでした。先程の研修先の病院には病床があり、リハビリテーション科医師がいましたが、PT2名、マッサージさん3名、OT1名という少人数のチームでした。まだ、リハビリテーションスタッフだけで、リハビリテーション医療を行うには足りない時代でしたね。

 

 

他診療科との関わり方

西村:お話が変わるのですが、私は急性期病院にいます。急性期病院でリハビリテーション科医として、他科の先生方とお話しする時のポイントというか、これはゆずれないこと、などを伺いたいと思っております。

道免:急性期ではリハビリテーション医療の視点がない先生が多くて、以前はよくリハビリテーション科が介入すると入院期間が延びると言われました。急性期医療側としては、早く退院させたいと考えているわけですから、リハビリテーション医療が必要であると考える時は、なぜ必要なのかということをしっかりと主張することが大切です。
患者主体で考えて、大事なことを、急性期の先生たちや他の診療科の先生たちに主張することは、僕たちの仕事ですね。
ただ、長年診療をしていると、リハビリテーション科の重要性は皆さん分かってくれるようになっています。特定機能病院では、平均在院日数は短くせざるを得ませんが、その後必要があれば、当科の関連病院に移っていただいてリハビリテーション治療を継続しています。
昔は脳梗塞の人は寝かせておくという時代があって、初期のリハビリテーション治療としてベッドサイドでのROMエクササイズが10日間も続くことがありました。その時代からすると、今は良くなりました。

司会(中馬):当院でもリハビリテーション医療の依頼が増えまして、ありとあらゆる診療科からの依頼が本当に増えました。

道免:増えましたね。例えば脳卒中の患者さんにリハビリテーション治療を開始したいという発想はあっても、脳循環の観点で依頼時期が遅くなったこともありました。当院に僕が赴任した頃、リハビリテーション治療に最も理解のあったのは外科の先生でした。術後の廃用症候群をまのあたりにしてきたからでしょう。呼吸に関することもすぐに依頼がきましたね。
リハビリテーション治療の効果を実感していたのは、手術をする外科の先生でしたよ。
今はいろいろな診療科からのリハビリテーション治療の依頼があります。例えば血液内科でも造血幹細胞移植の患者さんとか、どんどん広がってきています。当院では全入院患者の約4割が常にリハビリテーション医療を受けています。
それからVF(嚥下造影)検査は、2001年から行っています。おそらく、関西の中でも早い方だと思います。当時はVFのテレビ室の枠はありませんでしたので、外科の枠を借りて、医局でバリウムゼリーを作って開始しました。

西村:すごいですね。

道免:病棟で普通にご飯を食べている人でも、VFをやってみたら、バリウムゼリーが気管に直行する所見とかあると、当時は本当にびっくりしました。

西村:確認は必要なのですね。

道免:今では、「VF」という言葉は、病院中の職員はほぼ知っているし、看護師さんからも「この人はVFが必要ではないでしょうか」という声が出てくるようになりました。
突破口をつくり、地道に続けること。そうすると文化が生まれて定着してきます。それにはある程度時間がかかります。時に、主張して周囲に本質を理解してもらいます。

菱田:私は、サブスペシャリティについて、お聞きしたいです。リハビリテーション科は多岐にわたるので、何か一つ強みを持っていてもいいのかと、個人的には思っています。

道免:もちろん、そうですね。リハビリテーション科ほど多様なことができる科はないですね。入局希望者とかレジデントには、例えば、内科を勉強してからリハビリテーション科に入ろうという人には、「人生、そんな長くないよ。最初からリハビリテーション科医になりなさい。」と言います。最初からリハビリテーション科医になると、逃げ道はありません。リハビリテーション科が専門です。しかも、その後のサブスペシャリティの分野っていっぱいあるわけで、リハビリテーション科の基本はジェネラルであるということなので、その中で何を選んでも良いと思います。

 

 

「人と違うことをする。」

道免:ただ、「人と違うことをする。」という視点が大切だと思います。
何か話題になっていることに興味をもつことは良いですが、でもちょっと視点を変えて、誰も興味がないようなことでも、重要なことはあります。ちょっと調べてみようかという視点が大切ですね。
当医局の勉強会でも、新しい知見や、まだ明らかにされていないようなことがあれば、担当者を決めて、調べてもらって発表してもらいます。その担当者はその分野に関してスペシャリストになっていきます。若い先生に担当してもらい、一生懸命文献検索などを繰り返してもらうと、医局の症例検討会で、その分野については、その担当者に意見を求めるようになります。そういう流れができると、医局の中にスペシャリストが幅広く増えてきます。つまり、人材育成でもあるのです。

菱田:まずリハビリテーション科に入局して、そこから専門的なことを見つけて学んでいくということでしょうか。

道免:はい、それで良いと思います。先にある特定の診療科の専門医をめざしてから、リハビリテーション科医をめざすというよりは、まずはリハビリテーション医学を学ぶということですね。

 

 

「評価」は大事。

司会(中馬):今、最も興味があることについて教えてくださいませんか。

道免:ニューロリハビリテーションが一番興味ありますね。講演ではよく話をしています。現在の仕事は、ニューロリハビリテーションが中心ではありますが、「評価」については前から重要だと思っています。
最近、評価法に関する演題が減ってきて残念に思うのですが、数字にしなきゃ、物事は始まらないのです。数字にすることによって初めてサイエンスになり、エビデンスベーストになります。リハビリテーション医学の分野には数字にならないことも多いでしょう。目と手、労力と時間をかける、そうやって、状況・状態を丹念に数字にすることによって、初めて治療効果の判定ができ、統計処理ができるわけです。そういうことを伝えようとしますが、なかなか伝わらないですね。
スタッフ間で用語や検査がわからないことがあると、カンファレンス中でもぽかんと聞いている者がいる。そういうのは、意味がないですよね。

大串:評価が職種間の共通言語となっているという認識が大事なのですね。

道免:そうです。例えば、理学療法士も高次脳機能の評価の結果の数字について理解しないといけないです。点数だけ聞いても意味がないでしょう。意味のあるカンファレンスをやるためのツールは大切です。チーム医療を遂行するためにも大切です。そのための評価法に関するデータブックを上梓しましたが、あまり売れていないのが大変残念です。
それより予後予測の本の方が、人気が高いようで、実は1万部を超えました。

西村:すごいですね。

 

 

最先端医療としてのロボット治療

道免:それから、最先端のリハビリテーション治療で、ロボットについて思うところがあります。ロボットが何しているか分からないままで使っていては、意味はありません。ロボットが何をしているか理解している上で、それを調節して、運動学習につなげるというのが、リハビリテーション科医の仕事と思います。
ヨーロッパでは、1台ロボットを導入したら、どれだけ人件費が節約できるかという考え方で、売れています。日本でも、ロボットを使いこなしていくと、プログラムがどんどん進化して、普通は1カ月かかるところが1週間で歩けるようになるかもしれないですね。ただし、理学療法士の仕事がなくなることは決してないです。ロボットが歩かせてくれたとしても、床から立ち上がるのを学習させるとか、生活の中での汎化とか、やらなくてはいけないことはいろいろとあります。ロボットを使いこなし、ロボットと共存していくことは当然ですね。

西村:私たちは、ロボットについてどのように考えれば良いのでしょうか。

道免:2019年は、ロボット普及元年です。先端リハビリテーション機器普及元年と思います。ロボットを導入する施設は広まってきて、先端機器の研究会で、医療現場での導入方法などいろいろと検討しているところです。
急性期から回復期リハビリテーション医療を検討する時、患者さんに選ばれるためにも、施設に備えてあるロボットなどの機器の情報や、リハビリテーション医療の効果について世間に知らせることは大切です。回復期リハビリテーションを行う病院はどんどん増えていますので、その中で各病院の特色が分かるように発信をすることは大事です。

西村:当院は、まだこれからです。

菱田:名古屋大学では、やっと診療科としてのリハビリテーション科となりましたが、リハビリテーション医学の講座はないです。ロボットもこれからですね。

 

 

患者さんが教えてくれたこと

菱田:話題はかわりますが、先生がこれまでに印象に残っておられる患者さんや、出来事など、教えていただけますでしょうか。

道免:そうですね。離院された患者さんがいました。

複数:ああ。

道免:その患者さんは、頭部外傷による高次脳機能障害のある方で、通過症候群的に興奮状態になったと思います。車いす移動だったのに、夜間にいなくなりました。
数十人の職員で探したのですが、夜中になってしまって二次災害が起こると困るので、いったん中止して、翌早朝からもう一回探し始めたのです。そうしたら、3メートルぐらいの崖の下に、車いすごとおられて。

西村:無事でしたか?本当にびっくりすることですね。

道免:幸い骨折もなかったので、ほっとしました。崖の下が畑でやわらかい土の上にガサッと落ちただけだったので大丈夫でした。その人はその後ぐんぐんよくなりました。
興味深いことに、その事件以前も普通に会話していたのですけど、そのことを覚えていないのです。しかし、その後の記憶はちゃんと定着していて、脳外傷というのは回復が脳卒中とは違うなって、思いました。この方は、復職できました。記憶障害はあるけど、お坊さんとして、お経をあげることができました。

西村:劇的ですね。

道免:脳卒中の経過と違って、脳外傷では、粘らないと駄目だなと思いました。
あとは、慶應病院の研修医のとき、初めての看取った人をよく覚えています。高齢の女性で、小柄でかわいらしい方でした。肺癌の末期でしたね。当時、呼吸器内科の研修医として診ていました。ベッド上で関節可動域訓練はされていたのですが、僕が、ちょっと立ってみますかと言いましたら、酸素はついているけど「うんうん」とは言われるので、最初は座らせて、介助で立たせてみたのです。そうしたら、とても喜ばれましてね。その日は一日嬉しくて興奮状態だったそうです。ご家族もすごく喜んでくれました。
たったこれだけのことが、患者本人にとっては相当大したことなのです。こういうことがリハビリテーション医療だと思います。つまり、死期を悟った本人にとって自分の足で立てたということがどれだけ、大きなことであったか。
実はまだ続きがあります。この患者さんには、連日採血や血ガスを行っていました。ある夜、呼吸が荒くなってきて、酸素投与量を増やしたほうがいいのではというので、動脈血ガスを測定しようとしました。そうしたら、意識が朦朧としていたにもかかわらず、「もうよろしい」って言われました。グサッと刺さりました。その翌々日に息を引き取られました。本当に多くのことを教えてくれた患者さんでした。

菱田:とても印象的なお話でした。

道免:僕のリハビリテーション科医師としての原点になっているという話でよく紹介するエピソードです。

 

 

若い先生への助言

司会(中馬):若い先生方に向けて、何か助言はありますでしょうか。

道免:先程も申し上げたことですが、人と違うことをしようということです。入局後に再度そう確信したきっかけは、筋電図研究で有名なシャハーニ先生に「何かやるのだったら、人がやっていないことをやりなさい。必ず第一人者になれます。」と言われたことです。誰もやっていないことをやるのは勇気が要りますから、やっている人が少ない分野にチャレンジして、それをこつこつ続けていくと、その分野での第一人者になれます。そういう人が増えることが大事だと思っています。
ある分野の第一人者になると、いろんなお話が来るし、情報も患者さんも集まります。もっと、新しいことに果敢に挑む人が増えたら良いと思っています。

司会(中馬):先生方の教室では、先生から「ちょっとやってみたら?」という助言があるのですか?

道免:そうです。
小さな医局や、もともとリハビリテーション医療をやっていなかった場合などは、なかなか刺激がないと思うので、それこそ内地留学や、短期間、専門家の先生のところに勉強にいくなど、もっともっと交流はあったほうがよいと思っています。

 

 

ワークライフバランスって?

菱田:ワークライフバランスについてお聞きしたいのですが、最近出産をして、仕事と家庭の両立について悩んでおります。兵庫医科大学でも、女医さんが結構いらっしゃるのでしょうか。

道免:多いですね。極めて柔軟に、みんなで対応するしかないと思います。ワークライフバランスをどうしたら復帰できるかなんて考えるというのは、ちょっと遅れているかと思いますね。
大切なのは、どこまでフレキシブルにサポートし合うかです。これは、ワークライフバランスはこうですというような堅いものではありません。出産、介護、自分の病気ことなど大変な時期は、誰にでもやってきます。そして、その時期は、みんな同時期に来ることはありません。少しずつずれることが多いと思います。ですので、そういう時に仲間がお互いにカバーすることによって、うまくいくと思っています。復帰後落ち着いてきたら、休んでいた時に助けてもらった分を、他のメンバーのためにカバーする。そういうやり方ができると思っています。
大学病院は人数が多く、カバーし合いやすいですね。「体調が悪いから早く帰る」という時も、カバーできます。こういう文化は、良いことだと思います。

菱田:先生が慶應病院にいた時代も、女医さんは結構いらっしゃったのですか。

道免:当時、女医さんは少なかったです。もともと慶應の医学部の女性比率が100人中8人とか9人とか、10人いるかどうか。今、私たちの医局では4割ぐらいが女医さんじゃないのかな。それから、PT、OT、ST、いずれも女性が多いですよね。

菱田:そうですね。

道免:男性社会の中でのall-or-noneみたいな、復帰したら夜中まで働くとか、それではうまくいかないと思います。

司会(中馬):先生方のところは産休とか育休の期間はどれぐらいなのですか。

菱田:期間は特に決まったものはないですね。

道免:出産する人だけのことで不公平じゃないかとか、自分は子どもを産まないのにみたいな話も、女性同士でありませんか?でも、そうではないですよ。親の介護、自分の病気、体調不良など、自分の一生の中にはいろいろでてきます。ですので、困ったときはお互いさまと思えば、いいわけです。

菱田:お互い様ということは大切ですね。

 

 

AIについて

西村:最近よくAIについての話を聞きますが、先生はどう思われますか?

道免:以前、テレビ番組でAIについて特集をしていましたね。ワードから、つながり合うものが何か、どういうことがいえるかとか。たとえば、病院の数と病人の数が結びついている。つまり病院が多いほど病人が増える。だから病院の数を減らせばいいと。そりゃそうですよ。診断されない状況になれば、「病人」は減ります。現状のAIは本当の知性をもっていませんので、こういった因果関係を紹介すること自体おかしい話です。すぐテレビ局に電話しました。

司会(中馬):即行動されておられますね。

道免:いや、おかしいですよ、本当に。こういう誤った因果関係をだすAIであれば、要らないです。
また、AIが進んでも医者はなくならないでしょう。いろんな診断が正確になるといったって、そもそもAIは診察できないですよ。所見をとるのは、医者です。所見を入力した後は、AIが診断を出してくれる、鑑別診断をね。その手前は人が情報を入力するわけですし、優秀な医者じゃないと適切な所見はとれないですし、結果の適切性の判断はできません。

司会(中馬):AIが言ったことをうのみにしないように、医師は優秀でいないとだめですね。

道免:そうです。うのみにしないだけの優秀さを、医師はキープしておかないと駄目です。

 

 

学術集会ではすべて学べます。

司会(中馬):2019年春に開催された学術集会のテーマについて教えてください。

道免:テーマは、「最先端リハビリテーション医学の今とこれから」としました。国際(ISPRM)のほうも「最先端」というのが入っています。国内の学術集会の副題は「すべてが学べるリハビリテーション医学会」としました。
それから、療法士のみなさんも学べるようにしました。教育講演も専門職教育講演という企画もしました。療法士、若い先生も、勉強になったようです。

司会(中馬):すごいです。今回、期間も長かったですね。

道免:はい。この学会期間の1週間は諦めてくださいとアナウンスしました。そこで得たもので、さらに臨床の質が上がっていけばいいわけです。
長い期間の中で、メインは、木曜日の午後から金、土あたりでした。日曜日は少し市民公開講座みたいなのに入ってきますし、水曜日は前日のワークショップみたいな感じで、木曜日の午前中まで国際と国内の両方も見ることができました。
あと、皆さん、学会場でお昼ご飯を食べないといけないので、共催セミナー、ランチョンをたくさん設けました。セミナーを開催して頂けるよう、僕は東京まで行って、企業に頭下げて回りました。

複数:大変でしたね・・・。

司会(中馬):リハビリテーション科の医者って、いろんなことに接しますよね。漢方薬ももちろん使っている先生いっぱいいるし、普通のお薬は当然。ボツリヌス治療、最先端のこと、電気刺激など。

道免:そうなのです。総合診療の先生が、more general、つまり、少しでもジェネラルな方向へ持っていくのが総合診療であるとお話をされますが、僕はリハビリテーション科はmost generalだと思っています。障害者も含めて、最もジェネラルに診られるのはリハビリテーション科医だと思います。だから急性期の中央診療施設はもちろん大事です。回復期の主治医も大事。それから、在宅医療もです。在宅医療は、本来リハビリテーション科医がやるべきだと思っています。
亡くなられた布谷(芳久)先生が1990年代、リハビリテーション科専門の訪問診療所を港区につくったのですよ。狸穴(まみあな)診療所というのがあって、布谷先生はまったく独自の発想でそれを開業し、マンションの一室を診察室にして、訪問診療を専門にしていました。訪問の合間に保育園の送り迎えもできるわけですよ。そういう在宅医療のモデルをつくって、僕はすごく感心しました。それこそ介護保険もまだ始まる前です。
今、介護保険事業にもリハビリテーション科医や他の医師がちゃんと関与しなくてはいけませんよね。患者さんの生活や介護をアレンジできるのは、リハビリテーション科医だと思います。ちゃんと診察をし、寝たきりになるのを防ぎ、必要があればボツリヌス注射も自宅でやる。学術集会ではそういうシンポジウムも組み、活発な議論が行われました。

 

 

急性期病棟から直接退院すること

西村:以前、手術して抜糸したら療養病棟に送った時代がありましたが、回復期リハビリテーション病棟ができてとてもうれしくて、患者さんが自分で動けるようになり退院するということにすごく喜びを感じながら仕事をしてきました。
最近、認知症の問題が大きくて、自分で歩けるようになっていただいて帰宅してもらいたいのですが、家族の方に「自宅へ帰ってから、一人で動かれると困る」と言われたりします。しかし、施設に入るだけの費用もない、、、そういう人が増えてきたように思います。急性期から直接退院する方は結構増えてきていまして、リハビリテーション科医として、どういった指示を出したらよいのか、教えてください。

道免:認知症に限らず、急性期から直接帰る人をどうするかという問題に対して、私たちの関連病院の関西リハビリテーション病院ではクリニックを持っています。クリニックを開設するにあたり、いわゆる13単位の人ばっかりになってしまって、うまくいかないと思っていましたが、今はほとんど13単位じゃなくて、算定日数以内になっています。リハビリテーションクリニックが地域にあれば、急性期病棟から退院後の連携施設として、通ってもらうというやりかたはあるかと思います。もちろん、そこにリハビリテーション科医がいれば全然違うと思います。
認知症に対する答えは簡単には出ないですね。でも、大変だけど、アドバイスする人がいたら、何とか在宅を続けることができる場合はあります。
認知症のリハビリテーション医療という考え方についてはどうかというと、精神科の先生は認知症の診断を行い、認知症の分類はされますが、リハビリテーション医療、あるいは生活という視点は、リハビリテーション科医が担う必要がありますね。今後は、認知症もリハビリテーション科の主な対象の一つにすることは、僕はあってよいかと思っています。
例えば、アルツハイマーだって何だって、その過程ではさまざまな巣症状、失行症、失語症も出現します。進行はしているけれども、この症状はこういう症状で、高次脳機能障害ですとご家族に説明することで対応策も変わってきます。病態を理解し、対処方法を助言すること。日常生活の活動の中での出来事に対するアドバイスは、やっぱりリハビリテーション科医だと思います。

西村:ありがとうございました。

 

 

仕事の合間にリセットの時間を作る

大串:先生のお部屋に「ワグネル・オーケストラ」の写真がありますね。音楽活動を普段されているのか、伺いたいです。

道免:例えば、この日に演奏会をやりますから、一緒に演奏してくださいと言われても、その日だけ空いていても駄目じゃないですか。リハーサルは全部出ないといけませんよね。リハーサルに出るためには、個人練習が必要です。忙しくて、最近はそういう活動ができていないですね。
でも、忙しいことは一生続くので、行きたいコンサートには絶対行くことにしています。どんなに忙しくてもチケットを買って、年に10回ぐらいはいろんなコンサートに行くようになりました。それは精神面でも良いですね。もともと趣味ではありますが、自分で演奏するのは下手だけど、聞くのにうまいも下手もないじゃないですか。演奏会は、とても幸せな時間ですね。

菱田:楽器は何をされているのですか。

道免:コントラバスです。家にもありますけど、ちょっと埃をかぶっています。
あの写真は、ザルツブルク祝祭大劇場で、大学のときに第九を演奏したときの写真です。学生オーケストラのヨーロッパ演奏旅行のはしりです。1980年代ですね。
2月~3月はヨーロッパのオフシーズンで、日本の大学生の卒業旅行シーズンに、ヨーロッパで演奏会はあまりないのです。そういう時期に、日本の学生が大勢行って演奏会をするようになりました。僕らはその第1号でしたので、すごく珍しがられましたね。満席だったのですよ。

大串:本日はお忙しいところ、先生のちょっとウイットが効いたお話も聞かせていただいて、大変感謝しています。リハビリテーション医学会が今後、大きな学会になって、いろんな職種と、しっかり協調していくのがとても大事だと思っています。
仲間というのがすごく大切で、先生は慶應義塾大学という素晴らしい環境で、そして最初からローテーションなどでとてもよい経験をなさっていています。先ほど、看護師のお仕事をということですけど、看護や介護を医師が経験することは非常に大切だと思います。療法士の仕事も体験することで、彼らの気持ちも分かるし、もっと患者さんのために動けるかなと思います。先生の後をついていくようなかたちにはなりますが、これからも勉強させていただきたいなと思っています。

菱田:今日は貴重なお時間をいただいて、ありがとうございました。質問も、自分の聞きたかったこともいろいろ聞けたのでよかったです。

道免:ありがとう。

西村:このようなチャンスをいただいて、本当に感謝しています。ありがとうございました。

道免:こちらこそありがとう。

司会(中馬):本日もたくさんのことを学ばせていただきました。本当にありがとうございました。