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リハビリテーション科女性医師ネットワーク(RJN)

第26回「この先生に聞きたい!」女性リハビリテーション科専門医キャリアパス

 

日時 2021年2月19日(金)
場所 オンラインWEB開催
ゲスト 芳賀 信彦 先生(東京大学医学部附属病院 リハビリテーション科 教授)
インタビュアー 奥谷 珠美 先生(岡山済生会総合病院リハビリテーション科)
坂田 ゆき 先生(和歌山県立医科大学附属病院リハビリテーション科)
司会 藤原 清香 先生(東京大学医学部附属病院リハビリテーション科)
浅野 由美 先生(千葉県千葉リハビリテーションセンター リハビリテーション科)
オブザーバー 浅見 豊子 先生(佐賀大学医学部附属病院リハビリテーション科)
中馬 孝容 先生(滋賀県立総合病院 リハビリテーション科)
大串 幹 先生(兵庫県立リハビリテーション中央病院 リハビリテーション科)
藤谷 順子 先生(国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 リハビリテーション科)

参加者の自己紹介
東大リハビリテーション部門の歴史と今について
東大リハビリテーション部の診療や教育体制について
急性期のリハビリテーション科医にしかできないこと・やるべきこと
楽しく長く働き続けるコツ
NICUでのリハビリテーション診療について
就学前後(6歳児)のリハビリテーション治療について
医師として自分がどこまでできるかを見極める
若手医師にとっての大学病院での勤務
最後に

 

 

参加者の自己紹介

司会(藤原):本日は、第26回のゲストとして、東京大学医学部附属病院リハビリテーション科教授の芳賀信彦先生にいらしていただきました。

実は、1年前に実際に当院にて開催予定だったのですが、新型コロナウイルス感染症の影響で延びに延びてしまって、本日ようやくオンライン開催することができました。本企画初の開催形式でのインタビューですので、オンラインでも盛り上がれるように進めていければと思っております。

本日は司会を、千葉リハビリテーションセンター リハビリテーション科の浅野由美先生と、私東京大学医学部附属病院リハビリテーション科の藤原清香の二人で担当させていただきます。どうぞよろしくお願いします。

本企画は、若手の先生方がリハビリテーション医療の仕事を行っていく中で、日頃疑問に思うことをインタビュアーとしてゲストの先生にご質問いただき、これからのリハビリテーション医療や仕事、そしてライフワークについて考えていけることを目的としています。

インタビュアーの先生方に、まずは自己紹介をお願いしたいと思います。それでは奥谷先生からお願いします。

奥谷:岡山済生会総合病院リハビリテーション科の奥谷珠美と申します。よろしくお願いいたします。

今回、若手医師が学会のベテラン医師に質問するという企画をいただいた時から気になっているのですが、私が若手医師というのは難しく、昭和47年生まれです。岡山県岡山市で生まれて、岡山県倉敷市と広島県福山市で育ちました。岡山大学を平成10年に卒業し、小児整形を目指して岡山大学整形外科教室に入りました。夫の留学に伴い、2003年にカナダのトロントに転居し、Toronto General HospitalとToronto Rehabilitation Instituteでオブザーバーをさせていただきながら、トロント大学医学部家庭地域医療学科の臨床教育コースに入り、clinical teacher certificate(臨床教師資格)を取得しました。

2006年に日本に戻り、国立病院機構・南岡山医療センターの整形外科リハビリテーション科担当として勤務し、神経難病、結核などの慢性呼吸器疾患、重症心身障害者医療のリハビリテーション医療を研修しました。2012年から現在の勤務先である岡山済生会総合病院リハビリテーション科に異動し、急性期リハビリテーションを担当しています。家庭では、呼吸器外科医の夫と大学1年生の娘と中学2年生の息子がいます。

司会(藤原):ありがとうございました。それでは坂田先生、お願いいたします。

坂田:初めまして。和歌山県立医大のリハビリテーション科の坂田と申します。今日はいいお話をいただき、ありがとうございました。

私の略歴ですが、ドクターの6年目をそろそろ修了しようという段階に来ています。昭和63年生まれで、久留米大学を卒業して、和歌山医大に入らせてもらいました。

勤務先は和歌山医大の関連病院に勤務させていただいており、那智勝浦町立温泉病院等を経て、現在、和歌山医大の紀北分院に勤務しております。指導してくださる先生のもとで、いろいろ教えていただきながら勤務をしています。今日はよろしくお願いします。

 

 

司会(藤原):ありがとうございました。それではゲストの芳賀先生から、自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。

芳賀:東大のリハビリテーション科の芳賀と申します。今日はこのような機会をつくっていただいて、どうもありがとうございました。

私は昭和37年に東京新宿区の高田馬場で生まれました。昭和62年に東大の医学部を卒業して、最初は整形外科医を目指しました。整形外科は1年から1年半で関連病院をローテーションすることが決まっていましたので、東大から千葉、東京、静岡と移っていく中で、小児の整形外科医を目指して、静岡県にあります静岡県立こども病院というところで最初1年半、若手医師として働かせていただきました。その後1回大学に戻ったのですが、上司だった先生が急遽辞められるということで静岡に戻りまして、そこから整形外科の科長として、10年ちょっと働きました。

当時の小児病院にはリハビリテーション科はなく、PT、OT、STが2名ずついる中で、整形外科の責任者がそのマネジメントを兼務する形でしたので、そこでリハビリテーションに深く関わるようになりました。その後機会があって、今から15年ほど前に東大のリハビリテーション科に来たというのが私の生い立ちであります。

 

 

東大リハビリテーション部門の歴史と今について

芳賀:今日はまず東大の歴史をお話ししようと思います。東大リハビリテーション部門の歴史は1958年頃に始まりました。後に初代部長となる整形外科教授の津山直一先生、物療内科(現在のアレルギー・リウマチ内科)の佐々木智也先生、中央診療部検査部門の樫田良精先生らが、海外で行われているリハビリテーションを日本の大学病院に導入しましょうということで、中央物理療法部を東大に作る構想が生まれました。

その後、沖中内科で神経内科を専門にしていた上田敏先生がかなり努力をされて運動療法室をつくったのが1963年です。

1963年は、日本リハビリテーション医学会ができた年でもありますし、東京の清瀬市にある国立療養所東京病院附属リハビリテーション学院という、日本で最初のPT、OT養成校ができた年でもあります。

実は私の父は、もともと結核を専門にしている医者だったのですが、この東京病院に勤務をしていて、リハビリテーション学院の設立のときに当時の厚生省などに働きかけたりしたということを後になって知りました。その時に、Lawson先生、Brown先生というPT、OTの2人の女性がリハビリテーション学院の先生という立場で、学生を東大病院に連れてきて実習させるとともに、東大病院のリハビリテーションに対するアドバイスを行うという体制が敷かれました。

PT、OTの学校ができたばかりなので、日本にPT、OTは基本的にはいないのですが、実は海外に行って資格を取った人が数人いて、そのうちの1人が整肢療護園という東京にある障害児施設から東大に移ってきました。さらに事務部に所属していたマッサージ師が移籍してきました。

その後、3年ぐらいかけてOT室、水治療室、診察室などを整備し、リハビリテーションセンターが完成したという歴史になります。

これが当時の東大のリハビリテーションセンターの写真で、実はこの建物は今も残っており、現在のリハビリテーション科の医局はここにあります。

その後東大では、リハビリテーション医学の卒後研修や卒前教育などが始まり、上田先生がリハビリテーション部の初代専任教授に就任しました。講座になるまでにかなり時間がかかり、2001年にリハビリテーション医学講座ができました。精神科のデイホスピタルというデイケア部門とか、整形外科と整形外科以外に分かれていた理学療法部門を統合するなど、さまざまなことが行われ、2006年11月に現在のリハビリテーション部に移転しました。私は同年7月に東大に赴任しました。

この間、教授は上田先生から加倉井周一先生、江藤文夫先生と替わって、2006年から私が引き継いでいることになります。

そして2013年に東大は50周年を迎え、記念式典を行いました。上田先生は、もうすぐ90歳になりますが今もお元気で、私は年に1回ぐらいお会いしますが、リハビリテーション医学会の50周年のときにも講演に来ていただきました。

 

 

東大リハビリテーション部の診療や教育体制について

芳賀:診療について簡単にどんな規模かお話をしますと、われわれの診療体制は医師が専攻医を除いて7名です。1人は精神科医でデイケアを担当しています。PT22名、OT9名、ST7名のうち、4名は耳鼻科と口腔外科に所属をしています。少し変わっているのは、鍼灸マッサージ師が4名いることで、心理士もいます。

整形外科、精神科、耳鼻科、口腔外科とは、特に結びつきが強いです。それから、心臓リハビリテーション部門は循環器内科と共同でやっていますし、もちろん全ての診療科からの依頼を受けて診療をしています。

リハビリテーション科医の教育として、私が東大に赴任をしてから3つのプロジェクトを立ち上げました。1つは、月1回、身近な先生に講義をお願いする「スキルアップ・シリーズ」というものをやっています。例えば最近の3ヶ月間でいうと、去年の11月には国立国際医療研究センターの藤谷先生に、彼女が力を入れていた新型コロナウイルス感染症のリハビリテーション治療の話をしてもらったり、1月には国立障害者リハビリテーションセンターから移ってきた緒方先生に障害者の健康増進のことを話してもらったりしました。それから昨日は、整形外科の人工関節センター長の先生に、人工膝関節手術の進歩についてお話をしてもらいました。

これとは別に3~4ヶ月に1回土曜日に、最近は金曜日にオンラインでやっていますけれども、関連施設を巻き込んだ症例検討会をやっています。また、年に1回程度を目指し、外部の少し高名な先生を迎えて講演会を企画させていただいています。

こういったことが功を奏したのか、少しずつ、われわれの仲間に加わってくれる医師たちが増えてきています。

 

 

 

急性期のリハビリテーション科医にしかできないこと・やるべきこと

奥谷:私からの一つ目の質問をさせていただきます。急性期のリハビリテーション科医にしかできないこと、それから、急性期のリハビリテーション科医のやるべきことを教えてください。

芳賀:非常に答えにくい質問です。

もちろん急性期のリハビリテーションは、全ての障害を持った、あるいは病気になった患者さんの一番最初を知ることができるところだと思います。

これとは全く逆にあるのが生活期リハビリテーションで、最終的な像というか、ゴールを見ることができますが、そこにいると最初のところは見ることができない。ですから、やはり急性期リハビリテーションの特徴は、患者さんの一番最初を知ることができるということだと考えています。

では、急性期に携わることで何ができるのかというと、その後の患者さんの方向性をコントロールすることができる可能性があるということです。

急性期にサボって何もやらなければ悪くなるわけだし、一生懸命関わってあげれば、よくなるかもしれないということで、方向性のコントロールは急性期のリハビリテーション科医にしかできないのではないかと考えています。

やるべきこと、というのは難しくて、たくさんあるような気がしますね。私自身は先ほど言ったように小児病院が長かったので、いわゆる成人の回復期のリハビリテーション病院で勤務した経験が全くないので想像での話になります。やはり回復期のリハ病院に勤務をしていると、脳卒中であるとか、大腿骨頸部骨折であるということで、ある程度、その病態を中心に診るような、診療に関わるようなかたちになると思います。急性期の病院にいると、非常に複雑な病態の患者さんを診ることになります。それは合併症であったり、もともとの疾患構造であったりです。

これはリハビリテーション医療のことだけではありません。いろんなときに若い先生に話をするのですが、われわれが医療をやっているときの魅力の一つというのが、それこそ中学生、高校生の勉強でいうと、応用問題を解くことだと思っています。

例えば、算数の問題というのは、計算問題があって、応用問題があって、応用問題のほうが一般的には難しいけれども、計算問題を解いているのはあまり面白くなくて、応用問題が解けたときのほうがずっと面白い。

急性期の病院で複雑な疾患構造の患者さんを診ていて、その人たちの先を見据えながら、うまくコントロールするというのは、応用問題を解くことであると思っているので、そこに一つの正解はない。応用問題にも解き方はいろいろあり、それをきちんとやることが急性期のリハビリテーション科医にできることであるし、やったらきっと役に立つことなのではないかと思っています。

奥谷:応用問題を解く、という言葉がとても響きました。受験勉強中に、どこから手を付けていいか分からない難しい問題を、できる計算から少しずつ解いていたことを思い出しました。急性期の患者さんを診ていて、何から始めたら良いのだろう?という時がありますが、様々な専門家に助けていただきながら、問題を一つずつ解いていって、最後に、おそらく正解に近い医療ができたのではないかと思った時に感じる達成感は、急性期リハビリテーション診療の特権だなと思います。とても心に響く回答をありがとうございました。

 

 

楽しく長く働き続けるコツ

奥谷:では、二つ目は、楽しく長く働き続けるコツについてお聞きしたいです。実は、この質問を考えたときは、コロナウイルス対応でとても疲れていて、どん底の状態でした。今は、自分の中ではもとに戻ってきたつもりですが・・・。どんなときも楽しく働けるコツがあれば教えてください。

芳賀:東大病院も去年の春から、ずっとコロナに対応し、春から夏にかけて、かなり忙しい時期がありましたが、おかげさまで無事にそれを乗り越えてきたところではあります。

長く働き続けてきましたが、本当に楽しく働いているかどうかは、正直言うと分からないです。少なくともさっき自己紹介でお話をしたように、医師になって最初の10年くらいは、かなり整形外科の仕事が多くて、たぶん8割以上整形外科の仕事をしていたし、東大に来る前もリハビリテーション診療にも携わりながら、たぶん5~6割は整形外科のことをしていました。

ただその後東大に来て、最初は90%ぐらい、今100%、リハビリテーションの仕事をしていて、それを楽しくできているのはなぜかと考えてみると、結局、自分がどういうことに向いているのかというのをうまく見定めることができたからではないかなと思っています。

よく若い先生や学生から、「何で先生は整形外科をやめてリハビリテーション科に行ったのですか」と質問されます。その時に話しているのが、整形外科医として手術をしながら外来で診療するということを長年やってきて、手術室にいるときよりも、外来で患者さんと、特に障害を持った子どもたちの親といろんなことを話しているときのほうが自分としては楽しかった、ということです。これは確実に言えることです。もちろん、責任ある立場で整形外科医もやっていたので、手術も成功させないといけないし、そのためにいろんなことをやってきました。自分がハッピーなのはどちらなのかなと思ったときに、リハビリテーション科医として100%やっていくという話になり、自分がきっと向いているところに何となく導かれたと思っています。整形外科医をあのまま続けていたとしても、それなりにハッピーであったかもしれないのですが、今に比べるとそうではなかったのではないかと思っています。

ただ責任ある立場になってくると、だんだん忙しくなってきて、へとへとになってということがあると思います。特に若いときは、自分で何でもしないと気が済まないところが正直言うとあり、あまり人任せにできないところがありました。それは、ある意味では手術にしてもそうだし、患者さんのマネジメントにしてもそうだし、ずっとそういうかたちでやってきましたが、次第に自分が回らなくなってくるし、後継者を育てることが十分にできていません。ですから、ある時期から人にお願いするということを、自分にとって違和感なくするようになり、おかげさまで長く働き続けているのかなと思います。

奥谷:ありがとうございます。本当によく分かります。私も40歳までは整形外科とリハビリテーション科と半分半分でやっていましたので。10年後に、先生と同じように言えるようになったらいいなと思います。

藤原:それでは、続いて坂田先生から質問をお願いします。

 

 

 

NICUでのリハビリテーション診療について

坂田:よろしくお願いします。私からは2つあって、まず1つ目が、NICUでのリハビリテーション診療はどのようにしたらよいのかを聞きたいと思っています。これを考えるきっかけになったのが、「低出生体重児の方のリハビリをお願いします」と、めずらしくNICUから依頼があり、具体的にどのように診療したらよいのかと悩んだことがあります。体重が1,000グラム以上あった患者のリハビリテーション治療がうまく進み、2歳になっている例も見たことがあったので、その差はなんだろうと思ったからです。

芳賀:特に、NICUで依頼されるのは低出生体重児に対するリハビリテーションだと思います。何で低出生体重児にリハビリテーションを行うのかということを考えると、それはいわゆるハイリスク児といわれるもので、その子たちが脳性麻痺になるリスクが高いからだと思います。

ちょうど私が整形外科医になって3年目に、整肢療護園という東京にある肢体不自由児施設で1年間勤務をして、その時にいろいろ学んだことの一つが、脳性麻痺の早期診断です。

実は当時、こういう方法をやれば脳性麻痺が治ると言う人たちがいました。でも、それはもしかしたら、放っておいても脳性麻痺にならなかった人たちを脳性麻痺になると言って、リハビリテーション治療をしたら良くなったとか、脳性麻痺にならなかった、と解釈しただけかもしれません。

この話は、私自身はまだ解決されていないと思うのです。ただ、先生がおっしゃったように、1,000グラム以下の子のほうが、2,500グラム以上の子よりも脳性麻痺になるリスクが高いのは明らかな事実で、疫学的にも証明されているので、やはりその子たちには何かやってあげたほうがいいだろうと。

私が静岡のこども病院にいたのは平成の一桁から二桁の頃ですけれども、当時理学療法士の1人がNICUのリハビリテーション治療に興味を持って、NICUにどんどん入っていき、呼吸理学療法も含めて、いろんなことに対応していました。

その時に彼女がやっている姿を見て、これは何をやっているのかなと、正直、よく分からないところがありました。脳性麻痺のガイドラインをリハビリテーション医学会でも出していますけれども、それを見ると、エビデンスレベルの高い低出生体重児に対するリハビリテーションは、ものすごく限られています。1つは、ポジショニングと呼ばれるもので、要は赤ちゃんにこういう姿勢でポジションを取ってあげれば、そういうことをしないよりは発達が良いということや、もう1つは嚥下障害のことが出ています。

では、ポジショニングというのは理学療法か、あるいはリハビリテーション治療なのかと考えると、一般的には、あるいは特に若い先生たちや若い理学療法士にとっては、たぶんとっつきにくいところだと思っています。やはり理学療法というと運動療法であり、運動療法というのは動かすことですよね。ところが、500gや600gの未熟児に運動療法をするというのは、あまり一般的ではないですよね。だから、やっぱりそれは成人、あるいは成人ではなくても、幼児以降の子どもに対するリハビリテーション治療とは考え方が全然違うものだと思って良いのではないかと思っています。

一つ忘れてはならないのは、あくまでも障害を持った子どもの治療をしているのではなくて、障害を残すリスクがほかの子どもに比べると高い子どもに対して治療しているということですね。そうすると、無理をして合併症を起こすことは絶対に避けないといけないので、本当にポジショニングであるとか、非常に軽い動きを伴うようなものにとどめないといけないということが一番大事なのかなと思います。

あとはポジショニングというのは、文字通りポジショニングなので、普通の成人のリハビリテーション治療もそうですけれども、やはりNICUのナースであるとか、NICUの医師ですね。小児科医と連携をして、そこに共通の意識を持つことが大事なんじゃないかなと思います。

もちろん、それ以外の障害でNICUに入っている子ども、例えば二分脊椎であるとか、ほかの神経疾患がある子どもでは、いわゆる運動療法が必要になってくる部分もあるので、あくまでもリスクに注意をして、しっかりやってあげることが良いのではないかなと思っています。

私も本当にNICUにどっぷり入ってということはしていないので、不十分な答えかもしれませんが、考え方としてはそうかなと思っています。

坂田:ありがとうございました。リハビリテーション治療の内容が、ポジショニングや、体位変換、ROM訓練など、ただそれを行うにとどまってしまったので、いかにもリハビリテーション治療や運動療法といえるような積極的なものと私は捉えきれておらず、悩んだことがありました。

実際そうしたポジショニングなどは看護師さんもできることですし、理学療法やリハビリテーション科ドクターが関わることで、実際に何か有益な治療をもっとできるのではないかと考えてしまったことがあります。先生のお話を聞いて、ようやく理解ができたなと思います。リスクが残らない、あるいは障害が残るリスクの高い方にリハビリテーション治療をしているので、治療内容はある程度限られてしまうし、かといって、必ずしも不必要なものではないということが分かったので、自信を持って引き続き取り組んでいきたいと思います。ありがとうございます。

 

 

就学前後(6歳児)のリハビリテーション治療について

坂田:続いて、2つ目の質問をよろしいでしょうか。6歳の小児の方の就学前、もしくはその後のリハビリテーション診療について聞きたいと思っています。

私が経験したWilms腫瘍という、かなりまれな疾患で、後遺症はあまり出ないとされているような疾患の6歳の男の子がいました。活発で元気のある性格のせいか、注意がそれたり、衝動性があが見られるような患者さんでした。

少ししゃべったり、診察室でほんの10分程過ごしたりするくらいでは、6歳の一般的な子と変わりはなかったのですが、もっと掘り起こして1時間ぐらい付き添うと、衝動性などの側面が見えたので、そうした子のリハビリテーション診療について何かアドバイスや、よい考えがあれば是非教えて頂けたらと思い質問に挙げさせてもらいました。お願いします。

芳賀:すこし発達障害的なところがあるのかなというイメージでしょうかね。

正直言って、発達障害のリハビリテーションにすごく詳しいわけではなくて、いろんな取り組みが世の中で行われているというのは理解をしているのですけれども。そういった衝動性であるとかを含めた発達障害ということで考えると、6歳という年齢と、例えばもっと小さい3歳とか、あるいは9歳、10歳とかで、おそらくそんなに取り組みの仕方は変わらないのではないかと思っています。

ただ、やはり就学というのは、環境が大きく変わるという点で子どもにとって大きなイベントです。私がいろんな病気の子どものリハビリテーション医療を考えるときに、就学時に一つ確実に言えることは、リハビリテーション医療の供給というか、リハビリテーション治療を受ける回数が当然減ってくるということです。東京で障害の子どもを診ているような専門施設の状況を見ていると、就学前の子どもに対しては取り組まざるを得ないので、かなりの量のリハビリテーション治療の供給がされます。しかし、就学期以降までは手が回らなくて、歩けるようになっていたら打ち切りとか、頻度をかなり減らすという状況があると思うので、その供給が減ってくるときに、必要に応じてどういう体制を取れるかということを考えるようにしています。

一つは、その子どもがどういうかたちの学校に就学するかということですよね。普通の小学校に行くのか、特別支援学校に行くのかということによっても変わります。ご存じと思いますが、特別支援学校に行くと自立活動の時間というのがあって、それは学校によって行われていることはいろいろで、そもそもPT、OTが入ったり入らなかったりもしますが、目指すところは小学校ないし中学校で、その子が最終的に自立できることを目指すために何ができるかということのための時間です。

文科省のいろんな文書とかを見ると分かりますが、必要に応じてきちんと医療機関と連携をするとか、あるいはお医者さんに意見を聞くということをしましょうということが書いてあります。

例えば、向こうから言ってこないにしても、親を通じてでも、こういうことをやってあげたら、この子にとってはより伸びることにつながるのではないかということを、先生方のほうから特別支援学校であれば、そこの先生なり、自立活動を担当する人たちに伝わるようにしてあげることが良いと思います。

熱心なところの人は、学校の先生が子どもについてくることもあるので、そこで一緒に見ながら話をするのが良いのではないかなと。発達障害ではないですけれども、脳性麻痺であるとか、その他の疾患で装具を着けている子がいると、それを使って立つ練習、あるいは歩く練習をする時間というのは非常に貴重な時間ですので、それをぜひ学校で確保していただくとか、そういうことを私は就学前後、特に就学にあたって、お子さんが特別支援学校に行く場合には親御さんに話をしているところです。

坂田:確かに、この症例のどもに限らず普通小学校に入学するにあたって、障害を持ったお子さんが入学する学校の先生が、直接病院に来てくださって、リハビリテーション診療の風景を見学されたこともあったので、学校の先生には何回もお世話になったことがありました。このお子さんと親御さんは普通小学校に入学したいと考えておられるような様子だったので、普通小学校に入学してもらい、「何か問題があれば、いつでもリハビリテーション科のほうに相談を持ってきてください」というお話をさせてもらいました。

やはり先生のお話にもあったように、親御さんを通してお話ししたり、普通学校や特別支援学校の先生のお話を聞いたり、そういう連携が必要なのだなと実感しました。ありがとうございます。

 

 

 

医師として自分がどこまでできるかを見極める

司会(浅野):女子会トークみたいになっていますが、女性医師が家庭を持ちながら働いていくことを、講座を主催する教授でいらっしゃる芳賀先生がどんなふうに考えていらっしゃるか、ぜひこの機会にお話を伺えればと思いますが、いかがでしょうか。

芳賀:ありがとうございます。最初、奥谷先生から、楽しく長く働き続けるコツという質問があったことを思い出しました。私が静岡のこども病院の整形外科の科長になったのは、すごく若い時で、医者になって7年目でした。そうはいっても2人職場で、私ともう一人という職場で上の立場になりました。

その時に私がそれまでお世話になり、小児のことも含めて教えてもらったある先生から、「自分で何でもできると思ってはいけない」ということを言われました。そうは言いながら、若気の至りで、自分で何でもできるような気がして、診療全て、手術も含めて、いろんなところにいろんなことを習いに行ってやってみていました。

さっき、奥谷先生が軟骨無形成症のイリザロフという話をしていましたけれども、イリザロフの講習会が日本で初めて行われたときに滋賀県まで受けに行って、よし、これで自分はできると思い、帰ってきていろんなことをしました。

そうやっていると、必ず失敗することがあって、手術がうまくいかない、合併症が起きるということがあって、ああ、やっぱりその先生が言っていた、自分が何でもできると思ったらいけないというのは正しいのだなと思って。

自分よりうまい人っているもので、手術にしてもそうだし、診療にしてもそうだし、経験の深い人もいる。だからといって、そこに全部丸投げしているわけにもいかないので、ここまでだったら自分でできるかなという見極めをしっかりつけるということで、今のところ人に訴えられることもなく生きてきているのかなと思いました。

 

 

若手医師にとっての大学病院ならではの勤務

司会(浅野):芳賀先生、ありがとうございます。

メンバーの中で一番若いインタビュアーの坂田先生に、若手の先生の立場からお話を伺いたいと思います。

現在、大学病院に勤務されていて、今日、急性期は応用問題ということで、大学病院は特に応用問題なのかなと思いますが、大学ならではの悩みとか、例えば、若い医学部の学生さんに指導したり、いろいろな機会があると思います。そのあたりについて、何か大学ならではのことがあれば、この機会に芳賀先生にお尋ねいただけるといいかなと思いますが、いかがでしょうか。

坂田:先ほど奥谷先生の急性期のリハビリの内容で、和歌山医大の名前が出たので、「あっ」というふうに思ったのですが、田島先生をはじめ、先輩の先生方にいろいろ教えていただきながら、ICUのリハビリテーション医療や、急性期のリハビリテーション診療に携わらせてもらっています。

大学にいながら、私みたいな若手でも、和歌山医大の学生に指導することもあります。診療と学生の指導やセミナー講習がちゃんと両立できているかどうかというのは、私も自信がないのですが、一緒にICUのリハビリテーション診察に研修医や学生を連れて行ったり、特に研修医と話す機会が学生よりも多いので、研修医に目が行くことが多いです。研修医の先生と過去の症例について話したり、患者さんの急性期のときの所見について、昔の電子カルテだとか、紙カルテ時代のことを引っ張り出してみたりして、一緒にやらさせてもらっているような状態です。

実際に、おこがましく指導というものがまだできるような立場ではないので、悩んだことに対して一緒に考えてみるようなやり方でローテーションしてもらっていると思います。

 

 

最後に

藤原:今日、お二人の先生から芳賀先生にいろんなご質問をいただきましたが、インタビューを通した感想などをお二人の先生からいただけますでしょうか。

奥谷:お話をいただいたときから、とても緊張していて、全然しゃべれないのではないかと思っていましたが、先生方とお話ししていたら、聞きたいこともたくさんあるし、話したいこともたくさんあるしで、あっという間の時間でした。RJNの先生方にもお会いできて、オンラインですけど、本当に良い時間でした。いつかまた、オンラインではなく、再会したいです。その時には岡山大学特製きびだんごを持っていきますので、楽しみにしていてくださいね。皆さま、ありがとうございました。

坂田:私も貴重なお時間をいただいて、ありがとうございました。田島先生からお話をいただいて、藤原先生ともちょうど1年ほど前に佐賀県の学会で直接ご挨拶させていただくことがあり、今回のRJNのインタビュー企画会に参加させていただくことになりました。

学会などメインでお話しされている先生方とこうして直接お話しさせてもらう機会がなかなかないので、いい経験になったと思っております。次回は東京に赴いて直接お会いしたいのと、オリンピックが開かれると思うので、新国立国際競技場でちょっと写真を撮って、和歌山に帰りたいなと思います。また機会がありましたら、よろしくお願いします。

司会(藤原):ありがとうございました。芳賀先生、今日インタビューをお受けになって、これからのリハビリテーション科医の先生方に向けてのお言葉をいただけないでしょうか。

芳賀:はい、ありがとうございました。リハ医学会学術集会のときにやっているRJNの集まりというか、飲み会というか、そこに時々引きずり込まれるのですが、そうすると私は圧倒的なパワーに押されておとなしくなっています。画面越しですと、そういう威圧感もなく、無事にこの時間を過ごすことができました。

浅見先生、中馬先生たちが引っ張ってこられたRJNの歴史は何となく横から見ていたところではあるのですけれども、リハビリテーション科の専門医を受ける先生たちの3割ちょっとが女性の医師だったというのがここ10年ぐらいの状況で、たぶん今はもう少し専攻医に入ってくる女性たちが増えてきていると思います。

ちなみに、今、働いている職場では、女性のほうが優位です。もちろんパワーという意味ではなく、人数的には、という意味ですけれど。このような状況ですので、女性の方々もぜひいろんなかたちで活躍していただきたいと思います。

一同:ありがとうございました。