<REPORT>

第56回米国脳性麻痺学会報告
The 56th Annual Meeting of American Academy for Cerebral Palsy and Developmental Medicine

横浜市立大学附属病院医学情報部 根本 明宜


 9月11日〜14日の日程で米国脳性麻痺学会がルイジアナ州ニューオリンズで行われました.昨年の年次集会は直前のテロでキャンセルされましたので,2年ぶりの米国脳性麻痺学会でした.今回は米国でも有数の観光地であるニューオリンズで2年ぶりの開催ということで参加者も例年より多かったようです.欧州を中心に世界中からの参加があり,韓国からは演題も複数でていました.米国以外の参加は32カ国に渡り,外人参加者のためのレセプションも行われインターナショナルな学会でした.日本人の参加は私と名古屋からの理学療法士との2名のみで寂しかったです(他に参加されていましたら失礼をお許しください).
 米国脳性麻痺学会は整形外科医,脳外科医,リハ医,小児科医,理学療法士,作業療法士,看護師と多くの職種で構成され,小児の障害,発達を幅広くテーマにする学会です.脳性麻痺に限らず,小児の障害,発達の全般を領域としており,会期中に行われた総会でも北米障害児学会(North American Academy for Disabled Children)に名称を変更しようという議案が提出され,変更に向けて検討が進められることになりました.
 さて,今回の学会の中心となったのは2日目に行われた脳性麻痺の観血的治療に関するシンポジウムでした.プログラムにも,「見逃してはいけない」と日毎のトピックスのなかでも大きく扱われ,演者もITB治療がL. Albright, R. Armstrong,選択的後根切断術がT.S. Park, J. McLaughlin,整形外科がE. Bleck, B. Russmanとその道の第一人者が揃い踏みの贅沢なシンポジウムでした.それぞれの手術治療についてそれぞれ2名ずつの演者が利点をEBMに基づいてプレゼンテーションして必要性を聴衆に訴え,症例を呈示してディスカッションをするというシンポジウムでした.どの治療も必要なのは聴衆も含めて分かっており,それぞれの利点,留意点をお互いに確認しあい,脳性麻痺の治療の進歩のための研究のあり方などにコメントされていました.
 会長招演も,小児の画像診断,脳の発達に係わる遺伝子の研究,脊髄損傷の新しいリハ治療と多岐に渡っていました.特に,受傷から5年をすぎてクリストファー・リーブが回復し始めたという記事の直後だったこともあり,ワシントン大のJ.W. McDonald III の講演(写真)は聴衆を集めていました.症例数は1といいながら,クリストファー・リーブの治療経過と回復の過程がASIAのMotor Scoreが0から20まで改善した等のスライドも示され大変わかりやすい講演でした.生のデータが出てきますので,個人情報保護はどうなっているのだろうなどと思いながら聞いておりました.
 全体的には,米国脳性麻痺学会としても学会誌でEBMレポートを行っていたりする流れがあり,前回の学会までで評価方法としてはPEDIやGMFMなどで定まり,その結果がそろそろ出始めてきていましたが,まだEBMとして確立しきれない中でこれまでの治療が再評価されつつあるという状況でした.
 米国の学会は朝からプログラムがあり,朝食をとりながらのレクチャーが7時からあったり,プログラムも充実して夕方までで,時差ボケと戦いながらも刺激の多い学会でした.
 また,アトラクションでニューオリンズの有名なカーニバルの再現ということで,高校生のマーチングバンドを雇って,パトカーに先導させて学会場からケージャン料理のレストランまで車道の真ん中を数百メートルパレードをしたのにはびっくりしました.アメリカ人は遊び方も派手です.アメリカ人を見習ってというわけではないのですが,時差ボケが良い方に働いたのを幸いに,学会が終わった後はフレンチクオーターのバーボンストリートで夜遅くまでジャズを楽しんだり,牡蠣や海老を満喫したり有意義に過ごした学会でした.
 来年はモントリオールで同じ時期の開催で,紅葉が少し始まる頃とのことです.日本でもITB治療の治験が始まり,いくつかの施設で選択的後根切除術が行われ,痙縮の治療が変わりつつあり,脳性麻痺の治療は変革期を迎えると期待しています.米国脳性麻痺学会にも日本からの参加者が増えて,多くのリハ関係者が米国の最新情報に触れることを期待します.米国がすべて良い訳ではありませんが,脳性麻痺の治療に関してはまだまだ一日の長が米国にあることを感じさせられた一週間でした.プログラム等はhttp://www.aacpdm.org にありますので,ご参照ください.

(リハニュース15号:2002年10月15日)