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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第29回「この先生に聞きたい!」女性リハビリテーション科専門医キャリアパス

 

日時 2022年6月10日(金)14時~17時
場所 川崎医科大学リハビリテーション医学教室(岡山)
ゲスト 花山 耕三 先生(川崎医科大学リハビリテーション医学教室 教授)
インタビュアー 高橋 藍 先生(福井大学整形外科)
司会 土岐 めぐみ 先生(札幌医科大学)
オブザーバー 中馬 孝容 先生(滋賀県立総合病院)
加藤 真介 先生(徳島赤十字ひのみね総合療育センター)

自己紹介
呼吸リハビリテーションとの出会い
教育について 自分の手と自分の目で
チームのマネジメント 組織の推進と維持
川崎医科大学の矜持
第8回秋季学術集会に向けて
「運・鈍・根」
インタビューを振り返って

 

 

自己紹介

司会:司会を務めさせていただきます札幌医科大学の土岐と申します。どうぞよろしくお願いします。

本日はお忙しい中、花山先生にお時間を取っていただきました。第29回RJNのインタビューを始めます。花山先生、自己紹介をお願いします。

花山:川崎医大のリハビリテーション医学での責任者、それから川崎リハビリテーション学院という専門学校で学院長をやっております。川崎医科大学附属病院では、リハビリテーション科の部長と、リハビリテーションセンター長をやっていまして、川崎学園の中で多くのスタッフと一緒に仕事をさせてもらっています。リハ学会では、中国・四国の代表幹事をやらせていただいています。

司会:ありがとうございます。インタビュアーで福井から来ていただいた高橋先生、自己紹介をお願いします。

高橋:福井大学の高橋藍と申します。私は2009年の福井大学の卒業生で、整形外科に入局後、普通に整形外科医として研鑽を積みました。リハビリテーションのお仕事をさせてもらうようになりましたのは2017年で、まだキャリアとしてはすごく浅いのですが、福井県は専門医も少なくて、仕事の分量的にはしっかりいただいているかなと思います。まだまだ分からないことがたくさんありますし、今日はいろいろ伺いたいなと思っていますので、よろしくお願いいたします。

司会:加藤先生、お願いします。

加藤:徳島赤十字ひのみね総合療育センターの加藤です。1984年に徳島大学を卒業したので、花山先生とは同世代です。僕は整形外科へ入って、1992年にイギリスの脊損センターに留学して1年半ほどいたので、それ以来ずっと脊損をやっていました。2012年にリハ科に移って、整形外科医を辞めて、そこからずっと専従でやっています。

去年の春に大学を定年前に辞めて、赤十字社の重症心身障害児者施設の園長になりました。そこの創立は僕が生まれた年で、僕の父が30年ぐらい園長をしていました。実家がすぐ近くにあって、子どもの頃はそこでよく遊んでいました。

当時は、ポリオと軽い脳性麻痺が中心だったので、入園している方が実家に遊びに来ているというような環境で育ったので、園長への誘いの声をかけていただいて断れなかったというのが正直なところです。よろしくお願いします。

司会:中馬先生もお願いします。

中馬:滋賀県立総合病院リハビリテーション科で勤務しています中馬孝容といいます。

私はもともと奈良県立医科大学卒業で、そのまま神経内科に入局しました。その当時の助教授だった眞野先生が北大のリハビリテーション科の初代教授になって、北大に付いていってから本格的にリハビリテーション科医として勤務してきました。

現在は滋賀県に戻って13年以上たっていると思いますが、一般的なリハビリテーション科医として仕事をさせてもらっています。今日はよろしくお願いいたします。

司会:私は札幌医大の出身ですが、3年目に花山先生が国立療養所東埼玉病院にいらっしゃったときに、不肖の弟子として働かせていただきました。リハビリ科デビューのときに花山先生にお世話になって、非常にご迷惑を掛けて、ゴルフも教えてもらったり、楽しい思い出もあったり、お騒がせしたという過去があります。勤務は半年間だけだったのですが、こんなふうに同席できるのは本当にうれしく思っています。

花山先生の学生の頃のお話、医学部を目指したきっかけや、リハビリ科を選んだ理由を教えてください。

花山:医学部を目指したきっかけですけど、中学ぐらいのときに、外科医〇〇とかテレビドラマなど見て、かっこいいな、自分は外科医を目指すんだみたいな気持ちがあったりして。自分がいた高校が結構みんな医学部に行く学校だったので、あまり深く考えずに医学部に入りました。

大学時代は、どっちかというと、勉強もしない、遊びもしない、無気力な学生で。でも、部活のサッカーだけは一生懸命やっていました。サッカー部は整形外科志望が多かったですね。

リハビリテーション科を選んだ契機ですが、その頃は何でそう思ったか分からないですけど、人の命を助けるよりはもっと(患者が)いい生活を送れるようにとか、そんなことを学生ながらに考えていました。それで整形外科に行こうと思っていました。

私が5年生のときに、6年生のロッカーの前がちょうど通り道になっていました。ある時そこの入り口の所に紙が貼り出してあって。一覧表に、希望の科を書くようになっていました。昔はストレート研修だったので、だいたい同じ大学の医局に入るのが普通だったですね。

今、東北大にいる出江(紳一)先生が1年上なのですけど“リハビリテーション科”と書いてあって。出江先生のことは知らなかったのですが、リハビリテーション科という科があるんだと、そこで初めて認識しました。

その後、整形外科とリハビリテーション科を考えていたのですが、いろいろと話を聞いて性格的に外科が向かないかなという感じもありました。リハビリテーション科は新しい科でしたし。

実は学生の頃のリハビリテーション科の講義というのは、おそらく特別講義が1コマあったぐらいで全然習っていないのですけど。千野(直一)先生が「ここで切ると離断で、ここで切ると切断ですよ」と話していたことを覚えています。あとは何も覚えていなくて、リハビリテーション科の雰囲気がいいということで入りました。

最初からリハビリテーション科で、その頃は研修もストレート研修でした。ただ、神経内科、呼吸循環器、整形外科はローテーションしました。それぞれ4カ月、整形外科は8カ月ローテーションしたんですが、むしろそのぐらい長く回ったほうが一通りのことができるようになるし、他でも応用が利くので、今みたいに1カ月、2カ月よりもよかったかなと思っています。

その後はリハビリテーション科医として出張病院を回りました。村山(国立療養所村山病院:現国立病院機構村山医療センター)と塩原(国立塩原温泉病院:現栃木県医師会塩原温泉病院)に行き、大学に2年ぐらい戻りました。その後、石川県の、今はやわたメディカルセンター(特定医療法人社団勝木会やわたメディカルセンター)ですけど、当時はリハビリテーション加賀八幡温泉病院というところに、1990年から3年半ぐらい行っていました。その頃、福井県には専門医が一人もいませんでした。

 

 

呼吸リハビリテーションとの出会い

やわたからアメリカへ、ニュージャージーのDelisa(Joel A. Delisa)、有名なので皆さんもご存じだと思いますが、そこの教室に1年半ぐらい留学をさせてもらいました。お世話になったのはFindley (Thomas W. Findley)先生でしたが、そこでジョン・バック(John R. Bach)先生に出会って、神経筋疾患の呼吸リハというのを習ってきました。戻ってから、最初は月が瀬(慶應義塾大学月が瀬リハビリテーションセンター:現・医療法人全心会 伊豆慶友病院)に半年いて、その後、東埼玉(国立療養所東埼玉病院、現国立病院機構東埼玉病院)に行きました。月が瀬にいるときは、呼吸リハビリのことなんか全然忘れていたんですけど。

東埼玉に行ったら、筋ジストロフィーの患者がいっぱいいて、そこにいた内科の先生に、「ちょっと、ちょっと」と呼ばれました。「カフマシーンという機械をもらったんだけど、どうやって使うんですか。先生なら知っていると聞いたんですけど」と言われて。そこから神経筋疾患の呼吸リハビリが始まり、東埼玉には7年ぐらいいました。それから東海大学に行って、ここに来たというような状況です。

司会:バック先生のところに行かれたのは、偶然だったのですか?

花山:偶然ですね。私の前に留学していた出江先生から、そういう人がいるというのは聞いていたのですが、特にそれを目的に行ったわけではなく、実は筋電関係の研究をやろうとしていました。それは失敗して全然できませんでした。その代わりに呼吸リハビリを習ってきました。

司会:全然知らなかったです。カフマシーン、本当に初期の頃ですね。

花山:そうですね。カフマシーンが日本に初めて入ってきた頃です。私が向こうにいるときに、北海道の石川悠加先生(国立病院機構八雲病院→国立病院機構北海道医療センター)が見学にいらしてました。そして、バック先生に日本人がいると聞いたと言ってきて、そこで初めて会いました。

その頃、バック先生が日本とアメリカを行ったり来たりしていて、ちょうどバック先生が日本から戻ってきて自分に「日本は何もやっていないじゃないか」という話をされたので、きっとそこから始まったのだと思います。カフマシーンの一番古いのは1950年なのですが、その頃のカフマシーンといったら、バケツに管をつないだようなものでした。古いカフマシーンの頃からいろいろ見てきた覚えはあります。

司会:先生の学位のテーマは何でしたか。

花山:学位は筋伝導です。疲労したら筋の伝導速度が落ちるけど、持久力のある人のほうが回復がよいという話でした。学位を取ったのは、ちょうど留学した頃です。実験はその前の「やわた」でやっていました。

司会:現在は大学でどんな研究をされているんですか。

花山:そうですね。一つは呼吸の研究として、呼吸の運動解析を三次元動作解析装置を使って、胸にマーカーを貼って赤外線カメラで撮ってというのをずっとやっています。あと嚥下関係は、もともとここは伝統的にいろいろやっているので、画像解析から、画像もVF(嚥下造影検査)だけでなく、パルス撮影とか、超音波とかですかね。呼吸嚥下グループ、運動器グループ、高次脳機能、地域医療、そういう研究グループをつくってそれぞれにやっています。

司会:私は、「筋ジスの嚥下造影をしなさい」と言われて、でも誰も教えてもくれないし、独学で、初めて東埼玉で検査した記憶があります。

花山:そうですね、あの頃ペーパーは1本も出ていなかったですよね。

司会:教科書もないですし、筋ジスの人に嚥下造影したら、逆流して戻るのが見えて。でも、それもどうなんだかよく分からない3年目でした。

花山:当時、そこの神経内科の先生に、デュシェンヌ型の嚥下の問題がと言ったら、「デュシェンヌ型に嚥下障害はない」と言われて・・・。

司会:そうですね。船漕ぎ呼吸をしたらどうとか、そういう時代でした。

高橋:呼吸リハのお話ですが、筋ジスの方に対する呼吸リハとか、高位脊損の方に対する呼吸リハですとか、胸部外傷とか、そういった方に対する呼吸リハは、考え方でいろいろあると伺っています。

花山:まず、麻痺性疾患の呼吸リハとは、閉塞性疾患と全然違います。おそらく、その体系はジョン・バック先生が作られたと思います。

とにかく筋力が落ちるので、拘縮予防をし、筋力を出させることは考えないで機械で補助的にやります。呼吸の問題としてもう一つ、airway clearance(気道クリアランス)が重要なので、それをしっかりやる。普通の咳じゃ不十分なので、必要だったら徒手介助をし、もっと必要だったら機械を使うというような体系があります。細かいことはさらに言われていますけれども、大筋はそこですね。

高橋:筋力はもともと考えずにやるということですか。

花山:はい。筋力強化は考えず、とにかく胸郭の可動域を早くから維持をするということが重要です。(神経筋疾患の場合です。頚損は筋力強化が可能な場合があります。)

高橋:ありがとうございます。いいですか、全然違う質問をしても。

花山:もうそんな、いいですかとか言わないで、どんどん質問してください。

 

 

教育について 自分の手と自分の目で

高橋:専門医が少ない県ですと、指導のほうにも携わっていくような場面が出てくるのですが、リハビリテーション科医として研鑽されていこうという方に、どういったアプローチをしていったらいいのか、どういった指導医が求められているのか、まったく分からないところがありまして。先生方が、教室の先生方の教育とか、どういったスタンスで育てられているのか伺いたいなと思って。

花山:これはなかなか難しい質問で、人によって考えていることが結構違うと思います。先々どうしたいと考えているのかどうかというのもあって、特にここは専門医を取ったら地元に帰りたい、家が病院をやっていますという人が多いので。

まず、基本的なことをどう教えるかというのは、なかなか難しいです。どうしても最初の頃は、ほかのコメディカルは経験があるから、みんなできるように見えるんだけど。自分が今思っているのは、自分の診察で自分が診て、患者さんがどうだというのがちゃんと見えることは大事かなと。可動域の測り方一つでも、そういう基本がしっかりできていることは大事かな。

特に忙しくなってくるとやりかねないのが、セラピストの記録を見て手を抜くことなど。でも自分の手で診察して、自分の目で見て判断するというのはすごく重要だなと思っています。そのうえでセラピストとコミュニケーションをとることです。最終的に方針を決めるのは医師になるけど、必ず医師の方がわかっているわけでもないし、必ずセラピストの方がわかっているわけでもない。これを繰り返すことで成長すると思います。

あとは、チーム医療で診療を進めていくので、それぞれの人をよく見ることですね。何が得意で、何が不得意な人なのか、ある程度把握しながらやっていくというのがリハ。裏を返せば、医師も見られているので。あの人は全然駄目だと思われているということもあると思います。

まずは基本的な、技術的なものです。もう一つは、チームとして、チームの中でどうやっていくかということだと思います。

高橋:ありがとうございます。

加藤:高橋先生の不安はよくわかります。僕も、もともと整形外科医だったので、日常臨床は何とかなっても、リハビリテーション科の専攻医の教育では、僕らの知識は偏りがあるので、得意でないところはすごく不安になります。自分自身の知識もあやふやなところがあるので、その教え方に不安を感じます。

花山:でも整形外科とか外科系は自分のやった経験というのがすごい重要だと思うんですけど、読んで得た知識でも、知っているか知らないかでかなり違って、いろんなことを知っていることが大事なんだと思いますね。

守備範囲がすごく広いので、分野もいっぱいあれば、急性期、回復期、生活期とあって。自分はいろんな病院に行ったおかげで、それぞれにいろんな経験をしているというのは非常にありがたくて。例えば重心なんか、東埼玉へ行くまで見たことはなかったし。そこで車椅子をいっぱいつくったりしていたから、今子どもが外来に来るとやっぱり役に立っています。

若い人で、大学はあまり面白くないと言ったりする人もいるんですけど、何でも役に立つと思います、将来的に。どこで役に立つか分からないんで、もう何でも一生懸命やったほうがいいなと思いますね。

あと教えるのは、自分に知識がなかったら、あるいは経験がなかったら、一緒に勉強するしかありません。

中馬:私は、整形外科の先生方が筋肉の動きを実際に見ているというのは大きいといつも思っています。私はメスを入れることとかできませんけど、ここにこの筋肉があってとか、そういうふうに見るようにして補わなきゃいけないと思いながらボツリヌス毒素注射等をしています。整形の先生方が見る骨のレントゲン写真1枚とっても、さすがだなと思うのです。だから、きっと教えることができることはたくさんあると思います。整形外科の先生方は末梢神経等たくさん見ておられて、筋肉の走行、関節、脊髄も見ることができます。脳はややこしいと思われるかもしれないけど、きっとみんなややこしいと思っています。シンプルに行かないし、個々において違います。

リハビリテーション治療そのものがシンプルに行かないことはあって、問題点はいっぱいあるけど、今最初にやらなきゃいけないこと、順番を考えながらやっていると思います。

教えることとか不安に思われることはすごく分かるのですけど、きっとそういう目で日々なさっているので大丈夫と思います。自分で駄目だったら、「この人のほうがよく分かっているよ」と言えるでしょう。

高橋:そうですね。はい。

 

 

 

チームのマネジメント 組織の推進と維持

中馬:リハビリテーション科の役割として、マネジメントが必要と思うのですが・・・。

花山:小さなマネジメント、大きな集団のマネジメントは、一言で言える話ではないですね。

一人の患者さんでも、小さなチームになるよね。組織が大きくなればなるほどルールが必要になってくるわけで。どんなルールを作るかとか、それをどうやって守らせるかというのが今の立場だとすごく多いです。例えば、100人規模の療法士を全員管理しているわけじゃないけども、(常勤の)80人程管理していると「これはどうしますか」と聞かれたときに答えをよく考えておかないと、どこかで矛盾したことを言った時に、なんかおかしいという話に絶対なります。特に今はそういうことをのみ込まずに、「これはおかしいですね」と言ってくる人が多いです。だから、そういうのはすごく気を使ってやっていかないといけないですね。

マネジメントというのは、その組織を推進させる機能と、組織を維持していく機能と、2つをやらないといけないですね。推進させる機能というのは、どっち向きに進んでいくかということを考える、計画を立てて企画していく、それを実行に進めていくように調整をしていくという機能があります。

例えば、この患者さんには新しい治療をやろうとか、この治療が適応に違いないというようなことで、じゃあ、どうやって導入していくのかとか。われわれだと薬じゃなくて機械を使いますが、機械をどう導入するかというところから始まりますよね。

そのようなことをどんどん進めていくことと、チームを維持するためには、雑多なことをいっぱいやらなければいけません。

実践の場面でいろんなことが起こってくるのに対処し、経験を積みながら、ある時は失敗を重ねながらやって。「あ、これをやったら失敗だった」という経験を持っていると似たようなことが出てきたときに、「それはやらないほうがいい」と自信を持って言えるわけですね。

高橋:臨床におけるマネジメントで、スタッフとの関係や、グループごとのまとめなど、結構細かいことでいろいろと悩むことがあります。

大学ですと臨床と研究のバランスで、セラピストさんの単位数の目標設定をどうしようとか、あまりたくさん単位を取ろうという感じじゃないんですが、そのあたりを他の大学はどうされているのでしょうか。他の診療科から、「研究でリハビリのセラピストさんと一緒にやりたいです」とか、いろんなお声が掛かって、そういうところの調整が難しいなと感じています。

花山:そうですね、うかうかしていると、療法士がよその人との研究ばっかりやって、自分がやりたい研究を一緒にやってくれる人がいないということは起こりますよね。

高橋:療法士も入れて研究グループを作られているのですか。

花山:ええ。医者もいますけど、どちらかというと療法士が多く一緒に研究をしています。グループによって違いますけど、ミーティングを例えば2カ月に1回とか行っていますが、必ず自分は出るようにして、研究計画や学会発表の面倒を見たりしながら一緒にやっています。

普段から一緒にやっていれば、「こういうことをやりたい」ということも出てくるし、「こういうのをやったらどう」と返せるし、そういう関係をつくっておかないと。単に、例えば組織としてこうなっているから、こうやりなさいというのは、なかなか通用しないと思います。それを維持するために、普段からそういった関係をつくって一緒に仕事をするということをずっとやっています。

高橋:臨床と研究のバランス的には、研究に興味のある方と、逆にそんなに興味はないという方もいらっしゃいます。この人はすごく臨床を頑張っているから研究はしなくていいよとか、逆の場合とか、そういったことはありますか。

花山:なかなかそこは難しい問題です。その時の事情とか、仕事量とかにもよってくると思うので。

ただ、この大学自体が診療第一という大学なので、診療を抜きにして研究だけやりたい人は、ここではきっとやらないと思うんですよね。だから診療をやった上で、研究をやると。でも診療だけやって、研究はまあちょっと、年に1回は発表しろと言われるから発表するというぐらいの人もいないことはないですね。

高橋:診療が優先ということですね。

花山:診療が優先、はい。ここの創設者のコンセプトが、その当時の医科大学は患者を軽視しているから、とにかく24時間患者と向き合う、そういうことでつくったので。そのコンセプトは流れています。創設者のことを常に教職員と学生にアピールする視点がありますね。川﨑(祐宣)先生の大学ですから。ここには、臨床を軽視する人はきっといないです。

 

 

 

川崎医科大学の矜持

加藤:医学部の1年生は全員寮に入るんですか。

花山:はい。1年生は寝食を共にして、附属高校生は3年間、寮に入っています。

一同:ええっ、すごいですね。

花山:はい。だいぶ前は大学は2年間だったらしいです。今は1年間。

中馬:でも、きっとそこではしゃべらざるを得ませんよね。友達と勉強して、自分のこともしゃべらなきゃいけないし。コミュニケーションを取りながら過ごされるわけですね。

花山:きっとそうだと思います。私は入ったことがないので分からないですけれども。ここは同級生の絆が強いですね。

高橋:初期研修のプログラムに今年度からリハビリテーション科が入ったばかりなんですけれども、どうやってリクルートしたらいいのかなとか、学生さんのうちから興味を持ってもらうのはどうしようかなというのは考えています。

花山:はい。まあ、それもなかなか難しい問題。リクルートというのも難しいです。

高橋:整形外科だと、昔は、オペの後にご飯行ったらそれでいいよみたいな感じがありましたけど。リハビリテーション科だと、結構女性の方とかも多いし、どう誘われているのかなというのは気にはなります。

花山:そうですね、逆に私の立場だと、よく分かりません。自分が出ていくと、あまりうまくいかないような気もします。

中馬:先生のところは今、女性の医局員さんはいらっしゃるのですか。

花山:はい。2人いて1人は育休中です。もう1人は2人未就学児がいるので、夕方はちょっと早く帰っていますね。でも17時近くまでいるかな。夜は無理という感じですかね。

司会:女性医師のキャリア形成とか、女性医師ということで何かありますか。

花山:もう女性が少数派という時代じゃなくなっているし、時代の要請からして、医師だけでなく、世の中で女性が働く流れですよね。ですのでそんな特別なことではないと私は思っています。

ただ、働くという上においては、男性でも女性でもそれぞれの事情があるので、それをよく見て、それに合わせて働けるところでしっかり働いてもらうというふうに考えないと、ちょっと運営できないなという感じはします。

その事情というのは社会的とか家庭的に、例えば女性に子どもがいたら重荷をすごく背負っているという状況はまだあると思う。家庭によって違うかもしれないですが、そういう女性は多いと。

ただ、それを女性だからといって見るというよりは、その人の事情はこうだからと。 言ってみれば母子家庭から父子家庭まであるわけで、男性でもそういう人もいるわけですから。人によって体が強い、弱い、病気を持っているというのもありますね。そういうのも個別によく見ていかないといけないと思います。

あとは、何か起こったときにカバーしてくれる人がどうしても必要です。自分でカバーできることは知れているので、助けてくれる人がいると、ほんとありがたいなと思っております。

しかし、やらなければならないことを誰かが分担しなければいけないわけで、それぞれの事情に応じて柔軟に働けるかはその組織の事情とか、組織にいる人の考え方とかによるので、必ずしも理想的にはいかないですね。また、カバーしてくれる人を十分にケアしてあげることも大事です。

リハビリテーション科は、いろんな働く形態があって、いろんな場があって、それだけ守備範囲が広いだけに、女性に限らずどんな人もいろんなかたちで仕事ができるところです。まあ、最初の学ぶ時期は何でもやらないといけないと思いますし、やるべきだと思います。でも、将来はそういうふうに考えていけばいいんじゃないかなと思います。

司会:子育て中の方は当直の免除もあるのですか。

花山:免除です。それは病院に届けを出したら、育児中はだいたい認めてもらえます。

高橋:私は脊損のリハビリを見て、憧れというか、すごいなと思ってきたのもあります。医者もそうですけれども、セラピストさんは現場に出られてからどうやって成長していかれるのか、お互いに成長していくにはどうしたらいいでしょうか。

花山:療法士の卒後教育は、このぐらいの規模になるとシステムとして結構長く教育をしています。

高橋:そうなんですか。マンツーマンで付いたりですか。

花山:そうですね。ここでは新人がフルで単位を取り出すのは相当たってからで、半年より後になります。

加藤:川崎医科大学附属病院では、大学の学部の教員が臨床に入られているそうですが、教員が新人をマンツーマンで教育することはありますか。

花山:教員は学生を教えるのにかなり忙しいので、新人までべったりは教えられないです。教員が入院患者を担当すると学校の関係でできない日が出てきます。それで、教員が入院患者を担当したがらないということが起こってきました。最近療法士長の発案で取り組んでいることは、若手の療法士と2人で1人の入院患者を担当すればお互いにカバーできるし、教員から教わることができるというものです。基本的には常勤の療法士が新人を教えています。

司会:花山先生は3つの大学の勤務を経験されて、珍しいんじゃないかなと思うんですけど。

花山:どうでしょうかね。そういう方もおられるかもしれませんけど、それぞれのところ(慶応義塾大学・東海大学・川崎医科大学)に10年以上いますから、同じ大学病院でもやっぱり雰囲気が違いますね。

加藤:リハ科の置かれている立場も違うことはないですか。

花山:それも違いますね。ここはものすごく優遇されていますね。理念もあるし、伝統もあるし。普通の大学病院だと、マイナー中のマイナーじゃないですか。ここは、1病棟リハ科だけの病棟がありますし、メジャーだと思われています。

中馬:ここの歴史が、すごいですね。先代の先見の明といいますか。

花山:ご指摘どおりです。ここではリハビリ科は恵まれていて、地域にここの卒業生がいるので、倉敷地区では「リハビリ科医はこういう仕事をするんだ」というのがかなり定着していますね。

中馬:(インタビュー前の見学で創設者である)外科医でいらっしゃった川﨑先生が、リハビリテーションが必要だと思われていたということをすごく感じて、素晴らしいと思います。

花山:リハビリ科医が尊重されているといいましょうかね。そういう表現がいいかもしれないですね。

 

 

 

第8回秋季学術集会に向けて

司会:2024年の秋の学会にむけてのご準備についてお伺いしたいのですが。

花山:2年後(2024年)に開催される第8回秋季学術集会の会長を仰せつかっています。慶応では(今でもやっていると思いますが)メジャーと呼ばれる勉強会があって、医局員が順に担当して30分くらいあるテーマについて話をするんですが、当時、千野(直一)先生が、歴史から話を始めるようにと指導されていました。今リハビリテーション医学は、その守備範囲は非常に広く、扱われていることも多岐にわたっています。それぞれの分野がどのような歴史で広がってきたのかというところに少し触れてみたいと思っています。もちろん、非常に分野が多いですし、それぞれの分野を紹介していただける先生がいらっしゃるかどうかわかりませんが、そういうところを掘り下げられればと思っています。

それ以前に、この新型コロナウイルス感染症によるさまざまな活動の制限は、ずいぶん人と会う機会を減らしてしまいました。何とかそのときには皆さんに岡山に集っていただきたいというのが切なる希望です。

加藤:歴史という切り口が新しいですね。

一同:是非、参加します。楽しみにしています。

 

 

 

「運・鈍・根」

司会:もしあれば、座右の銘を教えて頂きたいのですが。

花山:いやあ、ないですね。自分の中のモットーというかな、自分が日頃思っていることはありますけども。

司会:それを是非お願いします。

花山:そうですか。私は母親から、「運、鈍、根」で行きなさいと言われて。「うん」というのは「運」ですね。「どん」というのは「鈍感」の「鈍」です。「こん」というのは「根気」の「根」です。「運」というのは、人生は運で決まるんだということ。自分の考えでは運は他人が運んでくるんです。だから、他人によくしなさいということですね。

「鈍」というのは、鈍感ということですけど。少々のことでめげるなということですね。ちょっと鈍感なぐらいでいいと。

「根」は分かりますね。何でも根気よくやりなさいということです。「運」にも関係してくるかもしれませんが、他人がきっかけを運んできたときに活かせるかどうかは、それまでチャンスがあるかどうかわからないところでも努力を続けてきたかどうかですね。

加藤:なんか指針ができましたね。

司会:いいですね、覚えやすいですし。運は他人が運んでくる、「ゴミを拾って運をつかむ」大谷(翔平)選手みたいですね。

花山:まあ、でもね、3つの大学へ行きましたけど、全部運で決まったようなものですからね。偶然のタイミングです、全部。

加藤:そのためには、人に頼まれたときは断らないんですね。

花山:いや、そんなことはないですけど。なるべく言われたことには応えるようにしています。

司会:最後に本日の感想をお願いします。

中馬:女性医師のことですが、先生がおっしゃった、女性だから男性だからではなくそれぞれの先生によって事情があって、その事情は個々にあるわけだから、そこをちゃんと聞いてあげて対応するというお話は、まさしく私もそう思います。

花山先生がそれぞれの事情に合わせて考えてくださる、つまり環境をちゃんとそれぞれ見てくださるというところの器の広さを非常に感じ、とても感銘を受けております。

花山:ありがとうございます。でも、そんなにできてはないです。

中馬:はい。すごくさらっと言ってくださったのですけど、非常に難しいことだろうと思います。自分ばかりが仕事が増えてなどいろいろ言う人はいるでしょうけど、君はこれ担当、あなたはこの担当とか、そういう仕事の役割分担はできますよね。そういうことをさらっと一言でおっしゃったんだなと思いました。本当に今日はありがとうございました。

司会:ありがとうございます。加藤先生、お願いします。

加藤:中馬先生がおっしゃったように、そもそもリハビリテーション医療は、それぞれの個性やいろんな事情、それこそ一人一人に対するテーラーメイドじゃないですか。それを医療者側にも適用すれば、それこそ男女共同参画・ダイバーシティという話になりますね。

リハビリテーション科医というのは、そんなこと議論するまでもない。自分たちがやっていることを、自分たちの考えに当てはめれば済むんだなということが今日よく分かりました。ありがとうございました。

司会:私は花山先生に、「ちゃんと大きな声であいさつしなさい」と言われたのをしばらくぶりに思い出しました。

花山:そうだったですかね。

司会:すみませんでした、本当に。「自分の手と目を使って診なさい」と。本当にそうだなとあらためて肝に銘じようと思いました。本当に今日来てよかったです。ありがとうございました。高橋先生、どうですか。

高橋:すごく有名な先生方というか、諸先輩方に初めてお話をいただいて、かなり緊張しました。自分自身が整形外科として勉強してきたものを、どうやってリハビリテーションの分野に生かしていくかということをずっと考えていました。得意な分野や不得意な分野があるのは当然で、その中で自分がチームとして、ここは自分でもできる、教えられる、一緒に患者さんを診ることができるというところがあったら、それは私の仕事なんだろうなというのも感じました。

セラピストさんとの関わりの中でも一定のルールを作ったりとか、大学としてやっていかなきゃいけない部分と、あるいは臨床もしっかりやってというのは、またみんなで見直していかなきゃいけない点かなと非常に強く感じました。勉強になりました。ありがとうございます。

司会:花山先生、最後にお願いします。

花山:もっとあれこれ突っ込まれるのかと思いましたけど、和気あいあいとしたインタビューでしたね。皆さん、遠い所をおいでいただきまして、どうもありがとうございました。川崎学園と病院も見ていただきましたし。今後ともどうぞよろしくお願いします。

一同:よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

 

 

 

インタビューを振り返って

インタビューに先立って、川崎医科大学内のご案内と一緒に学園の歴史について花山先生にご紹介いただきました。半世紀前に大学やリハビリテーション学院、旭川荘などを創設された川﨑祐宣先生の偉大さに触れることができました。その伝統を受け継ぐ花山先生のお考えや懐の深さに改めて心を動かされました。残念ながら誌面には載せられない貴重なお話もたくさん聞けました。インタビュー後に倉敷駅前で食事をしていると、70代前後の女性3人が食事をしながら、リハビリテーションのことをかなり詳しく話されているのが聞こえてきました。この地にリハビリテーションが根付いていると実感した瞬間でした。

 

(土岐めぐみ)